第6話 悩みと湯浴み

 何だかんだで夕方になってしまった。あかあかと燃える夕陽が、影という影を長くする。ついでに言えば、少し寒くなってきた。

「魔王、帰ろう」

「……そうね、また来ましょ」

 魔王は『りんごのパイ』の大袋を抱え、人気のない薄暗い路地に入る。もちろん俺も。

 すると魔王は大袋を俺に渡し、背中を向けた。つまり、背中に乗れというジェスチャーだ。俺は遠慮なく大袋ごと乗っかる。

「準備はいいかしら?」

「おう!」

 俺の返事を待って、魔王は空を飛んだ。人間に見つからないよう初っ端からスピードを上げたので、俺のフードか捲れてしまう。あっ、と思ったが、空には俺たちしかいないので大丈夫。視界を奪っていたフードとはサヨナラだ。


 そうして戻った城では、メイドたちの心配そうな表情をたくさん見かけた。魔王の帰りが遅かったから、もしやイケメン勇者に倒されたのではと思っていたようだ。

 そうしたら俺は、魔王のついでに――そのイケメン勇者が死ぬまで、数十年ほどあの世行き。そんな風に魔王は言っていた。寿命が無い魔王には、たかが数十年、されど数十年。人間のメイドからすれば、魔王復活よりも先に死んでしまう可能性があった。だから心配していたのかもしれない。

 そこで、ふと気づく。

(なぜ魔王は人間の少女を働かせているのだろうか?)

 疑問を持った俺は、執務室で仕事をしていた魔王に尋ねてみた。魔王は少しだけ困ったような表情を浮かべる。

「トンちゃんは人間っていうけど、半分以上は魔族なのよ。あとは魔族と人間のハーフね」

「えーっ! なぜみんな人間の恰好をしてるんだ?」

「それがまぁ……その……アタシが悪いの。かなりの昔、一番人間寄りのハーフが落ち込んでたから、とりあえず容姿を褒めたのよ。牙が無くても素敵、って。それが尾ひれをつけまくって、いつしか伝統になり……」

「はあ、なるほど」

「今度は逆に、人間から程遠い魔族が落ち込んで裏方しかしないの。それも伝統になっちゃって、アタシどうしたらいいのかしら……万単位の魔獣を率いるより、城で従事している恐らく百人程度のメイドが面倒くさいわ……」

 魔王は深く深く溜息をついた。本来ならそんな悩みを解決するのは俺の仕事だ。俺は魔王の執事なのだから。

「記憶が戻ったら任せてくれ!」

「……トンちゃんもお手上げ状態だったわ。女心は難しいとか何とか」

 俺は執事失格と言える。でもまぁ、そんなに困っているのなら――抜本的な改革が必要と思えた。

「女心が難しいなら、メイドが辞めた時こんどは男性を雇おう。魔王もイケメンが来たら嬉しいはず……」

「キャーッ! 城は私のお家! イケメンがいたら、緊張しちゃって寛げないわーッ!」

 女心だけでなく、オネェ心も難しいのである。


 いつまでも魔王がじたばたしているので、俺は『りんごのパイ』を厨房や洗濯室などへ持って行った。すると、いかにも魔族という風貌に出会う。俺は敢えて外見に触れず、感謝の印として『りんごのパイ』を渡した。洗濯室のメイドは素直に美味しいと喜んでいたが、厨房の料理人は悔しがる。味を再現したいのに出来ないからだ。でもまぁ探究心は素晴らしいので、こんど人間界に行ったとき、また何か持って来るよと約束した。すると料理人たちは笑顔を見せ、何度も感謝を告げてきた。

 俺としては裏方をもてなしたつもりだったが、今度は表舞台の傍仕えが『りんごのパイ』の話を聞きつけ嫉妬する。このままでは表VS裏の構図も見えてきて、俺は次回の遠征時を思い意気消沈するのであった。ちなみに、この件を魔王へ報告しに行くと、悩み疲れたのかそのままの姿勢で寝ていた。

