第10話 濡れてしまいました
「残念だったわね、妹ちゃん」
握手会の最後には、獲得した券の枚数が多かった上位勢で特別ステージがあるのだが、詩織はその場所に立つ事ができなかった。
詩織くらい可愛くても上位に行けないとか、アイドル科のレベル高すぎぃ!
「で、あたし達はどこに向かってるの?」
「体育館裏だけど」
「……果し合いでもしようっての?」
「昔のヤンキーかお前は」
「じゃあ?」
「まぁ、付いてくればわかるよ」
体育館の外壁に沿ってしばらく歩くと、裏口の前にしゃがみ込んだツインテールを見つける。
「詩織はさ、負けるといつもあそこで凹んでるんだ」
「慰めに来たって事?」
「いつもはそっとしておくんだけどさ、今回は僅差だったから」
俺は詩織の小さな背中に呼び掛けた。
「……お兄ちゃん?」
「惜しかったな」
「負けは負けです」
「また次、頑張ろうぜ」
「……はい」
「ほら、これでも食って元気だせ」
手渡したのは、なんの変哲もない板チョコレートだ。
詩織は甘い物、特にチョコが大好物なのだが、カロリーを気にしてほとんど口にしないのである。
「……太ってしまったらもっと順位が下がってしまいます」
「大丈夫だ。このカロリー分は晩飯で調節するから」
「……本当ですか?」
「おう。だから気にせずに食べてもいいんやで?」
ぶっちゃけ、嘘だ。普通にしっかりと、必要カロリーは摂取してもらう。
詩織は何事も頑張り過ぎる性格なので、こうでも言わないと絶対に食べないと俺にはわかっているのだ。
「いつまで凹んでやがる。アイドルは元気が命なんじゃないのかよ」
「うっ……」
「おん?」
「お、おにいちゃぁ~~~ん!」
半泣きで駆け寄ってきた詩織を、胸で受け止める。
「私っ、悔しいですっ!」
「チョコ、食べてまた明日から頑張ろうぜ」
「……は、はい」
「目指せ一位」
「……一位」
詩織の目には、涙が溜まっていく。
一位との票差でも考えたのだろう。
「……ぜっ」
「ぜ?」
「ぜったひ、ひちいはふりでふっ」
絶対、一位は無理です?
「うええええんっ!」
「落ち着いたか?」
「……はい、何とか」
しばらく泣き続けた詩織は、顔を上げた。
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
「何がだ?」
「お兄ちゃんの制服、濡らしてしまいました」
「そんな事」
涙まみれのシャツは、着ていて気持ちのいいもんではないけど。
「詩織の大切な衣装が濡れちゃうよりは全然いいよ」
「……お兄ちゃん」
「うん?」
「衣装は無事でしたけど……」
刹那、俺は感じ取った。
これは……「来た」な、と。
「衣装は無事でしたけど」
「……」
「…………下のお口が濡れてしまいました」
「………………」
詩織の「モード」が切り替わった。
「し、詩織さん?」
「もう……ビショビショです」
詩織は、どういうわけか一人の男として俺の事を好きらしく。
何かの拍子にスイッチが入ると「裏モード」へと人格が変わるのだ。
裏モードの詩織は変態マシーン。こうなった詩織にはどんなメンテナンスも通用しない。
「ど、どういう事かな?」
「お兄ちゃんを受け入れる準備が整ったという事です」
「俺は整ってないのよ!」
「今日はお外ですか……」
「いつもしてるみたいに言うな!」
「アオカンなんて……今日のお兄ちゃんは大胆ですっ」
頬を赤らめながら、自らの肩を抱いてクネクネ。
今回も、妹は絶好調である。
「お外の時は、やっぱり着衣ですか?」
「やっぱりってなんだよ!」
ツッコんで気付く。この場所には俺達以外の人間がいる事に。
「……解散しましょう」
「違うんだ! 俺は無実だっ!」
芹沢さんの誤解を解くのに、たっぷり三十分の時間を要した。
俺を信じる要因となったのが「俺が非童貞に見える?」という言葉なのが非常に残念だけど、妹に手を出す変態野郎と思われるよりは数百倍マシである。
「何となく、分かった気がする」
校門に向かう途中、すっかり陽が落ちて薄暗くなった空の下で芹沢さんが言う。
「何の話?」
「アンタがツッコミ属性になった理由」
「どうゆう事?」
「……あんな変……うぅん、変わった妹ちゃんがいたら普段からツッコミ役なんだろうな、って想像できるじゃない」
変な言いかけましたよね、今。
確実に普通じゃない妹だけど、いい子なんですよ?
