第21話 決戦開始
「「どうも、ありがとうございましたぁ!」」
空き教室で揃って頭を下げると、芹沢さんはスマホのタイマーを止めた。
「何分?」俺が聞く。
「三分五十一秒よ。完璧ね」
決勝のネタ時間は四分なので、まさに理想的な仕上がりだといえる。
「よし、じゃあ決戦に向かいますか」
「おっけぇ!」
この大会で優勝できなければ海外に行かなければいけないってのに、芹沢さんには少しも緊張の色が見えない。勝利を確信している。そんな顔だ。
「ネタを飛ばすのだけはやめてよねっ!」
「お、おうよ!」
俺達は長らく世話になったこの場所を後にして、決勝の会場となる漫才科の「お笑いホール」に向かった。
お笑いホールはその名の通り劇場のような場所で、立派なステージと千人のキャパを誇る施設だが……その正面入り口には長蛇の列ができていた。
「結構、一般のお客さんいるのな」
決勝戦は、アイドル科の握手会のように外部のお客さんも参加可能であり、列の半分くらいは私服姿だったのだ。
「今回はいつもより人、多いかも」
「まじか」
「この感じだと、満席になるかもね」
「ひえっ」
満席って事は、千人の前で漫才を披露するって事になる。
……やっべ、想像しただけで口から心臓が飛び出しそうなんだが。
「大丈夫よ。今日はみんなあたし達の漫才を見に来てくれてるんだから。ストリートよりお客さんは多いけど、みんな好意的よ」
「ちゃんと笑ってくれる?」
「あたし達の「牛丼屋」なら絶対大丈夫よ」
芹沢さんの笑顔、心強すぎワロリーヌ。
「ほら、こっちよ」
俺達は関係者用の裏口に回り込むと、決勝進出コンビの控室を目指して廊下を進む。
「お、えれくとりっくだ」「期待してるぞ」「今度はネタ飛ばすなよーツッコミ」
運営に回った生徒達や教員に激励? されつつしばらく歩くと、「控室」の紙が貼られたドアまで辿り着く。
中に入ると、そこにはすでに七組のコンビがいた。
全員一度は俺達を見たが、すぐにネタ合わせに戻っていく。
……いや。
たった一人、純君だけは「俺」を睨んでいた。
ったく、目の敵かよ。
「外で待ちましょうか」「だな」
控室から出ると、向かいの壁に並んで寄り掛かる。
「あ、あの」
ドアが開くと、顔を覗かせた女の子、莉子ちゃんが言った。
「何よ、莉子」
「笑顔ちゃん達って、ネタは何本持ってるの?」
「三本だけど?」
コンビニ、将来の夢、牛丼屋で三本だ。
……俺のマックネタはなかった事にされてるのね。別にいいけどさ。
「そ、そうなんだぁ」
「どうしてそんな事を聞くの?」
小首を傾げた芹沢さんに、莉子ちゃんは「何でもないよ」と答えた。
「ちょっと気になっただけだから」
「そ?」
「じゃ、じゃあ私は戻るね」
「えぇ。どっちが勝っても恨みっこなしよ?」
「う、うん。そうだね」
あはは、とはにかんだ莉子ちゃんは控室へと消えた。
「念のために段取りを確認しますね」
決勝開始直前。
舞台袖に集まった八組のコンビの前で、司会を務める男子生徒が切り出す。
「まず自分がステージに出て、一組ずつ紹介します。それが終わったらそのままネタ順を抽選して、皆さんは一度ここに戻ります。それからは順番通りに呼ぶので、漫才を披露してください」
事前に知っていた内容だ。全員黙って頷く。
「では、時間です。好演を期待しますよ」
明後日の方向を見た司会がゴーサインを出すと、ホールには開幕を告げる軽快なオープニングが流れた。
ステージへと飛び出した司会君は、かなりのハイテンションだ。
「さぁ! 皆様お待たせしました! これより漫才科月例、漫才大会決勝戦を開始します!」
拍手と歓声がホール内に響き渡る。
さっき、袖からちょこっと観客席を見たけど……ガチで満席だったよね。
立ち見客までいたし……。
「早速ですがっ! 見事決勝進出を果たした八組を準決勝の順位と共に紹介したいと思います! まずは第一位! 正統派漫才はお任せ! アップダウン!」
コンビの紹介が続き、会場のボルテージはどんどん高まっていく。
さほど待つ事はなく、いよいよ俺達の番となった。
「お次は……漫才科と創作科、異色の男女コンビ! 誰が呼んだか美女とオタ! 準決勝第七位、えれくとりっくぅー!」
誰がオタだこの野郎!
