魔法少女スノウドロップ

大惨事

1章

第1話

あの痛みを覚えている。


あの苦しみを覚えている。


あの絶望を覚えている。


だから私は、魔法少女を続けている。


いつかその時が来るまで。


***


人気の無い住宅街の真ん中を一人の男が走っている。


「はぁっ…はぁ、はっ!」


喉が熱い。胸が張り裂けそうだ。けど、本当に裂けてないだけマシだと。そう言い聞かせて痺れて感覚のなくなった足を無理やり動かす。


 より狭く、より隠れられる場所を目指して走り続ける。あの爪に捕まらないように、あの牙に貫かれないように。






猫だ。


 そう、猫だ。この災難はたった一匹の猫と鬼ごっこを繰り広げたことから始まった。


 高校受験を終え、柊悠貴は長めの春休みを怠惰に過ごしていた。春休み中の宿題に時間を取られることはなく、かといってゲームばかりしているのにも限界が来ていた。四六時中ゲーム三昧などという非日常は4日も経てば飽きてしまった。四日分の計12食をインスタントラーメンで済ませた結果、味蕾は悲鳴をあげ、脳は変化を求めていた。


 心機一転と閉じられた窓を開け、日光を浴び、何か作るかと冷蔵庫を覗くもまともな食材は存在しない。ならば買い出しに出かけるか。と、凝り固まった体を鳴らして外出用の衣服を身にまとい久しぶりに玄関のドアを開いた。


 それがつい2時間前の話だ。近所のスーパーに着いた僕は何が食べたいかを己に問いかけた。生鮮食品が並べられた棚を物色し、偶然目についたししゃもを食べようと決心し、ついでとばかりに卵、鶏肉、キャベツ、ネギ等々、空いた冷蔵庫を満たしてやろうとちょっとばかし多めに食材を買って店を出た。


 まだ3月の上旬だというのに随分と熱いものだ、とじわり滲む汗を自覚しながら春の日差しを照らす太陽を見上げた。


 さっさと収めておけばよかった。それは分かる。けれど不条理ではないだろうか。猫ならば財布なんて取ってないで魚、ここで言うならししゃもを咥えて行けばよかったのに。


 太陽を見上げたその一瞬の隙に、一匹の黒猫が僕の手に持っていた財布を奪い取り、驚き慌てて視線を下に戻した僕と目が合うや否や走り去っていった。


 財布の中身は、当面の生活費2万5千と小銭がいくらか、そして健康保険証が入っていたことを瞬時に思い返した僕は、猫を追いかけるには重過ぎるビニール袋を泣く泣くその場に置いて走り出した。財布を取り戻し、勝利の凱旋を果たした時に変わらない姿で待っていてくれることを願いながら。


 そうして始まった一人と一匹の追跡劇は実に30分も続いた。

 身体能力で劣る人間が辛うじて見失わなかったのはひとえに猫の行動によるものだ。まるでおちょくっているかのように時々僕の位置を立ち止まって確認して来なければとっくに見失っていただろう。振り返り、僕が追いつくまで待ってからまた走り出すのだ。財布だけはしっかりと咥えて。


 飽きたのか、ずっと咥え続けることに疲れたのか。僕からは判断出来ないけれどとにかく見慣れない公園の真ん中にポトリと財布を落としてその猫は住宅街の隙間へ姿を消していった。やっとの思いで回収した財布を握りしめて久しぶりにした全力疾走で失われた体力が回復するまで休憩することにした。


 そもそも帰ろうにもどこに向かえばいいのかわからない。

 ひたすら猫だけを見て縦横無尽に走り回ったせいで、自分の生活圏から離れた場所まで来たようだ。食材の前に家に帰れることを心配しないといけなくなり、体感十数分くらいの休憩を終わらせてさぁどっちへ向かおうかと思った時、やけに周りが静かなことに気付いた。


 ぞくりと背筋が凍る感覚がして振り返ると、道路を挟んだ道の先から猫のようなものがぬるりと姿を現した。魔獣の証拠である紫黒色の結晶が右耳から飛び出ている。

 体長2mを越さず、鮫のように何列にも並んだ歯を見せつけられていなければ、なんとか可愛がることが出来たかもしれない。


 魔獣の出現を知らせる警報はなっていただろうか。そんなことを考える時間も意味もない。今はただ、逃げなければ。


そうして僕の、立場が逆転した鬼ごっこが始まった。




***




 見慣れない住宅街の真ん中で、差し掛かったT字路を左に曲がる。その直後、後ろから猛追してきていた魔獣が曲がり切れなかったのか家屋に突っ込み、破壊音を響かせる。コンクリートブロックの塀は何の障害にもならず、幼児が戯れに崩す積み木のように破片が飛び散った。


