第25話 笑顔
芹沢さんのお父さんと、創作科校舎の正面玄関で向かい合う。
あの時と同じようにスーツ姿の彼は、恐らく俺の用件をわかっているだろう。
……しかし。
「それで、お話というのは?」
対峙していて感じるのは圧力だ。
全く好意のない冷たい目線に怯みそうになるも、俺は左の拳を握り締め、単刀直入に切り出す。
「お願いがあります」
「何でしょうか」
「芹沢さんの事なんですが。どうしても、一緒に行かなければいけませんか?」
お父さんは何も言わずに俺の言葉に耳を傾けている。
「俺達は負けました。それも六位という不甲斐ない結果です」
でも。
「俺達は……ネタを盗まれたんです」
「……ほう?」
「ちょっと因縁のあるコンビがいまして……」
「普通に漫才をしているように見えましたが?」
「あれはアドリブなんです。すべて、ステージ上で考えてやりました」
流石に驚いたようで、目を丸くする。
「ですから……」
事情を話せば何とかなるのではないか。そんな俺の希望は一瞬にして打ち砕かれた。
「どんな理由があったにしろ、結果として貴方達は負けました。笑顔は向こうに連れて行きます」
どう返せばいいのか考えていると、
「お話は終わりですか?」
「え、えっと……」
「この後も仕事が入っていまして。これで失礼しても?」
「……」
俺から返事がない事を確認すると、お父さんは「それでは」と身を翻した。
カツカツ、という革靴の音が少しずつ遠くなっていく。
「……」
やはり俺は何も言えず、ただその背中を見送る事しかできない。
……いや、まだだ。諦めるな。
俺は……どんな手段を使ってでも首を縦に振らせないといけない。
芹沢さんの。
俺が好きになった女の子の「笑顔」を守るために。
「芹沢さんは、泣いていました」
背中に語り掛けると、足音が止まる。
「芹沢さんは、漫才をやめたくないと泣きじゃくっていました」
「……そうですか」
そうですかって何だよ。
お前の娘の話をしてるんだぞ。
今にも怒鳴ってしまいそうになるのを何とか堪える。
「どうして「笑顔」という名前を付けたんですか?」
「貴方にお話しする必要がありますか?」
最初に芹沢さんの名前を聞いた時、俺は両親のどちらかが漫才師なのでは、と思った。でも、それが勘違いだと知った今では分かる。
「娘さんには笑っていて欲しい。そう思って名付けたんじゃないですか?」
「……」
「俺達の漫才、見ていたんですよね?」
「……えぇ」
「漫才をしている時の芹沢さんはどうでしたか?」
俺は畳み掛ける。
「楽しそうに笑っていませんでしたか?」
情に訴えるような、卑怯な説得だ。
でも、俺の脳は、口はどんどん言葉を生成する。
「まだ出会って間もない俺にも分かります。芹沢さんを笑顔にするのは漫才です」
だから。
「お願いします。芹沢さんから漫才を……笑顔を奪わないでくださいっ!」
言い終えると、俺は頭を下げた。
……しばらく地面を見ていても返答は……ない。
これでも駄目か。そんな考えが浮かぶと。
「あたしからもっ! お願いしますっ!」
ソプラノボイスに顔を上げると、すぐ隣に相方がいた。
「芹沢さん?」
「お父さんお願いっ! あたしっ、やっぱり漫才がしたいのっ!」
縋りつくように芹沢さんが言うと、それを後押しするように。
「私からもお願いしますっ!」
振り返ると、そこには詩織がいた。
「「「お願いしますっ!」」」
詩織に続いたのは、決勝前に世話になったアイドル科の生徒達だ。
「お願いします!」
「お願いしゃす!」
「めっちゃ頼んでるやん!」
アップダウンに、ヘップバーン、アフロスイッチに酢醤油。
決勝に出たすべてのコンビもそこにいて……声を張り上げた。
——そして。
「ぼ、僕からもお願いするよっ!」
「わたしからもだよっ!」
ナジミーズの二人、純君と莉子ちゃんだ。
気まずそうに俺達を見た純君は、
「し、知らなかったんだよ! 負けたら海外に行かないといけないなんてっ!」
それはそうだろうけども。
「ぼ、僕はっ……君に相方を取られたのが悔しくて……それでっ!」
「だからってパクりはねーだろ!」
「やりすぎたって思ってるよっ」
まぁ、その話は今度するとして。
「「「「「「お願いしますっ!」」」」」」
示し合わせたかのように、全員揃って頭を下げた。
この場のすべての注目を集めた人物、芹沢祐樹は。
「……くっくっく」
笑って……る?
