第10話 雹再び雪になる。

「大丈夫ですか?」


誰かに話しかけられた。目がぼやけていてよく見えない。声からして女だ。少し甘い匂いがする。柔軟剤やらその類ではない。砂糖。飯だ。飯の匂いだ。バッグらしきものも見える。こいつなら水も持っているかもしれない。のどの渇きがもう限界だ。


死んでしまいそうだ。


「水と何か食べるものをくれ。」


俺はそう言った。伝わっているかどうかはわからない。のどの渇きも尋常ではなかったし。なにせまともなものを食っていない。呂律が回らなくても仕方ないだろう。


すると女は俺に水とコッペパンを寄越してきた。こしあんとマーガリンの甘いやつだ。


配慮からかペットボトルの蓋とパンの袋を開けてくれたので、一気に水を飲みほした後、すぐさまパンに噛り付いた。



うまい。



人の食い物とは思えないほど甘く、安っぽく、下品な味だったが、そんなことはどうでもよかった。本当に人の飯を食ってこなかったからだ。


だいぶ落ち着いてきた。そろそろダンボールを探しに行かなければいけない。俺は立ち上がろうとした。それ以外に方法がなかったからだ。だけど身体が言うことを聞かない。


「救急車を呼びますね。安静にしていてください。」


女はそう言った。

救急車だと?余計なことをするな。病院に行ったら身元がばれる。身元を明かさず診てもらえる医者なんかいるわけがないし、いたとしても救急車とは繋がっていないだろう。


「もう大丈夫だ。救急車は呼ばなくていい。」


俺は気合で立ち上がった。足元が多少ふらつくが、そんなことは慣れっこだ。



「大丈夫じゃなさそうだけど…」


「大丈夫だ。放っておいてくれ。」


うざいやつだ。上辺だけで人と関わる八方美人の馬鹿女。こういう奴を家で何度見たことか。中身のないおだてをすることしか能のない無能。助ける素振りを見せるだけでいざとなったら逃げだす。迷惑な奴だ。さっさと退散して、寝床を見つけないと。


「ごはん…買ってこようか。なにかがあるんでしょ?」


俺ははっとした。なんて察しのいい奴だ。

それに、こいつ

肩書や身分じゃない。

この女、口調や様子からして、馬鹿には違いないが、少なくとも悪い奴ではなさそうだ。


信用するとしよう。


「いいのか?」


「もちろん。なにか食べたいものはある?」


正直なんでもよかった。所持金もわからなかったし、こいつがどんな物を普段食っているのか想像つかなかったからだ。ただ、強烈に腹が減っている。せめて腹にたまるものがいい。


「腹にたまるもの。」


「ちょっとそこで待ってて。動いちゃだめだよー!」


女はすぐさま街のほうへ走っていき、こちらを振り返りながら叫んだ。



数分後、女はレジ袋に溢れんばかりの食料も持ってきた。


あいつは本当にだ。人にここまで親切にされたのは生まれて初めてだ。


警戒する気すら失せてきた。ただ飯を食いたかった。そしてこの女への興味が湧いてきた。


女は俺の隣にレジ袋を置いて、袋を挟むように反対側に座った。


「なにがいいかよくわかんなかったから、いろいろ買ってきた。好きなもの食べていいよ。」


数日ぶりにまともな飯が食える。こいつが普段どんな飯を食っているのか気になった。そしてそれ以上に腹が減った。


一通り袋の中身を見た後、一つの飯が気になった。白飯を握っただけの食べ物。


おにぎりだ。


家を出て初めて食ったものがおにぎりだった。まだ少し金があった頃コンビニでやたら売れていたので、興味をそそった。パンに比べて少し高かったが、食ってみたのだ。


しかも中には鮭があった。なぜかこれだけひと際料金が高かったことを覚えている。当時は塩辛くてとても食えたものじゃなかったが、逆に印象的だった。


「うまい。」


やはり塩辛かった。だが、疲れた身体に良く染みる。


涙が出てきた。


「よかった。」


屈託のない笑顔だった。ここまで裏のない女の笑顔を初めて見た気がする。

こいつは本心で笑っているようだ。


「私、日向っていうの。桜庭日向。あなたお名前は?」


「幸仁」


「幸仁くんね。苗字は?」


「言えない。」


「そっか。」


名前だけ答えても詮索してこない、変わった奴だ。だがやはり悪い奴じゃない。

それから少しのあいだ彼女と話した。

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