第18話


 光が収まる。体は空中にあり、動体視力の向上で景色の動きが緩やかになる。魔法少女の高スペックな体が残り数秒もない落下時間の中で機敏に動く。


右手に一つ、左手に一つ。二つの白銀の流動体を合わせて一本の銀槍を創り出す。


「アアアあ゛ぁ゛!」


「ググゥ゛!?」


 石突近くを持ち穂先の根本が直撃するように振りかぶった。気合と共に振り下ろした銀槍は魔獣の頭と衝突し鈍い音を打ち鳴らす。


 Dランクの甲殻すらも切り裂けなかったことを考えて、斬撃ではなく打撃武器として使ったが効いているのだろうか、それは分からないが、少なくとも脅かせるくらいの事はできたようだ。


「私が相手をしてあげるよ」


 ともかくこれで認識されただろう。襲われそうになっていた家族の反対側、魔獣の落下地点に飛び降り挑発した。幸いなことに私を無視して周囲の抵抗できない人達を襲うことはなく、魔獣が狙い通りにこちらを振り向いた。


 あぁ怖いなぁ…今すぐ何もかも投げ出して逃げたい。警鐘が頭の中で鳴り響いている。だけど、今逃げるわけにはいかない。


 震えそうになる足を叩いて気を保つ。落ち着け、私はこいつを倒す必要はない。というか倒せない。ならばする事は一つだけ。


倒せる魔法少女が来るまで時間を稼ぐ。


 私の仕事はそれだけだ。欲張って攻撃はしない。ひたすら回避と防御のみにリソースを費やす。上から見たところ全長12mくらいの蜥蜴のようなシルエットの魔獣は岩のような鱗が全身を覆っていて、紫黒色の結晶はサメの背びれのように伸びている。

 力と硬さは私じゃ太刀打ち出来なさそうだけど速さだけなら勝てるか。頑強な鎧を全身につけている分動きも鈍いはず。


「やっぱり、大して速くない…!」


 叩きつけられた魔獣の右脚を大きく距離を取って回避する。床が破壊され、破片が飛び散るが魔法少女の体なら細かい破片程度気にする程のものじゃない。

 攻撃が直撃した際の被害は、考えたくもないが無事では済まない事だけは分かる。速くないとは言っても遅いわけじゃない。巨大な体から繰り出される攻撃は見た目の速さよりずっと早く届いてくる。


油断は出来ない。集中しろ。一挙手一投足に目を配れ。


 噛みつきに対してバックステップ。右斜めからの引っ掻きには右に転がって避ける。巨体ゆえに分かりやすい予備動作から繰り出される攻撃を予測しどう避けるかを判断する。


「ふーっ」


 一撃一撃に神経を尖らせ、一撃一撃で精神が削られる。

 ちらりと魔獣の奥に視線を送る。子供は一足に先に避難させたのか姿は見えず見知らぬ男と母親が父親を支えて距離を取っている。さっきまでは見なかった男は知り合いなのか親切心の強い他人か。とにかく救助に手を貸してくれているのは助かる。意識の無い人間を運ぶのは重労働だ、母親一人では出来なかっただろう。ただ、歩みは遅々としてまだ時間がかかる。


 救援はいつ来るだろうか。私が魔獣と対峙してからまだ3分が経ったくらいだ。他の場所に現れた魔獣に対処した後にここに来る。最短でも後15分は覚悟した方がいいか。こっちは直撃したら重症以上、相手に当ててもほぼ無傷のこの戦いをあと15分…。


 つかず離れずの攻防戦、いや、攻は無いから防戦か。それを続けていると不意に動きを止めた魔獣が周囲を見渡した。なんだ?


