第17話


 歪みから出た魔獣は天井を突き破り、吹き抜け沿いの通路にぶつかりながらモールの一階まで落ちていった。


ガラスは飛び散り、コンクリートの破片は散乱し、土煙が上がっている。


「っあれは」


産声を上げた魔獣が辺りを見渡すその視線の先に人がいた。


 それはさっき見た家族だった。姉弟を母親が庇うように抱いていて、そのすぐ隣に倒れている人影がある。父親だろうその人はピクリとも動かない。魔獣が落ちた時に飛んだ瓦礫に当たったのだろうか。

 私の横をたくさんの人が通っていく。魔獣の出現が早いせいで避難が出来ていない。私も、早く逃げなければ。


 魔獣の声に釣られて振り返ってしまった事を後悔した。人が死ぬだろう直前の姿なんて見たくなかった。名前さえ碌に知らないけど、顔を知っている人達が死ぬ所なんて。


 魔獣が歩きだした。あの家族の元へ。猶予は幾ばくもない。見るな、馬鹿な事を考えるな、逃げろ。逃げる人の流れに従う事が正しい。

 少しでも距離を取ろうと背を向けた。あの魔獣に勝てない私にはそれが正解だと分かっている。だというのに、私の頭は違う景色を思い返していた。きっと、あの家族が似ていたからだろう。



***



「食らえー!あっ」


バキ。


煌びやかな装飾の施されたプラスチック製の玩具が男の子に振り下ろされた。


「いだっ!…うわーん!!」


「どうしたの!?」


男の子の泣き声に母親らしき人物が慌ててリビングにくる。


「のぞみが殴ったあ!」


「だってだって、悠ダークプリズナーだもん」


…ごっこ遊びをしていたのだろう。いつも楽しそうに見ているアニメの真似をしているのをよく見た。楽しく遊ぶのはいいけれど、悪いことは悪いと教えなければ。


「だってじゃありません。人に当てちゃダメでしょ!」


「うぅ…わざとじゃないもん…ぐす」


「じゃあ、ごめんなさいしないと。悠のおでこ赤くなってるよ?」


「んぅ、悠当てちゃってごめんなさい」


「…いいよ」


「はい、これで仲直りね。危ないから近くに人がいる時はもの振り回しちゃだめ。分かった?」


「はいお母さん」


「よし。んーちょっと赤くなってるね。一応冷やしとこっか、おいで悠」


「うん」


なんでもない、ただの日常だ。



***



「ほら見て悠!すごいでしょ!」


「あっすごい!咲いてる!」


「ほらフラプリと同じやつ!あっお母さんみて!」


「あら、綺麗ね。希頑張ってたもんね」


 すごいすごいと頭を撫でられて嬉しそうに笑う少女がいた。少女が育てていたのはエーデルワイスとスノウドロップだ。

 日曜日の朝に放送されているアニメ、フラワープリンセス。世界を闇の中に沈めようとする悪の組織ダークプリズナー。花に宿る妖精に力を授かった少女達が力を合わせ、ダークプリズナーに立ち向かっていくストーリー。


 中でもエーデルワイスとスノウドロップは不人気だった。どちらも白いフラワープリンセス、所謂色被りが原因だったのだが、希はこの二人が特に好きだった。二つの花に宿る花言葉、『勇気』と『希望』が自分たちの名前と同じだったからだ。それは単純で陳腐な言葉遊びだったが、少女は二人のプリンセスをこよなく愛し、自分で育ててみたいと両親にねだったのだ。


 献身的な世話のおかげか2種の花々は開花した。少女の瞳は輝いていた。少女の未来は輝いていた。大好きな両親と、血を分けた双子の弟と、憧れている花たちに囲まれた日常。ずっとこんな楽しい日々が続いていくのだと思っていた。



***



「もー悠がキャッチミスるから負けたじゃん!」


それはいつかの放課後。


「希がさっさと当たってたからだし。やーいざーこ」


近所の子供同士で集まってドッヂボールをしたいつもの放課後。


「は?やんの?」


「やんないよばーか」


「まてぇ!」


そういって駆け出した少年を追いかけて、少女もまた走り出した。


ドン!