当然、ツッコミを入れるわけにはいかないので、小走りで階段を昇ってステージへ。
「!!!」
視界に広がるのは人、人、人……そして人だ。
ちょろっと見た時とはまるで違う。二千の目が……俺達に向けられている。
なんて圧力だよ。部屋に籠って漫画を描いてるだけじゃ、こんな体験はできなかったんだろうな、と思う。
……別にしなくてもいい、とも思うけど。
「それでは話を聞いてみましょう。まずはボケの芹沢笑顔さん、意気込みをどうぞ」
マイクを受け取った相方は、
「ボケの芹沢笑顔です。本気で漫才をしているので、厳正な審査をお願いします」
マイクを渡される。え、そんだけ?
……もっとみんな喋ってたよな?
決勝はお客さんの投票で順位が決まるのだ。
少しでもいい印象を持ってもらえるようにギャグのひとつでも言った方が……?
そう、目でアピールすると。
「任せるわ」
小声でボソり。
……クソ、素人に求めすぎだろうが。
「……ツッコミの桜井伊織です。ずっと漫画を描いていましたが、色々あって漫才をする事になりました。オタクの底力を見せたいと思います」
ボケたつもりはなかったんだけど、会場からは相当量の笑いが生まれる。
——鳥肌が立った。
……何、この感覚。
…………こんだけの人を笑わせるのって……まじ気持ち良すぎるっ。
「では、最後のコンビを紹介しましょう!」
悦に浸っていると、マイクを没収される。
「幼馴染の二人が織り成すあるあるネタに酔いしれろ! 準決勝八位通過も男女コンビ! ナジミーズ!」
抽選の結果、俺達えれくとりっく! のネタ順はラストとなった。
「まさかトリとはね」
一旦ステージ袖に引っ込むと、芹沢さんは口元を吊り上げた。
「他のコンビには悪いけど、あたし達の前座として会場を暖めてもらいましょ」
「……どうする? ラストだからまだ時間あるけど、ここで待つ?」
ネタの開始時間にここにいればいいので、裏に引っ込むのも可能だけど。
「みんなのネタを見ましょ」
「そうだな」
どうやら、他のコンビも同じ考えのようで、誰一人としてこの場を動こうとしない。
「準備が整いましたので始めたいと思います! トップバッター、ヘップバーン!」
名前を呼ばれた二人は、頷き合うとステージへ。
「どーもー! ヘップバーンです! 今日は名前だけでも覚えて欲しいんですけども」
……。
…………。
「どう思う?」
五組目のネタが終わると、腕を組んだ相棒が口を開いた。
「誰が一番?」
「トップのヘップバーンも良かったし、次のアフロスイッチも完成度が高いって思ったけど……」
現状のトップは、四番手のアップダウンだろう。
ネタの面白さは勿論、細かい所作なども洗練されていると感じた。
そう告げると。
「あたしも同感よ」
「……俺達、勝てるかな?」
「全力を尽くすしかないわよね」
そんな会話を交わしていると、次が出番であるナジミーズの二人が俺達の真横で足を止めた。
「僕達の渾身のネタ、しっかり見ててよね」
「……そうさせてもらうわ」
「随分自信があるんだな」
俺がそう聞くと、純君は不敵な笑みを浮かべた。
「君達はとても気に入ってくれると思うよ」
「じっくり見させてもらうぜ」
「行くよ、莉子。練習通り頼むよ?」
「わ、分かってるよ、純君っ」
何だろう、莉子ちゃん。緊張してるんだろうか。
さっきもそうだったけど、どこか様子がおかしい……よな?
「さぁ、決勝戦もついに終盤! ナジミーズ! カモンッ!」
二人は他のコンビと同様に視線を合わせ、ステージに飛び出す。
「こんにちは! 私達はナジミーズといいますっ!」
「純と莉子。リアル幼馴染で漫才してます!」
「ねぇ、純君。突然だけど、私ね、最近すっごく気になってるお店があるんだ」
「僕も知ってる店かな?」
「最近バズり始めたから、知らないかも」
「教えて欲しいなぁ。なんてお店?」
「牛丼屋さん、ってお店なんだけど」
莉子ちゃんの台詞を聞いて、ドキリとした。芹沢さんと顔を見合わせる。
口には出さなかったけど、「ネタ被った!?」とお互いが思ったのは理解できた。
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