第4話 初デート その2

 正直に言うと、俺はビビっていた。

 ナイフとフォークで食べるような、財布と精神に優しくない場所に連れて行かれるのではないか、と。

 結論から言えば、完全なる杞憂だったけど。


「……ここかよ」


 俺達がやって来たのは、某牛丼チェーン。

 いつもの真っ赤な看板に、いつも以上の親近感を覚えた。

 早くて安くて美味い。まさに現代のオアシスと呼んでいい場所だが、「前から行ってみたいと思っていた店」と表現する類の店でない事だけは確かだ。


「初めてって事だよな?」

「そうだけど」

「まじかよ。どんな人生歩んできた?」

「友達と食べる時はファストフードとかファミレスが多いし、一人じゃ入りにくいでしょ?」


 女の子あるあるなのか? 普通にカウンターで食ってる女性よく見るけどな。


「とりま、行こうか」

「えぇ、そうしましょ」


 ガラス扉を押して入店すると、二人です、と伝えてテーブル席に。


「……ふぅ、緊張するわね」

「しねぇよ」


 店内が物珍しいのか、キョロキョロと視線が動く。


「桜井」

「何じゃい」

「作法を教えなさい」

「そんなもんはない。頼んで、食って、帰るだけだ」

「そのやり方が分からないんでしょ?」

「普通の店と同じだって」

「ほら、何だっけ……マシマシ?」

「それは二郎系ラーメンなのよ」

「硬め多め濃いめ?」

「それは家系ラーメン。ひょっとして、わざとやってる?」


 ボケてんのか? と思ったので聞いてみると芹沢さんは首を横に振る。


「本当に分からないのよ」

「牛丼にはコールとかないから。強いて言うならつゆだくとかあるけど、初めてだったら普通でいいんじゃない?」


 タッチパネルを取ると、牛丼のページを開いて渡す。


「トッピングしたいならお好みで」

「アンタはやっぱりとろ~り三種のチーズ牛丼?」

「誰がチー牛だコラ」

「ふふっ」


 何ワロてんねん。しばくでワレェ。


「陰キャが全員チー牛頼むわけじゃねぇ……ってか、俺は別に陰キャじゃない」

「そーなの?」

「ずっと引きこもって漫画描いてるだけだ」

「それを陰キャって言うんじゃないの?」

「……違う。俺は陰キャじゃない。ストイックなだけだ」

「確かに、喋ると陰キャっぽくはないわよね」

「せやろ?」

「ま、陽キャでも陰キャでもどっちでもいいけどね」


 お前が始めた話題やろがい! と思うが空腹には逆らえない。サッサと話を進めよ。


「トッピングを決めたら、後はサイドだな。豚汁とか味噌汁、サラダが定番かな」

「草はいらないわ」

「草て」


 その発言に草が生えるんだが。

 牛丼屋でサラダを頼む勢の気持ちが正直よく分からないので理解はするけども。


「よしっ、決めたわ!」

「おっけー」


 俺はネギ玉牛丼と豚汁を選択して。


「何にする?」


 そう聞くと、花が咲いたような笑顔で芹沢さんが答える。


「まぐろのたたき丼で!」

「牛丼頼まねぇのかよ!」




「で、どこに行くんだ?」


 お腹を摩りながら聞くと、DHAを豊富に摂取した芹沢さんは言う。


「劇場よ」

「劇場?」


 オウムのように反芻して、すぐに理解する。

 これから向かう「劇場」では、恐らく漫才のイベントでもあるのだろう。

 あの手この手で、俺の興味を漫才に向ける作戦のようだ。

 意志が変わる可能性は0%だと断言できるが、いやしかし。

 俺の知っている漫才は画面の向こうの世界。生を見るのは初めての経験なので……楽しみだと言わざるを得ない。


「誰のライブなんだ?」

「聞いて驚かないでよね!」


 待ってました、とばかりに見事なドヤ顔で胸を張る芹沢さん。

 ワンピースの胸元が……これでもか! とばかりの主張。まさに曲線美。

 ……まじでデカいな。何レベルだよ、その凶器は。


「おにぎりマンのライブよ!」


 俺のよこしまな思考を掻き消すように、芹沢さんの口が動く。


「まじで?」

「まじよ」

「うわ、超楽しみなんだけど!」


 おにぎりマンは、有名な漫才大会を敗者復活戦から制した事もある、大人気の漫才コンビだ。テレビで見ない日はないくらいの、ガチのトップ芸人である。


「あたしも、ずっと今日を楽しみにしてたのよ!」


 まさに満面の笑み。遠足の日をずっと待っていた子供のような無邪気さだ。


「……」

「どうしたのよ?」


 水を差すようで心苦しいが。


「どんなに面白いライブでも……実際に自分で漫才がしたい! とはならないと思うけど?」

「生の雰囲気を味わったら変わるかもしれないでしょ」

「そうかねぇ」

「そうよ」


 自分がステージに立つ姿がまるで想像できなかった。


「先にチケット、渡しておくわね」

「いくら?」

「別にいいわよ。あたしが誘ったんだし」

「そういう訳にはいかないでしょ。自分の分は払うって」

「本当に大丈夫だから」

「でも」

「次、ゴネたら末代まで呪うわよ」

「……わかった」


 ここは「好意」に甘えよう。

 チケットを受け取ると、そのまま財布にしまった。

 ……ん?


「ってか、何でチケット二枚持ってんの?」


 おにぎりマンのライブチケットなら、事前に入手しているはずなのだ。


「そこ、気付かなくてもいいんだけど」

「彼氏と行く予定だったとか?」

「そんなの、いないわよ」

「またまた」

「いないってば」


 こんな可愛い女の子を放っておくほど、世の男はバカじゃない。

 実際、最初からずっと、幾つもの視線が芹沢さんに向けられているし。


「……相方と行く予定だったのよ」

「相方?」

「そ。解散しちゃったけどね」


 おいおい。それってまさか。


「俺を誘うから……解散したって訳じゃないよな? あはは?」

「そうに決まってるじゃないの」

「うへぇ」

「なんて声出してるのよ」


 そりゃ、変な声も出るだろうて。

 俺を誘うために相方と解散したとか……重すぎるだろ。


「彼女がいるのに、別の女に手は出さないでしょ?」

「……り、理屈はわかる」

「まずは、おにぎりマンのステージを楽しみましょ!」

「……」


 信号が青に変わり、芹沢さんは歩き出すが、立ち止まったままだった俺に気付いて振り返る。


「ほら、何してんの! 早く行くわよっ!」


「あぁ、ごめ……せ、芹沢さんっ!」


 なーによ? と小首を傾げる少女に迫るのは、一台の乗用車。

 赤信号に気付いている様子は微塵も感じられない。

 本能的に「ヤバイ」と察知して駆け出した。


 少女を力の限り突き飛ばすと。


 大きな衝突音。

 俺の体は、宙に浮いていた。


 これが小説なら、俺はチートスキルを入手して異世界に転生する。

 きっと、女の子にモテモテでハーレムを築いて、大金持ちにでもなるんだろう。

 だけど、これは現実なんだ。異世界なんて、ない。


「桜井! 桜井ッ!」


 薄れゆく意識の中、少女の声が聞こえた。

 随分と可愛い声だな……声優さんかVチューバーかねぇ。

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