「いった!」


 少年が角を曲がっている最中後ろから押され、地面にこけた。

 十中八九姉の仕業だろう。年も、生まれた日すらも変わらないが一応姉の仕業。文句を言ってやろうと振り向いた。


「え?」


夕焼けに染まった道の上には、誰もいなかった。


「希ー?先帰ったのかな…」


 不思議に思ったが倒れた隙に横をすり抜けてさっさと行ってしまったのかもしれない。少年はひとまず家に帰ることにした。


「ただいまー」


「お帰り。希は?」


「え?先帰ってないの?」


「まだ帰ってないよ?…希はどうしたの?」


「わかんない」


「…どういうこと?」


 途中まで一緒にいたこと。走って帰ろうとしたこと。走っている途中で背中を押されてこけたこと。希がやったと思って振り返ったら誰もいなかったこと。自分をこかしている内に先に帰ったと考えたことを話した。


 お母さんは黙って何かを考えて僕に部屋でじっとしているようにと言った。そしてどこかに電話をかけ始めた。


 その後すぐに警察の人が家に来た。どんな状況だったのか。どういう風に帰ったのか。お母さんに話したのと同じことを伝えた。


 僕が家に帰ってから1時間がたった。お父さんが慌てた様子で家に帰ってきた。そして僕にケガは無いかと聞いてきた。僕は押されてこけたときに膝が擦りむけたことを言った。お父さんは「そっか、そっか」と言い、お母さんと話し合い始めた。希はまだ帰ってこなかった。


 僕が家に帰ってから2時間がたった。警察の人は更に増えた。帰る時に変な人はいなかったか聞かれたが、誰もいなかったのでいなかったと答えた。希はまだ帰ってこなかった。


 僕が家に帰ってから3時間がたった。ひどい眠気に襲われて僕は眠ってしまった。希は、まだ帰ってこなかった。



***



この時、妙に目覚めがよかったのを覚えている。


「あれ?」


目が覚めると見慣れない白い天井が目に映った。なんでこんなところに?


「悠!?あぁ悠よかった…!」


「おかあ…さん…?どうしたの?」


髪はぼさぼさで、頬が痩せこけていて、目の下が真っ黒になっている。


「あぁっ、よかった。良かった!」


「…」


 なんにも分からなかったけど泣いて抱きしめてくる母親に何も言うことはできず、ただ黙って抱き返した。

 しばらくしてお父さんが来てお母さんを宥めていた。どこかへとお母さんを連れていき、そしてすぐに部屋に戻ってきた。


「悠、起きてくれてよかった。気分はどうだ?」


「気分は…悪くないよ。お母さんはどうしたの?」


「ああ、お母さんはあまり寝てなかったから。今は車で休んでもらってるよ」


「大丈夫かな…」


「悠が起きてくれたから大丈夫だよ」


「そうだ、お父さん、なんで僕はここにいるの?」


「ああ、悠は寝てたんだよ。ここ一ヶ月間、ずっと」


「え?」


一ヶ月寝てた…?僕が?ええと、寝る前は何があったんだっけ。

…あ。


「希は?希は帰ってきたの?」


「希は」


 さすがにもう帰ってきてるだろう。なぜだか分からないけど、一ヶ月も寝てたみたいだし。僕はそう思った。けど、返ってきたのは予想とは真逆の言葉で。


「希はまだ、帰ってないよ」


少女が、柊希が帰ってくることはなかった。



***



 それから2年がたった。前より静かになった家で、僕たちは家族の形をなんとか保っていた。

 おはようも、おやすみも、いってきますも、ただいまも。

 一人分少なくなった挨拶、一人分少なくなったご飯、一人分少なくなった洗濯物、一人分余ったおもちゃや教科書、机、布団、椅子。


 僕は進学して中学生になり、体もずいぶん大きくなった。希が生きていたらどうだっただろうか。僕より背は高かっただろうか、低かっただろうか。それとも、やっぱり双子だし同じくらいだったのだろうか。


「行ってきます」


「うん」


 あれから母さんは行ってらっしゃいと言わなくなった。ただいまといえばおかえりと帰ってくる。けど、行ってらっしゃいと言っている姿は見なくなってしまった。そして、もう二度と見ることも出来なくなった。


 7月3日、夏のよく晴れた暑い日だった。都心から少し外れた中学校に通っていた僕は夏の暑さにうだりながら午後の授業を受けていた。午後2時、どこかで地響きがなった。その時は知る由もなかったが魔獣が日本の地に降り立った瞬間だった。もう10分くらいして授業が終わり、休憩時間に入ってそれぞれが雑談に興じていた。その話題の中には先の地響きもあった。特に気にしていなかったのだが、決して無関係ではないことをすぐに知ることとなる。


 突然校内放送が鳴り響き、グラウンドに集合することとなった。荷物はそのままでいい靴も履き替えなくていい。まるで避難でもするかのようだ。もしくは避難訓練だろうか?そんなことをするとは言ってなかったと思うけど。


 太陽の照り付けるグラウンドに集合させられ、密かに愚痴を言い合う生徒もいた。まぁ要件もいわずに日の下に集めさせられたんだ。その気持ちも分かる。集めるだけ集めさせて、何も言われないのだから猶更だ。そして忙しなく走り回ったり話し合っている教員たちの姿を見て不安を覚え始めた。何か、とんでもないことが起こっているのではないか。


「今日の授業は終わりにします。今親御さんたちに連絡を取っているのでご両親のどちらかが来た人から帰ってください」


 今度こそざわつきが大きくなった。そもそも今は平日の真昼間だ。仕事があるだろうし迎えに来る人は少ないんじゃないか?と思ったのも束の間に次々と生徒が帰り始めた。親が迎えに来たからだろう。本当に、いったい何が起こったんだ?


