第5話 とどろきミルリン
面接が終わると、魔王はすっくと立ちあがった。
「校長先生、お疲れ様。トンちゃん、行くわよ」
「帰る、の間違いだろう?」
「人間界を少しだけ楽しみましょ! トンちゃんには記憶が戻っていない事だし」
思いがけずの観光に、俺はニチャァと笑ってしまった。少々疲れていたので城に帰りたい気分もあったが、せっかく人間界まで来たのだし、特別な事があってもいい。
俺は魔王に付いていき、学校の外へ出る。獣人だと見つからないようフードを目深に被ったが、それでも日差しが眩しかった。
先ほど空から眺めた通り、人間界はごちゃごちゃしている。そして、うるさい程に活き活きだ。なるほどこれが人間なのかという感じで、異文化はとても楽しい。
物珍しく観察していた俺に、魔王が話し掛けてくる。
「トンちゃん大丈夫? 気分でも悪いのかしら?」
「そんな事ないぞ」
「さっきからアタシと会話してくれないから、気になったのよ」
「すまん、この世界に夢中で全然聞こえてなかった」
「もう! トンちゃんったら! ……でもまぁ理解できるわ。私たちの世界――魔界とは全然違うものね」
その時、俺の腹がぐうと鳴った。そういえば、とっくに昼を過ぎている。魔王はその小さな音を聞き逃さなかった。
「何か食べましょ! あっちに行けば色々あるはずよ!」
魔王は視界不良の俺を気遣い、手を繋いでくれた。魔王の手はひんやりしていて、でも気持ちは温かい。
やがて、見晴らしのいい広場に着いた。周囲には小さな店が軒を連ねていて、人間は店で食べ物を貰い――日当たりのいいベンチなどに腰掛け、その味を楽しんでいる。つまりこの店々は小さな屋外食堂という所か。これだけ存在するなら、何を食べるか選びたい放題だ。
「トンちゃん、何にする?」
「いや俺にはさっぱり……城の食べ物なら普通に覚えていたのに、人間界はとんと解らない」
「じゃあトンちゃんが気に入ってた『ふかしイモ』を買ってくるわ!」
魔王がとある店へ行き、思ったよりいい匂いの『ふかしイモ』を持ち帰ってくる。紙袋に入ったそれを魔王は口にし、嬉しそうに微笑んだ。
「魔界には魔界の、人間界には人間界の美味しさがあるわね! さ、トンちゃんもお食べなさい」
ちょうどベンチが空いたので、魔王と俺が腰掛ける。そうして『ふかしイモ』を食べてみた。
「美味い! アデチャに似てるけど、もっとほくほくしていて、塩の加減もちょうどいいな!」
「他にもパムに似た『パン』、『トリニク焼き』――ホント色々あるわ。全部食べましょうね」
「いや! 『ふかしイモ』は腹に溜まった! 魔王のオススメを、あと一つだけ食べる」
「アラそう? じゃあ『りんごのパイ』にしましょうか」
そう言って、魔王が『りんごのパイ』を買いに行く。でも、少々トラブルを起こしているようだ。心配になった俺は、残りの『ふかしイモ』をベンチに置き、魔王の元へ向かった。早く助けなければ。
「ま、まお――いや何でもない、どうした?」
公衆の面前でまさか魔王とは呼べず、かといって魔王の名前も知らないので、どもってしまった。そんな中、魔王はにこにこしている。その向かいで中年の店主が困り果てていた。
「このパイで、こんなに頂けません!」
「いいのよ、細かいのはさっき使っちゃったし……」
「でも王国金貨は頂き過ぎです!」
「アラごめんなさいね……どうしようかしら?」
魔王はしばらく考え、やがてこんなアイディアを出した。
「じゃあ王国金貨の分、みんなに『りんごのパイ』を無料で振舞って頂戴」
「そういう話なら解りました!」
店主は頷き、これで商談は成立したようだ。魔王は店主から『りんごのパイ』を受け取った。ただし大きな紙袋にぎゅむぎゅむ詰めたものを。店主はなるべく魔王に『りんごのパイ』を持ち帰って貰いたいのだろう。
