第8話 仕事の息抜き

 とある日のことだ。

 魔王は執務室で仕事をしていた。机の上へ大量に積んである書類にサインするという内容だ。俺は魔王の隣でサポート。執事っぽい感じで過ごしている。

 現在は昼食を摂ってから二時間。ちょうど眠くなる頃合いで、俺は恥ずかしながら少しぼやっとしていた。今ここにベッドがあったら絶対に寝てしまう。

 そんな中、魔王の声が響いた。

「疲れたし眠いわ~! なんかこう、いい気分転換は無いかしら!?」

 俺は声量の大きさにちょっとビクッとしてから、少々考える。気分転換できる場所、仕事中だから近場――。

「そうだな、庭園の散歩はどうだ? 迷路のように整えられた生垣は、遊び心いっぱいの剪定だった」

「……そうね、ちょっと歩きましょ」

 魔王がそう言い立ち上がったので、俺も付いて行かねば。アホみたいに眠いけれど。


 庭園に着くと、魔王は迷路の生垣へ進んだ。

「トンちゃん、この隙間から入って、またここに戻ってくるっていうのを競争しましょうよ」

「魔王の庭園だから、俺に勝ち目は無いぞ」

「庭師に任せっぱなしだもの。迷路をクリアする条件は一緒よ」

 そう言い残すと、魔王は生垣の中に消えた。既に競争は開始されたらしい。

(ここにずっと立っていたら、俺の勝ちになるのかな?)

 一瞬だけ思ったが、魔王が可哀想すぎるので中止。俺も生垣の中に入る。

「へぇ……すごいな」

 生垣の中は本当に迷路だった。濃緑の葉々が遠近感を失わせ、この先を右に曲がろうと歩いてみたら行き止まりだったりする。俺はあっという間に自分がどこに居るのか判らなくなった。

 そこに魔王の声か聞こえてくる。

「トンちゃーん! 調子はどうかしらー!?」

「全然だ! 魔王は!?」

「アタシも全然よー!! すごいわね、この迷路!!」

「同感だ!!」

 何となく独りだと不安なので、魔王の声がした方へ進む。でも行き止まりだ。仕方ない、迂回しなくては。

 迂回路はかなり長かった。懐中時計を見たら、もう一時間近く歩いている。もはや魔王の声も聞こえない。

「魔王!! 魔王ー!」

 俺は魔王を呼んでみる。しかし返事は無い。俺はとても寂しくなってしまった。もう迷路をゲームとして楽しめなさそうだ。なので庭師には大変申し訳ないが、迷路を無視して生垣を突き抜け、一直線に進んだ。迷路さえ抜ければ見知った場所に辿り着けるはずだ。

 しかし、その途中で庭師に会ってしまう。帽子を被ったサイクロプスだ。背がとても高い。手に大きな鋏を持っているから、ちょうど生垣の手入れをしていた所か。

「……申し訳ない、迷路がすごくて完全に迷ってしまい……蛮行に……」

 庭師の単眼がぎょろりと俺を見る。背が高いから、俺が荒らした生垣を全て把握した事だろう。

「すまない、その……」

「いいんですよ、それだけ私の作った迷路が凄かったという話ですから!」

 庭師は胸を張っている。怒らせなくて良かった。

「出口までご案内します、どうぞこちらへ」

 これで助かった。俺は胸を撫で下ろす。


 迷路の終わりは、噴水がある広場だった。相変わらず真ん中に俺の像が建っている。見たくもない。俺は像からふいっと目を逸らし、庭師に礼を言おうとしたら――なんと庭師がひざまづいている。