 ずっと炎天下の中で待たせるわけにもいかないと一旦教室に戻らされることになった。教室に戻って1時間もすると、残っているクラスメイトは半分もいなくなった。2時間も経つと残り7人。3時間、4時間経って僕一人だけになっても、迎えは来なかった。


ああ。なんだか似てるな。と思った


 いつまで待っても、帰ってこなかったあの時と。更にもう1時間たってようやく迎えが来た。父さんだった。そして母さんと再会するのはそのは2週間後になる。判別できるだけ幸運だったみたいだ。身元が判別できない程損傷した遺体が多いというニュースを聞いてそう思った。


暴れた魔獣に巻き込まれて、瓦礫の下敷きになったらしい。





 それから父さんは仕事を辞めてずっと家にいるようになった。僕に対しても外に出るなと言いつけ、一日中家に籠って生活していた。外に出るときは必ず父さんと一緒に外出し、ずっとお互いが視界に入る場所にいて、中学校が再開しても登校することは許されなかった。魔獣災害によって滞ったカリキュラムの補填に小中高大の各学校でもう一年通学期間を増やすだとか、魔法省が新しく設立されたとかそんなニュースが流れていたけど、自分には関係のないどこか遠くの話だと思うようになっていった。


 そんな生活が2年続き、父さんは僕に謝って距離を取るようになった。僕は気にしてないよと言ったけど、父さんは自分が傍にいたら縛り付けてしまうから、自分の傍にいないほうがいい、お前の人生を奪いたくない。そう言って、やっぱり距離を取った。

再就職して、アパートの一室を借りてそこに住むようにしたそうだ。


 そしてこの家には僕一人が残った。一人で住むには広すぎて、家から出たいと父さんに言った。そうして僕も父さんとは別のアパートの一室で暮らすようになった。


 久しぶりに行った学校では奇異の目で見られた。ずっと行ってなかったから、それも仕方のないことなのだろうと思った。



***



 ずっとなんていうほど、長く魔法少女をやっているわけじゃないけど。私はずっと、何のために戦うのか分からなかった。魔獣を倒した所で家族が帰ってくるわけじゃない。命をかけた所で、命をかけてまで守りたいものなんてない。


 成り行き、惰性、義務、なんとなくで私は魔法少女をやっている。だから死が身近にあるものだと知って、死にかけて、挫けた。そして、そんな時出会ったあの家族を見たときに思ってしまった。


 妬ましい。


 あの暖かい空間を知っているからこそ、一人の寒さが際立って、体の芯まで冷やしている。もう行ってきますにも、ただいまにも返ってくる言葉はない。私は寂しかった。だから妬ましかった。私の失くしたモノを持っているあの子たちが。


 けど、壊れてほしくは無かった。私の家族はもう元には戻らない。欠けて、壊れて、崩れてしまって、私は一人で生きている。あの子たちはこれからどうなるのだろうか。あの家族は変わらず四人一緒に生きていくのだろうか。


 人が魔獣なんてものに殺されるのが普通になった世界で、何も失わずに生きていける人がどれだけいるのか。結局、今助けた所でいずれどこかの魔獣災害に巻き込まれるんじゃないだろうか。そんなことは分からない。未来のことなんて分かりはしない。


 確実に分かっていること。それは、今壊れたらもう元には戻らないってことだ。


 これは善意じゃない。ただのエゴだ。あり得たかもしれない未来。あり得た形を目の前で壊されたくない。救うことで救われたいだけ。関係もないのにあの家族を勝手に自分に重ねているだけ。


 でも、それでいい。妬ましくて、羨ましくて、そして、眩しかった。


キラキラしていて、希望に満ちている。そんな未来を守りたいと思う。

 なんのために魔法少女をしているのか分からなかった。死ぬ危険だってあるのに惰性で続けるなんてどうかしてる。だけど、無くしたくないと思った。無くさせたくないと思った。だから、それが理由だ。


 世界を守るだなんて大層な理想を持つことは出来ないし、そんな自分なんて想像出来ない。それでも、一つでも多くの希望を守るために魔法少女を続けよう。私みたいな人間を一人でも少なくするために。それが出来たら、この寒さだって少しは和らげるだろうか。


私は魔法少女。希望の名を冠する者、魔法少女『スノウドロップ』だ。


流れに逆らって走り出す。肩が人とぶつかって、被っていたキャップが飛ばされる。

人混みを抜けて、崩れた3階の吹き抜けから飛び降りる。

指輪を右人差し指に嵌めて叫んだ。



「コネクト!!」



全身を白銀の光が包んだ。

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