 それが僕に当たらなかったのは運がよかっただけなのだと、顔の真横を通り過ぎた塀の残骸を見てそう思った。…そもそもこんな捕まれば即、死の鬼ごっこを繰り広げる破目になっている時点でこの上なく運は悪いんだろうけど。


 魔獣の視界から僕が消えている内にもう一度十字路を左に曲がる。

 そして、もはやまともに動いてない足がもうすぐ動くことすら出来なくなる事を予感している。せめて道の真ん中で倒れるよりはましだろうと近くの庭木を沢山植えている庭に侵入して隠れる。不法侵入だなんだと考える余裕なんて欠片も存在しておらず、乱れた呼吸をできる限り整えて息を潜ませる。


 誰のものかもしれない民家の庭に隠れて間もなく、近いけれど僕の隠れている場所では無い家に何かが突っ込んだ音が聞こえる。


 家屋が破壊される音は立て続けに響き、いずれはここにも奴が来るのだろう。見失った僕を探し出そうと手当たり次第に破壊の限りを尽くしている魔獣に見つからないよう呼吸を細くする。意味があるのかは分からないが、かといって他にどうしようもなく、ただひたすら息を殺した。


「こんにちは」


 段々と近づいてくる破壊音に縮こまっている僕に向けて、場違いにのんきな声がかけられた。子供のような甲高い声だ。手で口を抑え、俯いていた顔を上げると、宙に浮かぶ30㎝くらいの人型がいた。白と緑のグラデーションになったドレスを纏うそれは、魔法少女の素質を持つ者の元に現れると言われている妖精。


「アーフェア・ケール…?」


「ええ、初めまして」


「あ、たっ助かった…」


 魔法少女の先導者、魔法少女のパートナーとも言われる彼女がここにいると言うこと。つまりは助けが間に合ったと言うことなのだろう。もうすぐ、どの人かは知らないが魔法少女が現れ、魔獣を打ち倒してくれるのだろう。

 僕は助けられ、ハッピーエンドだ。猫はトラウマになるかもしれないけど仕方ない。生きてるだけで御の字だ。


「そうね、助けるのよ。あなたがあなた自身を」


「…え?」


 クスクスと嗤うそれは妖精なんてものじゃなく、まるで悪霊のように目に映った。

 ちょっと待て。助ける?僕が僕を…?一体どういう…。


「ねぇあなた、魔法少女にならない?」


ことなのか。と思う前に答えが返ってきた。

 魔法少女。魔法を使う少女。そう、ただの少女が変身した姿が魔法少女だったはずだ。そして、僕は男で。つまりは魔法少女になれるわけなどない。


「関係ないわ。何故なら、私がここにいることがその証拠よ」


 妖精が嗤う。そして彼女の掛けているペンダントの先に着けてあったそれを外し、僕に渡してきた。


「ここで死ぬ?それとも魔法少女になる?なるならそれを指に嵌めてこう言いなさい」


 銀色の光沢がある輪っか状のそれ。見つめる僕の頭上からじゅるりと音が聞こえた。慌てて見上げると舌なめずりをしている魔獣の姿がある。縦長の瞳孔が隠れていた獲物を見つけ出した喜びから歓喜に歪む。凶悪な牙を見せつけぐふぐふと嗤うそれから、もはや逃げおおせることは出来ない。


「さぁ、どうする?」


 僕と魔獣の間に割り込み、僕の顔を覗き込んでくるアーフェア・ケール。

 その金色の瞳に見つめられ、魔獣に見つめられて考えることを止めていた僕の脳がまた動き始める。どうする?なんて言われても選択肢なんて存在しやしない。


 持っていたその指輪を右手の人差し指に嵌めて、もうどうにでもなれと叫んだ。



「コネクト!!」



体が溶けたと錯覚するような熱と、白銀色の光が僕を包み込んだ。


 眩い光が収まった瞬間、目に入ったのはグロテスクなピンク色の口内だった。

 咄嗟にその場から跳び転がる。バキバキと音を立てて隠れ蓑にしていた庭木が折れ倒れていた。そして、数瞬前まで僕のいた場所は魔獣の牙が地面を抉っていた。振り返る魔獣が予想外だとばかりに目を瞬かせている。


 僕自身躱せるなんて思っていなかった。疲れによって重くになっていた体は、人間の時の全力すら軽く通り越して俊敏に動き、魔獣の凶牙から逃れるさせた。


「アーフェア!どうしたらいい!?」


 いつの間にか姿を隠した妖精に問いかける。体の奥から力が漲り、全能感が全身を満たす。だからなんだというのだ。目の前の魔獣に対処する術は未だ見つかってはいない。2mを越す魔獣を素手で殴り倒せると考える程自惚れてはいない。


