第9話 三人目のオネェ

 魔王が溜っていた仕事を終えたのは、そこから一週間後だった。『わくわく冥王ランド』に行きたかった俺は嬉しくて堪らない。

「お疲れ様、魔王!」

「やっと終わり! まだ夕方だけど寝たいわ!」

「好きなだけ寝たらいいと思う」

「え? なになに? 今からでも『わくわく冥王ランド』に行きたいって?」

「……! 魔王は心も読めるのか!?」

「そんな魔法無いわよ。ただ、この一週間トンちゃんの顔に書いてあったから」

 俺はすっかり見抜かれている。そう思ったら、とても恥ずかしくなった。みっしり毛が生えてなければ、全身真っ赤になっている事だろう。

「魔王、殴っていいか」

「いいわよ! トンちゃんの猫パンチを頂戴!」

 ずいっと近づいてくる魔王。いい度胸だ。俺は猫パンチなどという汚名を返上すべく、魔王の頬を殴った。だが、魔王はびくともしない。試しに引っ搔いたら、傷がみるみる癒えていく。

「……つまらん!」

「アラ、もう諦めたの?」

「魔王とは勝負にならないんだな……使い魔だし当然か」

「そうねぇ……一応アタシ、魔王だから強いのよ。仕方ないわ」

 まぁよくよく考えなくても当然のことだ。しかし、一回くらいは勝って、魔王を悔しがらせたい気分も存在した。

「今度、魔王と俺でも勝負になる遊びを考えよう。迷路みたいに寂しくないやつ」

「確か『わくわく冥王ランド』に、ゲームが置いてあったはず――ええと、魔獣にボールをぶつけると点数が入る……みたいな」

「すごい! 絶対にやろう!」

「フフ、明日行きましょ」

 俺がウキウキしたところで、夕食が用意されたとの知らせが入る。魔王と俺は食事を摂りながら、明日の計画を練った。とりあえず冥王の世界までは三時間も飛ばないといけないので、早起きは決定。冥王にも謁見しないと魔王が怒られてしまうので、それも忘れずにせねば。お土産は魔界にしか生えていなく、冥王が好物というアシャーリーの茶葉になった。

 ざっと決まったところで俺と魔王は湯浴みをし、ベッドの中へ。魔王がすぐに寝て地獄のようないびきを聞かせてくるが、俺はちっとも眠れなかった。うるさい、とかじゃなくて、何というか――ワクワクが止まらなかったのだ。俺は天蓋を見つめ、まだ見ぬ『わくわく冥王ランド』を想像する。でも早起きだから目を瞑ってみては、やっぱり無理かを繰り返し、その結果――。


「魔王様、トン様、お時間でございます」

「……ふぁい……眠い……」

「ヤダわトンちゃん、寝不足?」

 俺は魔王に対し、こくりと頷いた。寝つきが非常に悪かったのは本当で、ついさっき寝たような感覚しかない。

「目も真っ赤ね……『わくわく冥界ランド』は明日に――」

「いや、今日行く。絶対に行く」

 そうしなければ、どうせ今夜も眠れないに決まっているのだ。俺は朝の支度を始めた。そこで、ふと気づく。

「タキシードの他にもローブがあるな」

「冥王ちゃんへの挨拶が終わったら、そっちに着替えなさいな。タキシードで遊園地に行くつもり?」

 俺には『わくわく冥界ランド』で遊ぶ作法は判らない。でもまぁ、行ったことのある魔王が言うのだから間違いないだろう。


 さて。

 とても早い朝食を済ませ、冥王へのお土産と着替えも持って、うきうきの出発である。魔王と俺はメイドたちに見送られ、紫の空を飛ぶ。長いと思った三時間は、逸る心のせいか、魔王と下らない話をしていたせいか、すうっと溶けていった。