「魔王、ベッドで寝ろ。執務室は冷える」

「アラ! アタシ寝ていたのね! 寝る前、とても悩んでいたような気がするんだけど……何だったかしら?」

「そ、それは別にいい! さっさとベッドへ――」

「うーん、そうしたいのは山々だけど、明日は早くから天界のお客様が来るのよね。湯浴みくらいしておかないと。トンちゃんも行くわよ」

「魔王と一緒にか!?」

「トンちゃんは背中を流すのが上手でね。いつもお願いしてたのよ」

「でも俺、身体中モフモフだし、毛が抜けて湯浴みの邪魔になりそうな……」

「気にしないで~」

 魔王は俺の右腕を握り、ずんずん歩いて行く。


 湯浴み場は洗濯室の近くにあった。そこにはメイドが待ち構えていて、俺や魔王のローブや下着を剝いでいく。抵抗してもお構いなしだ。

「魔王様、トン様、どうぞごゆっくり」

「ありがとね~」

「湯浴みが終わる頃、また参ります」

 魔王はそれに頷き、俺を伴って湯浴み場の奥へ。

「へぇ……すごく広いんだな。大広間と変わらない感じがする」

 湯浴み場は大きな大きな浴槽と、二十人ほどが使える洗い場に分かれていた。後でメイド達も使うらしいので、決して無駄な広さではない。

「さ、まずは洗いましょ! ……ええっと、トンちゃんが使えるシャンプーはコレね」

 魔王はずらっと並んだボトルから、一つだけ選んだ。おそらく獣人用なのだろう。その証拠にちょっと毛を濡らして泡立てたら、全身もこもこになってしまった。

「アララ、トンちゃんったらシャンプーの使い過ぎよ!」

「俺は山小屋スタートからこの方、初めて湯浴みするんだぞ! シャンプーの適量なんか知った事か!」

「そうね、確かに……あ、トンちゃん背中を頼むわ~」

「……まぁ、やってみる」

 少したるんだ魔王の背中を、渡されたタオルでごしごし擦る。魔王は気持ち良さそうにしていた。

「やっぱり背中を流すのはトンちゃんに限るわね~。メイドの子だと力が足りなくて」

「洗濯室にはドラゴンの少女もいたぞ。力持ちだろうし頼んだらどうだ?」

「トンちゃんの強さが一番だからいいのよ!」

 ざあっと魔王が自分の泡を流す。四、五回流せばすっきりしているが、問題は俺の方だ。どれだけ流しても泡が落ちやしない。

「……浴槽で泳いだらいいんじゃない?」

「そんな事をしたらお湯まで泡だらけになるだろ」

「入れ替えればいいだけよ――それっ!」

「わわっ!」

 俺は魔王により、浴槽へ投げ入れられた。泡の心配をしたが、湯量が多いので大丈夫のようだ。ただ、今度は抜け毛が気になった。

「……俺だけの湯浴み場が欲しいなぁ」

「あるわよ」

「へっ!?」

「だから記憶があるトンちゃんは、絶対にアタシと浴槽に入ってくれないの! 背中を流すだけで!」

 してやられた。でも、こうなったら仕方がない。大量のお湯で泡も消えた事だし。

「ったく……魔王のせいで、びしょ濡れだ」

 俺はぶるぶると頭を振って水分を飛ばした。魔王は俺の姿を見て、まじまじと言う。

「ウフフ、濡れるとトンちゃんは頭でっかちになるのよねぇ……もっと食べたほうがいいわよ!」

「そうなのか? 他の獣人もこんなものじゃないのか?」

「さて、どうかしら? トンちゃん以外の獣人と湯浴みしたこと無いもの」

 そう言いながら、俺の向かいに浸かる魔王。

「いい気分ねぇ……」

「そうだな」

 俺と魔王はゆったりと湯を楽しむ。とても温かかった為、俺はすっかり明日の来客の事など忘れてしまっていた。

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