第6話「初めてだから……できるだけ、優しくして欲しい」

 好きにしていいから。

 そう言われた俺は、生唾をゴクリと飲み込んだ。


「しょ、正気かよ?」


 何とかそう絞り出すと。


「……あたしが差し出せるのは、これしかないから」


 俺は、この少女を好きにできる。

 脳がそれをハッキリと認識すると、体の中の血液が沸騰したかのように全身が熱くなった。少女をベッドに押し倒してしまいたい。そんな衝動が駆け巡る。


「…………ば、バカ言ってんなよ」


 僅かに残されていた理性が言語中枢に働きかける。


「あたしは本気よ」

「……ま、まじか?」


 首が縦に振られるが……俺は奥歯を噛みしめて目を逸らした。


「ふ、服を着ろ」

「……どうして?」

「冷静になれよ」

「……冷静に考えて、これしかないって思ったのよ。あたしがアンタにできる事で一番価値があるでしょ」

「とにかく、服を着ろ」

「……もう、引き下がれない」

「えっ!?」


 気付いたら、芹沢さんに押し倒されていた。

 すぐそばに芹沢さんの顔があり、視線を下げるとそこには前かがみになった事で協調された、深い胸の谷間。嗅覚は甘い、女の子の香りに支配されていて。

 少しでも気を抜いてしまったら……俺は堕ちてしまうだろう。


「やめとけって、まじで」

「あたしじゃ……興奮しない?」


 そんな男はこの世界中、どこを探しても存在しないだろうが、精一杯強がる。


「……し、しないね」

「それは嘘。当たってるもの……か、硬いのが」


 これまでよりもさらに一層、少女は赤面して言う。


「……本当に、いいから。好きにして」

「……」

「は、初めてだから……できるだけ、優しくして欲しい」


 初めてだから優しくして欲しい。

 それ以上に男を殺す台詞は……きっとない。

 ——俺は。


「芹沢さん」

「なぁに?」

「今、ここで君としてしまったら……俺は芹沢さんの初めてを奪ってしまった、と後悔すると思う。ほら、女の子の初めては大切なものだろ?」

「……」

「まじで好きになった人とするべきだ。それは俺じゃない」


 芹沢さんは真っ直ぐに俺を見て、静かに耳を傾けている。


「それにさ」

「うん」

「ここで手を出さなければ好感度爆上がりで、芹沢さんが俺にベタ惚れになるかもしれないだろ? そしたら心も体もゲットで二倍美味しいっしょ!」


 な? と微笑むと、芹沢さんは小さく吹き出した。


「何よそれっ。アンタ、あたしに惚れてたの?」

「別にそういう訳じゃ……せ、セフレとしてキープをだな」

「きも」

「……すいません、冗談です」

「わかってるわよ、ばか」


 ゆっくりと体を起こすと、せっせとブラウスのボタンを留めていく。

 ……勿体ない事をしたかな、などと考えてしまうのは男なら仕方のないだろう。


「かっこつけちゃって」

「はは」

「……でも」


 髪をクルクルと指に巻き付けながら、芹沢さんは言うのだった。


「ありがと」




 アッという間に時間は流れ、しばらく世話になった病室と別れる日になった。

 繰り返される検査や味気ない病院食からの解放である。

 あぁ、ちなみに母さんは俺の退院が決まると「もう大丈夫よね」なんてほざいて国に戻っていった。

 困った事があったら連絡してね、との事だが、お前の息子は指が四本動かないんだぞ? 困った事ばっかりに決まってるだろうが。

 ……放任主義ってレベルじゃねぇぞ。


「忘れ物ない?」

「あぁ、多分大丈夫」


 ナースステーションにて挨拶を済ませ、ほぼ毎日俺の見舞いに来てくれた芹沢さんと病院の正面入口を抜ける。

 バス停に向かっていると、


「願い事、決めた?」


 芹沢さんは「あの日」の翌日、俺にこう告げたのだ。

 なんでもひとつ、お願いを聞いてあげるから考えておいて、と。

 入院中、色々考えたけど思い付かず今日に至る、という次第であります。


「ついさっき決めたよ」

「お、ついに?」

「もう、発表していいの?」

「いいわよ。どんと来なさい!」


 色とりどりの花が植えられた花壇の前で立ち止まる。

 天気もいいし、退院の解放感もある。新しいスタートには絶好の日だ。

 芹沢さん、ともう何度も口にした名前を声に出して、笑う。


「俺と、やんない?」


 いつかの再来だった。立場は正反対だけどな。


「やるって……何を?」

「漫才に決まってるでしょ」

「……本気?」

「そこは「ええええええっ!?」じゃないんかい」

「ちょっとビックリしちゃって。あ、あの時もビックリはしてたのよ?」

「ま、そういう事だから。俺がツッコミで、芹沢さんがボケな? よろしく!」


 左手を差し出すが、芹沢さんは気まずそうに俯いて。


「……漫画、もう描けないからよね?」

「あぁ、勘違いはして欲しくないんだけど、俺の夢はあくまでも漫画家だぞ」

「それって?」

「確かに、俺の右手はもう使い物にならないけどさ、人間には手が二本あるじゃん」


 今はペンを握る事くらいしかできないけど、練習すればきっと使えるようになるはずだ。


「左手で描けるようになるまで、どれくらいの時間が掛かるか分からないけど、無理せずに少しずつ、特訓していこうと思う」

「それまで、あたしと?」

「漫才をするとさ、ギャグとか描く時の参考になると思うし」


 ギャグ漫画に限らず、どの漫画にもお笑いパートが存在する。

 ネタのボキャブラリーが増えるのは間違いない。


「だから、一緒にやろう」


 一度は引っ込めた左手を、もう一度差し出す。


「本当にいいの?」

「俺から頼んでるんだけど」

「じゃ、じゃあ」


 俺達はガッチリと握手を交わした。

 俺が「改めてよろしく」と伝えると、芹沢さんは「笑顔」になって。


「よろしくね、相方っ」

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