 やがて、空が紫から漆黒に変わる。本当に何も見えない真っ黒だ。でも、魔王が高度を落とすと、だんだん明るくなってきた。

「あっちの一番派手な所が『わくわく冥界ランド』よ」

「へぇー……すごく広いな」

「そういえば、全部遊ぶには三日くらい掛かるのよね。適当な宿が取れたら三日遊びましょうか?」

「メイドが心配するから日帰りでいい」

「確かにね~。どこにイケメン勇者が潜んでいるとも限らないわ!」

 そこで魔王がぎゅんと方向転換する。その先には橙色の光がたくさん見えた。

「先に冥王ちゃんへの挨拶を済ませましょ」

「それもそうだな、魔王が来たという噂が立たないうちに行くべきだ」

「本当にそれ! 冥王ちゃん、ちょっと気難しいから」

「……それは初耳だ。記憶の無い俺で大丈夫だろうか?」

「大丈夫よ、アタシがいるもの」

 魔王がウフッと微笑む。執事としては情けないが、今は魔王に縋るしかなかった。


 やがて魔王が、橙色の光に縁取られた広場に着地する。近くには同じく縁取られた城のシルエットが見えた。

 広場にはちょうどメイドがいる。こちらには気づいていないようだ。なので、魔王が声を掛けた。

「こんにちは~、アタシ魔王よ。冥王ちゃんいるかしら?」

「あっ!! これは大変な失礼を!!」

 メイドがすぐにこちらを向き、深く頭を下げる。

「冥王様は城にいらっしゃいます。客間へご案内しますので、どうぞこちらに」

 魔王と俺は、メイドの後を付いていく。暗い足元だった為、メイドが持つランタンで助かった。


 そのまま、しばらく。

 暗い中でもよく見える、大きな両開きの扉に近づいた。うちの城より立派で分厚そうだ。

 そこでメイドが叫ぶ。

「扉係! お開けなさいー! 魔王様がお見えですー!」

 すぐに、しかしゆっくりと扉が開いていく。ゴゴゴという重苦しい音もしていた。かなりの重量感だ。

 やがて、扉を開く係が見えてくる。驚く事に、それは巨大な二匹のオーガだった。

「冥界にも魔獣がいるんだな」

「この子たちは魔界からの短期アルバイトよ。冥王ちゃんが扉の開け閉めに困ってたから」

「こんなに大変なんじゃ、なかなか城の外には出られないな」

「大丈夫よ、裏手に勝手口があるし……ただまぁ来客時はどうしてもね」

「なるほど……」

 会話をしているうちに扉が全開する。魔王は膝をついたオーガたちの頭を撫でていた。

「こんな重たい扉をねぇ。偉いわー!」

「へへ……楽勝でございます」

 二匹ともそう言うので、魔王は褒めちぎっていた。

 そこへ、メイドの声が挟まる。

「客間の支度が出来ました。どうぞ中へお入りくださいませ」

「アラそう? ありがと」

 魔王と俺はメイドに連れられ、思っていたよりずっと豪華な部屋に入った。人間を模した立派な彫像、どうやって織ったのか判らないカーテン、足が沈む絨毯、座り心地の良いソファは革で出来ている。ソファテーブルには大きなランタンと、見たことも無い花々。壁に飾られた絵画も素晴らしい。モチーフは冥界の祭りか何かだろうか。賑やかな様子が俺の目を楽しませてくれる。

 そこに、男性の声が聞こえてきた。

「魔王ちゃんが来るのが判ってるなら、一か月前から毎日パックしたのに! こんな荒れたお肌じゃ恥ずかしくて会えないわ!」

「……この口振り、まさか」

 俺は思わず声に出してしまう。いや待て待て、まだ決定したわけでは無い。

 ある意味で緊張していた俺を置き、魔王が扉の前へ行く。

「冥王ちゃん、急に来てごめんなさいね。メイドさんにアシャーリーの茶葉を渡しておくから、後で楽しんで頂戴」

「ちょっと! わたくしに会わないで本当に帰る気!?」

「だって会えないんでしょう? 丸聞こえよ?」

「嫌よ嫌よ! せっかく魔王ちゃんがそこに居るのに……!」

 なるほど、魔王は冥王が気難しいと言っていたが、こういう事か。確かに気難しい、そして面倒くさい。魔王もそう思ったのか、何も言わずに扉を開く。

「きゃっ!」

 甲高い悲鳴。声質から察するに冥王の物だ。

「お久しぶり、冥王ちゃん」

「もー! 魔王ちゃんったら!」

 冥王は本当に扉のすぐ傍にいたようで、挨拶が済むと入室してくる。俺は執事らしくしようとソファから立ち上がり、魔王が座るだろう席の後ろへ。そこで見た冥王は、やはりというか男性だった。かなりの細身に長い黒髪と黒い瞳、白というより青みがかったような肌。これで間違いない。冥王もオネェである。

(一体この世界はどうなってるんだ!)

 魔王も神王も冥王もオネェ。神王はお膝に拘束してくるし、冥王は面倒くさいタイプ。俺は魔王の使い魔で良かったと心底思った。

 そんな事を考えながら、俺は立ったまま冥王にお辞儀した。冥王からは特別なリアクションが無い。つまり無視だ。冥王は神王と違い、俺に興味が無いらしい。つまり俺は楽を出来る。大変なのは魔王だ。先ほどから冥王おすすめの化粧品やら、このあいだ買ったバッグや洋服やらを大量に見せられて、ついには冥王のファッションショーという勢いになってしまった。

 魔王はちょっとした途切れ目を狙い、俺に話しかけてくる。

「トンちゃん、時間の方は大丈夫かしら?」

「時間? 何の話――」

 そう言いかけた俺だが、数瞬で魔王の意図に気づく。

「……魔王様、そろそろお時間でございます」

「アラそう!? じゃあ名残惜しいけど行きましょ!」

「魔王ちゃんー!! どこに行くの? わたくしも一緒に行くー!」

「うーん『わくわく冥王ランド』でアルバイトしているウチの子たちの慰問なの。冥王ちゃんがいたら委縮しちゃうわ」

 これは初めて聞いたが、魔王は嘘をついていない気がする。事実、冥王城の扉係、オーガの頭を撫でていた。信憑性がある為か、それならば、と冥王は諦めた。

「でも魔王ちゃん、また来てね、絶対よ」

「冥王ちゃんもウチに来て頂戴」

「会うのは、この城がいいわ。外の世界は苦手なの」

「……そうだったわね。じゃあまた」

 メイドに案内され、俺たちはドアの外へ。冥王は見送りもせず、客間で顔を覆っていた。肩が震えていたから泣いているのかもしれない。

「なぁ魔王……泣いて……」

「……トンちゃん、静かに」

 魔王がそう言うので俺は黙る。最初に降り立った広場に着いても沈黙を守っていた。

 魔王から発言の許可が出たのは、飛び始めてからだ。

「あー疲れた! 冥王ちゃん、根は悪い子じゃないんだけど……」

「寂しいのか泣いてたしな……」

「あれ噓泣きよ。気づいたら最後、数時間は粘るわね」

「……そこまで好かれている反面、困ったものだな」

「ええ……『わくわく冥界ランド』で気分を変えましょ!」

 ここからでも見える眩い光の渦に向かい、魔王は速度を出した。

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