「……いつも、あんな感じなの?」
「たまーにスイッチが入るんだよ。月に数回くらいかな」
「……本当に、手は出してないのよね?」
「半裸の芹沢さんに迫られても耐えた男だぞ?」
言い終えてからしまった、と思った。
俺に障害が残ってしまった事と、あの夜の事はお互い触れないようにしてたのに。
「……そうだったわね。信じるわ」
「お、おう」
男って、まじでバカな生き物だ。
あの時の光景を思い出して、つい。芹沢さんの胸を見てしまう。
よく、男の視線に女性は気付いている、なんて言うけど。
芹沢さんは、特に気に掛ける様子もない。
「それじゃあ、また明日ね」
校門に着くと、電車勢の芹沢さんとは解散だ。
「了解」
「ばいばい」
「ん、また明日」
別れの挨拶を交わすと駅に向かって歩き出したけど、芹沢さんは回れ右。
「ん? どったの?」
「さ、さっき思い付いたんだけどね……そ、その」
言いにくい事を言おうとしているのだとわかった。
モジモジした仕草は、いつもの強気な少女とは真逆で。
これがギャップ、というやつなのだろう。
「こ、コン……」
言い淀む少女を、これまでで一番可愛いな、と思った。
「コンビニ?」
「ち、違くて」
「何だよ」
「……コンビ名、なんだけど」
あぁ、そう言えばコンビ名をまだ決めてなかったな。
「言ってみても、いい?」
「そんなに言いにくい事か?」
「アンタが提案する側だと思って考えてみなさいよ」
言われた通りにしてみる。
うん、なるほど。確かに初めて口にするのは恥ずかしいかもしれない。
「言ってみ」
「……笑うのはなしよ」
「それは約束できない」
「えー」
「聞いてみないと分からないだろ」
「……アンタ、変なトコで真面目なのよね」
「真剣に聞くから」
「……わかった」
芹沢さんはスマホを操作すると、すぐに俺のポケットでスマホが振動。
「お、送った」
「この距離でメッセすんなし!」
言いながら、アプリを起動する。
『えれくとりっく』
「えれくとりっく?」
「ど、どうかな?」
初めて見せる髪型の感想を求めるように、上目使いで俺を覗き込む。
「……ッ」
クソ、何なの?
可愛すぎるだろうがボケ。
日が暮れてて良かった。多分、俺は顔真っ赤だよ。
「どう、と聞かれても。どうして「えれくとりっく」?」
「……アンタの漫画読んだ時、電気が走ったって言ったでしょ?」
ほんの少し前の出来事を、もっと昔の事のように感じた。
「電気だからえれくとりっく?」
「そう。響きも可愛いし、いいかなって……ど、どう?」
その目、まじでやめてください。萌えパワーが溜まってしまいます。
「いいと思うよ。強いて言うなら」
「言うなら?」
「えれくとりっく! にしない? あぁ、口頭じゃ一緒か」
俺は猫のアイコンにメッセージを送る。
『えれくとりっく!』
「ビックリマークが付いた方が勢いあっていいかも!」
「だろっ!?」
「うん! じゃあ決まりねっ!」
芹沢さんの笑顔は非常に危険である。
あぁ、なんかお笑いの世界ではコンビ名に「ん」が入ると売れる、みたいな風潮があるみたいだけど、そんな事は知らん。
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