最初は堪えているようだったが……すぐに大きく口を開けて「爆笑」しだす。
「ははっ、ははははっ!」
あまりに突然のキャラ崩壊。誰も状況を把握する事ができずに唖然とさせられる。
「あ、あのぅ?」俺が言う。
「い、いや、失礼。ですがっ、ふふっ」
お父さんはこれまでとは別人のような無邪気な顔で笑い続けた。
ひとしきりして満足したのだろう。ふぅ、と乱れた呼吸を整える。
「いいでしょう。満足するまで漫才を続けなさい、笑顔」
「……本当にいいの?」
「えぇ、構いませんよ。最初から結果なんてどうでも良かったですし」
「そ、それってどういう意味ですか?」
思わず会話に割って入ると、予想外の言葉が返ってきた。
「そもそも、優勝したら日本に残っていい、という約束を二人とした覚えはありませんから」
「「えっ」」
冷静に思い返してみる。
……確かに、俺が一方的に条件を提示しただけで、お父さんからの了承は……なかった。
「私はただ、笑顔の本気度が知りたかっただけなのです」
つまり、何だ?
芹沢さんがどれだけ真面目に漫才をしているのかチェックしていただけ、と?
「な、なんつーオチだよ……」
体から力が抜けていくのを感じ、地面にへ垂り込んだ。
……いや、ちょっと待てよ?
もし芹沢さんの気持ちを確認するだけなら……。
「どうして俺と会ってすぐ話してくれなかったんですか……」
最初の段階でネタばらししてくれてもよくない?
おかげで……随分と恥ずかしい台詞を……。
思い出すだけで頭がどうにかなりそうだった。
「私には、貴方の事を知る権利があると思いませんか?」
「へ?」
「あまり一緒にいてあげる事はできませんが、私にとって大切な娘です。そんな娘を預けるからには、相方君の人間性を見ておかなければいけないでしょう?」
預けるって……そんな結婚するみたいに言うなよ。
その気持ちは分からないではないけどさ。
「やや青臭くはありますが……。ちゃんと笑顔の事を考えているようですし、及第点としましょう」
お父さんが言い終えると、芹沢さんが呟く。
「……日本に残っても……漫才、続けてもいいんだ」
「そう、みたいだな」
「桜井ッ!」
「うおっ」
飛びついてきた芹沢さんを胸で受け止める。
果物みたいないい匂いと、サラサラした髪の感触。
そして、胸の辺りに感じる、女の子特有の柔らかさ。
……控えめに言って至福なんですけど?
「よーし、胴上げだ!」
芹沢さんに酔いしれていると、誰かがそう言った。
「よしきた!」「みんな走れ!」「よくわかんないけどウチもー!」
そんな声と共に、俺達は包囲された。
「ま、待てっ! 胴上げとかしなくていいから!」
「問答無用だよっ!」
純君は俺の腰に手を回す。
「あっ、そこらめぇ!」
「気持ち悪い奴は……こうだっ!」
俺の体は宙に浮いた。
……トラックに轢かれた時よりは大分……かなりマシだな。
「さぁ、お姉ちゃんも飛びましょう!」
「あ、あたしは本当に大丈夫だからっ! ほらっ、スカートだしっ!」
「こんな事もあろうかと、ジャージを持ってきましたので大丈夫です!」
「用意周到すぎるでしょーがっ!」
「そーいっ!」
「きゃあっ!」
わっしょい! わっしょい!
何度も、何度も宙を舞う。
「せ、芹沢さんっ!」
「あ、あによーっ!?」
「楽しいなっ!」
俺が言うと、少女は笑顔になって。
「ほんのちょっとだけねっ!」
●読んでくれてありがとうございます。
かなり駆け足になってしまいました。
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