「どうしたんだ?」

「ト、トン様とは知らず、言葉遣いや振る舞いなど失礼を致しました!」

「なんでいきなり? 最初から俺はトンだが」

「噴水のトン様像で思い出しました! 私は新入りでご無礼を……!」

「いいから、いいから」

 俺は文字通り平身低頭という様子になってしまった庭師に、全く気にしていない旨を伝え続ける。

「あらぁ、トンちゃんと庭師じゃないの。何かあった?」

 そこに魔王が現れる。ただし飛行した状態で。

「魔王! 飛ぶのはずるいぞ!」

「だって独りぼっちが寂しかったんですもの。トンちゃんは無事にクリア出来たみたいで偉いわね~」

「うっ」

 俺の息が詰まる。何とか嘘をつくことも出来そうだが、庭師もいる事だし全てを白状した。

「やだぁトンちゃんも寂しかったの! アタシ嬉しい!」

 俺は魔王にギュッと抱きつかれた。普段だったら抱き返さないが、今日は特別。なので魔王が驚いている。

「よっぽどだったのね、可哀想に……」

「いや! そこの庭師が良い仕事をしていた証だ! 褒めてやってくれ!」

「そうね、庭師さんご苦労様。今後も頑張って頂戴」

 もはや庭師は平伏という勢いだった。顔を上げる機会を失っているようなので、俺たちは立ち去った方がいいだろう。俺は魔王が城の方へ向かうよう促し、噴水広場を後にした。


 城への道すがら。

 話題になるのは、やはり迷路の事だった。

「寂しかったけど、ちょっと面白かったわね~」

「もう二度と行きたくない」

「アタシは挑戦したいわ~」

「魔王は、いざとなったら飛べるからな。俺みたいに生垣を傷つけることも無く脱出だ」

 俺は少しだけ厭味を籠めたつもりだった。でも魔王は気にしない。

「飛ぶのが羨ましいのかしら? トンちゃんも練習してみる?」

「えっ!? 俺も飛べるのか!?」

「判らないわ、だから練習」

「早く教えてくれ!」

 降って湧いた自分の可能性に、ワクワクが止まらない。魔王はニコッと笑い、俺にアドバイスしてきた。

「まずは空をイメージしてね」

「おう! 紫の空! いつも見ているから完璧だ!」

「次、足が浮くよう念じる」

「浮け浮け、浮け浮けー!」

「フフ、口に出さなくてもいいのよ」

 魔王がそう言うので、俺は心の中で浮くように願った。しかし足は地面から動かない。

「う~ん、俺のイメージが悪いのか?」

「試す方法があるわよ」

 ぽん、と魔王が俺の肩に触れる。その途端、俺の足が空中に浮いた。ちょっぴりだけれど。

「ま、魔王! 俺!」

「いま肩から魔力を注入してるの。それで浮くって事はイメージには問題なしで、残念ながら魔力が宿っていないのね」

 一瞬喜んでしまった為、魔王の言葉は非常に残念だった。

「……お絵描きセンスを学んでから、俺を魔力付きに作り直してくれ」

「トンちゃんはオンリーワンって言ったでしょ? 魔力が無くてもアタシが居るから大丈夫よ!」

 確かに俺と魔王は一心同体、魔王が死ねば俺も死ぬし、魔王が蘇れば俺も蘇る。しかも使い魔だから、魔王は俺がどの世界に居ても迎えに来られた。更には住まいが同じ城で、寝床も仕事もお出掛けも一緒。今日みたいに遊びで迷路とか、そんな事をしなければ、離れ離れになる事も無い。

(でも飛んでみたかったな)

 ちょっと残念だが、魔力が宿っていないとはっきり判明したので諦めよう。

「魔王、もういいぞ」

「わかったわ」

 魔王が俺の肩から手を離し、その途端着地した。

(ふわふわ浮いただけでも面白かったので良し!)

 そうは思っても態度に出ていたようで、魔王がこんな事を言いだした。

「明日『わくわく冥界ランド』に行きましょ! 魔力がなくても飛べるアトラクションがあるわよ!」

「なんだそれ」

「冥王が運営してる遊園地ね。色々あって楽しいの。飛ぶ他にも、こう――くるくる回るとか、落ちる手前で止まるとか。食事も風変わりで美味しいわ」

「へぇ……」

 俺の興味がそそられる。その辺りで城に到着した。メイドが俺たちを出迎え、魔王と俺は執務室に。そういえば仕事の真っ最中だった。書類の量を見て、魔王が溜息をつく。

「……これ放置して遊びに行っちゃダメかしら? 明日だけ、明日だけでいいから」

「俺も行きたいのは山々だが、魔王のサインを待っているやつがたくさん居るんだぞ」

「そうねぇ、冥界で遊んでる場合じゃないわ! やる事やって、心置きなく冥界へ行きましょ!」

 仕事が終わるまで何日を要すのか判らないが、頑張っていればいつか終わるはず。俺はその日を心待ちにするのだった。

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