 見渡した末にある方向で止まる。その先には今まさに玄関から逃げようとしているあの家族の姿が見える。そしてその人たちに向かって歩みを進めていく。

 回避に専念し過ぎて相手にしなくてもいいと思われたのか。


「このっ」


 慌てて追いかけ、銀槍を投げつける。魔法少女の膂力で投げられた槍は一直線に魔獣の後頭部に向かい、あっけなく弾かれた。床に落ちた銀槍がガランと音を立てる。

 傷をつけることは叶わず、だけど注意を引く効果はあったようだ。私の方に振り返ってきている。新しく銀槍を生み出しながら距離を取る。


 こちらへと振り返った魔獣が前傾姿勢になり、前脚で踏みしめられた床に罅が走る。見覚えがあるようなその姿は、そう…まるで、クラウチングスタートのような。はたと気付いた私を見つめるその瞳には、確かに怒気が込められていた。

 首筋に針を刺されるような悪寒が走り、頭の中で警鐘が鳴る。まずい。まずいまずいまずい。ここは、正面はダメだ。


「はやっ!?」


15m程あった距離は一瞬で詰められて眼前には灰色の岩鱗が迫る。


「ぐ、うぅゥ!」


 直前に危険を察知して動き出していたことが幸いした。真っすぐに突っ込んできた魔獣の外側に跳び、それでも避けきれない分は槍を縦に構えて凌ぐ。ガリガリと激しく音が鳴り、銀槍は軋んで火花を散らす。


 大重量の突進は掠っただけでも軽い少女の体を容易に吹き飛ばす。飛ばされた先にあるアクセサリー店の中に突っ込んだ拍子に、並べられている商品がそこかしこに飛び散った。


 莫大な破壊音が周囲の全てを圧倒した。視覚も触覚も嗅覚も味覚も圧倒的な音に搔き消される。都心郊外の土地をふんだんに使われた巨大なショッピングモールとは言っても所詮は建造物の範疇だ。すべてを顧みずに放たれた魔獣の突進は急停止などすることはなく、内壁に衝突した。建物全体が大きく揺れ、はめられたガラスはその全てが砕け散る。


 吹き飛ばされた体が痛いなんて言っている暇はない。飛び起きて壁に突っ込んだ魔獣の動向を探る。


 建物内部に吹き込んだ風に髪が揺れる。立ち上る砂煙が風によって徐々に搔き消され魔獣がその姿を見せる。突進によって破壊された壁は崩れ去り、日の光が魔獣の姿を照らす。


「あっはは…」


 痛みを訴えてくる左腕を無視して笑い飛ばす。というか笑い飛ばさきゃやってられない。困ったことに、周りをうろちょろしてるだけじゃ興味を失って他の獲物を探して襲い掛かっていくらしい。こちらに執着してくれる程度の敵意を持ってもらうためには多少無理してでも攻撃に転じなければならないか。


 受けた衝撃で私の体が悲鳴を上げている。槍を保持していた両腕はもちろん、他にも吹き飛ばされた拍子に叩きつけられた背中だって鈍い痛みを訴えてくる。だけど、死ぬほど痛くても、死んでないならそれでいい。


ひしゃげた銀槍は一度流動体に戻して再構築。傷一つない新品が出来上がる。


「仕切り直しだ」


 魔獣出現から経過した時間は、いまだ5分。救援がいつ来るか分からない以上、まだまだ時間を稼がないといけない。


 前傾姿勢で真っすぐに駆ける。銀槍を突き刺して急停止し、突き刺した銀槍を蹴って右に跳び転がる。取り残された銀槍が叩きつけられた脚によって押しつぶされる。避けていなければあれが自分の姿だっただろう。新しく造った銀槍で魔獣の腕に斬りかかる。

 案の定と言うべきか傷一つ付くことはなく、襲い掛かる追撃から逃れるためにバックステップを踏む。


 右に左に動き回り狙いを絞らせないように立ち回る。無理をしないで魔獣の攻撃直後の隙を狙い槍を叩きつける。もはや刃物としては扱わない。少しでも効果があるように鈍器として使い衝撃を与える。


 今、一番避けなければならない事は魔獣の正面に居座ることだ。もう一度あの突進をされて凌げるとは思えない。そのため、先ほどまでのように大きく距離を取るということが出来ず、当たれば致死に至る魔獣の腕がすぐ隣を掠めていく。