「あらトンちゃん、どうしたの?」
ここでやっと、俺の存在に気付いた魔王。不思議そうな表情を続けているので、俺は言ってやった。
「トラブルに巻き込まれているように見えたから、助けに来た」
「トンちゃん……! アナタは最高の執事よ!」
「いや、本来なら執事の俺が買い物に行くべきだったろ」
「獣人は人間をビックリさせちゃうから、普段もこんな感じよ」
「なるほど……」
俺は目深に被ったままのフードの意味を思い出した。
「さ、早くベンチに戻りましょ! 『りんごのパイ』は温かいうちが最高なのよ!」
そう言われたのでベンチへ移動。さっそく『りんごのパイ』を食す。
「甘酸っぱくて生地がサクサクだ。嗅いだ事のない良い匂いもする。美味い」
「ここの店は、きちんとしたバターを使っているのよ。だから香りがいいの」
そうか、この良い匂いは『バター』という食材から出来ているのか。
「俺たちの世界でも『バター』が作れたらいいのに」
「異文化を持って来るのは大変なのよ。一度やってみたら、『バター』とは似ても似つかぬ味になったわ。人間界に来た時のお楽しみに留めるのが一番ね」
「そうか……」
ローブの中の耳が垂れるのを感じる。それを見て取ったのか、魔王が明るい声を出した。
「この広場ね、色々な事に使われているの。例えば民衆が歌ったり踊ったり」
「へぇ……賑やかそうだな」
「そうよ! アタシは一番最初にそれを見た時、良い意味でのショックを受けてね」
「いい話だな」
「トンちゃんの名前もそこから取ったのよ~」
「そうか、俺の名前は人間界から……興味が湧いた、もう少し聞かせてくれ」
「いいわよ~」
魔王は『りんごのパイ』を食べ終え、ローブに付いたパイの粉をぱたぱたと落としている。それを食べに、名も知らぬ鳥が群がっていた。一方、俺のパイは、まだ半分くらい残っていたが――魔王の話を聞きながら、ゆっくり食べればいい。
そう思っていたのだが、なかなか話は始まらない。そこで魔王の表情を見たら、ただでさえ小さく細い目を、更に細めている。
「懐かしいわね、あの頃――」
魔王が眩しそうに天を仰いでいた。多分、良い意味でのショックを思い出しているのだ。
「……あれは、今日と同じく学校の帰りに寄り道した時だったわ。この広場、ちょうどこのベンチの辺りに、キラキラしたイケメンの男の子たちが歌と踊りを披露していてね――アタシの目は釘付けになったわけ」
「そりゃそうだろうな、魔王はイケメンが好きだし」
「その中でも『とどろきミルリン』っていう子が最高でね。アタシその時、決心したのよ。使い魔を作る場合は、『とどろきミルリン』っていう名前にしようと! でも八文字で長いから、縮めたあだ名が『トンちゃん』!」
俺は口の中のパイをブフォッと噴いた。つまり俺の名前は『とどろきミルリン』なのか。
「いやあ……よかったよ縮めてもらえて。で、俺は魔王を殴っていいのか?」
「え? どうして?」
「名前が不愉快だ」
「城のみんなもアタシにつられてトン様って呼んでるし、何も困らないでしょ……ただまぁ、あの世に行った際、肉体を安置する棺にはフルネームで書いてるけど……じゃないとこの世に戻れない可能性が出るのよ」
「やっぱり殴っていいか?」
ああ、俺は知りたくない事を知ってしまった。なんとも言えない人間界の響き『とどろきミルリン』――俺の本名。
ぶすっとした俺だったが、魔王は飄々としたものだ。二つ目の『りんごのパイ』を食べている。なので、俺の気持ちは解って貰えそうにない。
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