「魔法を使えばいいじゃない。あなた何になったと思ってるの?」


 そういわれてハッと気づく。そうだ、僕はなぜか魔法少女になって今この場にいる。ならば魔法を使えば…。


「…どうやって!?」


 魔法なんて概念、僕の体に存在しやしなかったというのに、魔法を使えばいいだろうなんて無茶苦茶だ。なんとか避けられるようになった魔獣の攻撃を躱し、妖精に問いかける。


「あなた手を動かす時にどうすれば動くかなんて考えるの?足は?目は?魔法だってそうよ。ただやろうとすればいい。それだけよ」


「そんな無茶な!」


 なんて嘆いている暇も余裕もない。納得なんて出来ないがこの場ではそういうものなのだと飲み込むしかなく、理屈も理論も放棄してただ想う。生き残れる術を、戦える武器を今、この手の中に。


 頭の中で何かが繋がった。気がした。けれど気のせいではない。手の中に生まれた銀色の流動体が細長く形を紡ぎ、顕現する。


「って小さっ!?」


 手の中に確かな重みが感じられる。しかし、なんとも頼りない重みだった。

 柄20㎝刃渡り20㎝程の銀色の短槍が手の中に生み出された。え?これで戦うの…?


 唖然とする僕を待ってはくれない。飛び掛かってくる魔獣に対して手に持った銀槍を咄嗟に突き出す。狙いも意図もなく突き出された銀槍は運よく振り下ろされた魔獣の手のひらを貫いて悲鳴を上げさせた。強引に飛びずさる魔獣に引っ張られ、銀槍を握っていた手を放してしまう。


 またしても空手になってしまった両の手に、しかし今度は焦ることはない。

 先ほどの感覚を思い出す。掌の上に意識を集中させると銀色の流動体が輝きと共に生み出され、創り出す形を思い浮かべる。使い方は考えない。ただ『そう』しようとだけ思う。銀色の流動体は細長く紡がれ、新たな銀の槍を形作る。


 魔法少女が新たな武器を創り出している間、魔獣は自らの前脚に突き刺さった銀槍に噛みつき、無理やり引き抜いていた。仕切り直しだ。けれどこっちは無傷で相手は手負い、どうにもならないと諦めそうになっていたのが懐かしい程だ。けれど油断は出来ない。今は何とか上手くいっている。それだけなのだ。僕の手札はこの短い銀の槍ただ一つ。


 魔獣が突進してくるのを横っ飛びに避ける。地面を軽く一回転して体制を整え振り返る魔獣と相対する。魔法少女となったらしい僕の体は想像よりも遥かに性能が高く、早く強く思い通りに動く。むしろ魔獣の動きのほうが単調で扱いやすいほどだ。それでもあの鋭利な牙や爪に捕まれば大けがどころでは済まないだろう。


 どうすれば生きられる?どうすれば…。今までに見た魔獣の動きを思い返す。どこかに隙がないか、突破口を探して…賭けに出る事にした。絶対に安全な方法なんてものは見つからなかった。だから、次にあの動きをしてきた時が勝負。


 魔獣が再度飛び掛かってくる。大きな体というのはそれだけで強い武器になる。自分より小さな相手にただぶつける。それだけで多大な損傷を与えることが出来るのだ。


 魔獣は傲慢だった。そして怒り狂っていた。今まで逃げ回っていた相手に突如反撃され、しかも中々の痛手だ。許せることではない。

 その怒りのままに行動し、自分が弱小生物だと侮っていた相手の狙っていた行動をしてしまった。


 飛び掛かってくる魔獣に対して、その体の下を真正面から滑り込んだ。またぐらの下を通り抜け必然、魔獣の背後に位置取ることになる。急いで立ち上がり、振り返ろうとしている魔獣の首めがけ銀槍を突き出した。






「はぁ…はぁ…あ゛~!」


 生きてる。勝った。生き残った。首から血を流し、横たわる魔獣を横目に僕は大の字になって倒れこんでいた。首に突き刺さった銀槍を何とかして引き抜こうと暴れ、その結果傷が広がって出血量を飛躍的に増やし、やがて動かなくなった。極限状態を切り抜け、極度の緊張から解放された僕はこれまた極度の疲労により動けなくなっていた。

 体は動かなくて、だけど心臓の音がはっきりと分かるほどせわしなく動く。


…生きてる。


「クスクス、これから頑張ってね?期待してるわ」


 耳元で囁く妖精の嗤い声を聞きながら重い瞼を閉じていく。あぁ…少しだけ、眠りたい。暗くなっていく僕の視界に、何かが横切ったような気がした。





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近況ノートに表紙イラストを追加しました。

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