 体の奥が熱い。その熱がドロドロに溶け出して、体中に行き渡る。さっきより早く動く。さっきよりも強く動く。魔法少女としての成長、深化がスノウドロップの動きを上の段階へと押し上げる。


 生きるための意思と動きに付いていこうと魔力が体を駆け巡り、高揚感が脳を染める。


 回避に余裕が増え、攻撃を加える回数が増えていく。相変わらずほとんど効果は無いがさっきまでとは違う。微かにだけど魔獣の岩鱗に傷がついた。


 「このままいける」と、そう思ったのが悪かったのだろうか。視界の右隅で何かが動いた。頭の中で警鐘がガンガンと鳴りとにかく銀槍を右に構えた。


 瞬間、強烈な衝撃が体を襲う。食いしばることなど出来ず、投げられた玩具の様にモールの壁に叩きつけられた。


「かはっ」


 肺の中の空気が強制的に押し出されて、空気を吸い込むことが出来ない。痛みで何も考えられない。視界が滲む。


「ごぷ、はっ…はっ」


口の奥から出てくるそれを吐き出すと少しだけ息を吸えるようになる。

びちゃびちゃと音がして、滲む視界の中に赤色が混じった。


「くぅぅっ…」


 強い痛みに襲われてお腹を抱えて蹲る。

 痛い。痛い痛い痛い。痛みで感覚が塗り潰されているのに、涙が溢れ、頬を伝ってこぼれていくことだけが妙に鮮明に分かった。


 どのくらい痛みに悶えていたのだろうか。自分にはすごく長い時間のように感じられたけど、実際はたいして時間が経っているわけじゃあないんだろうか。


 だけど、状況は待ってくれはしない。滲む視界に影が落ちる。微かに戻った聴覚で聞こえたのは魔獣の唸り声だ。


 蹲った体を起こしてひび割れた壁に背を付ける。

 見上げた魔獣の顔には確かに嘲りがあった。自らの周りを鬱陶しく跳びまわった弱小生物の最後を嗤っているのだろうか。魔獣の右脚がゆっくりと掲げられる。それを叩きつければそれで終わりだろう。潰されたトマトみたいに中身を飛び散らせてそれで御しまい。


 避けないと死んでしまう。そんな簡単な事が分かっているのに体はどうにも動かない。


 というかもう、目を開けている事さえ億劫だ。段々と瞼が落ちて、視界が暗くなっていく。


そういえばこんな事が前にもあったような…。


暗くなった視界の中で映し出される光景があった。






 赤い月が照らす世界の中で魔獣が腕を振り上げている。あれに潰されてしまえば私達は死んでしまうだろう。だけど、これ以上どうしようもない。私達の攻撃は一つも通じなかった。


『たす、け…て』


 腕の中から声が聞こえた。魔獣の攻撃を受けて負傷したパートナーだ。この子を見捨てて逃げれば私だけは生き残れる、かもしれない。そうすべきだ。逃げ出そう。そう心の中で叫ぶ私がいる。…黙ってろ。


 刃こぼれした剣を構える。こんなピンチの時、私の憧れた彼女達はどうするだろうか。そう考えると体の奥が熱く燃え滾る。こんなとこで負けていられない。


私の…。


『私は!』


 体の奥にあるその熱に手を伸ばす。全身に力が漲り、両手に持った剣に輝きが灯る。光が世界を埋め尽くした。






「!!」


 はっと目が覚める。魔獣の脚は振り下ろされ始めている。けれど、何故かその動きは遅い。いや、魔獣だけじゃなく世界がスローモーションになっている。光を反射する埃の動きすらもが妙にはっきりと見えた。


 最後の希望に手を伸ばす。夢か妄想か幻か…これは記憶だ。私じゃない、誰かの記憶。だけど、今はそんなことどうでもいい。何も分からなくても覚えている。体の奥にある熱を掴み取る感覚を。魔法の本当の使い方を。


掴んだ熱が白銀の槍を成す。もはや逃げ場はない。創り出した銀槍を突き出した。

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