第20話 雨と雪は混じり合う
「そこ、僕の家だから。」
彼は目を丸にしてこちらを見た。
事情を聴くことすら面倒だったから、僕は彼を跨いで家に入ることにした。
彼は少し驚いていたが、すぐにそっぽを向いた。きっと決闘に夢中なのだろう。
今日は雨が激しい。空腹ではあるが、耐えられないほどでは無い。買いに行こうにも、彼が家の外で決闘中だ。邪魔したら申し訳ない。
だが、決闘にしては静かだ。お互い手練れ故に、様子を伺って牽制しあっているのか?
少し興味が出てきたから、窓から覗いてみた。しかし、彼はドアに寄り掛かったままで、今にも息絶えそうなままだ。家の前で死んでもらってはさすがに面倒だ。
ドアを開けると、彼が寄り掛かっていたため、こちらに倒れこんだ。
目が合った。目が丸どころか点である。とても間抜けな顔だ。ちょっと面白い。
悪人ではなさそうだ。僕は少し勇気を出して彼に訊ねてみた。
「君は一体何と決闘するつもりなの?」
「え?」
「君は誰かと決闘をしてるんだろう?」
「…お前は………何を言っているんだ。」
絶句していた。何故?
彼は闘いの最中ではなかったのか。
確かに周囲に敵はいなさそうだ。
精神世界の中で己との闘いを行っているのならその限りではないが、話しぶりからしてそのようではない。
とにかく死なれては困る。
「そんな格好してると、君、死ぬよ。」
実に間抜けな顔だ。
「誰とも戦っていないのであれば、家に入る?」
「…ありがとう。そうさせてもらう。」
彼は小さな声で感謝の意を述べた後、家にあがった。
とりあえず、毛布と替えの服を貸した。寒そうだったから。
「あったかいな。こんなにあったかい毛布は生まれて初めてだ。」
この少年は何を言っているんだ。
毛布とはいえボロボロの毛布だ。穴だらけだし、少々汚れている。だが彼は確かにそう言ったのだ。彼は涙ぐんでいた。
「君の家に毛布はないのか?」
「毛布くらい…あった……」
「君はもっと苦しい生活を強いられているのか?」
「あぁ、苦しかったさ。物質的には豊かだったが、俺は貧困も同然だった。」
「君は唯心論者なのか?」
「そういうことじゃない。」
彼は空気を読めと言わんばかりに怒り気味に言った。
先ほどの涙はどこかに行ったようだ。
変わった人だな。でもやはり、先ほどのように敵意は感じない。
「お前はずっとこんな暮らしをしているのか?」
「失礼な人だね。生まれた時からずっとそうさ。」
「酷い暮らしだな。」
「僕にとってはこれが普通なんだ。」
「普通か………福沢諭吉に聞かせてやりたいな。」
「『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』かい?それは違う。
『造らずと言へり』だ。引用しただけで彼自身は言っていない。」
「”アメリカ独立宣言”の序文だとか言うつもりか?面倒な奴だな。」
僕は驚いた。まさか返してくるとは思わなかったから。
「仕方ないだろ?世の中勝ったほうが偉い。力あるものが正義なんだから。」
「今度はパスカルか。『大衆の反逆』で返せば満足か?」
少年は存外、教養ある人間だったようだ。おそらく年下だし、ホームレスの様な恰好ではあるが、その中身は同級生、ないし大人をも凌駕する学の持ち主なのかもしれない。
「驚いたような顔だな。生憎俺は休む暇もなく読まさせていたからな。お前はなぜそんなもん読んでんだ?」
「暇だったから。」
「なら俺たちは真逆だな。」
彼は笑いながらそう言った。
「暇でできるなら、それは才能だ。お前は大学で学ぶといい。『人生に暇はない』だろ?」
彼は『自助論』を引用してそう言ってきた。
才能?何を馬鹿げたことを言っているんだ。桜庭さんもそんなことを言っていたが、才能とはもっと卓越したもののはずだ。それに大学にいけないこと位みてわからないのか。僕は少し苛立った。
「何を言っているんだ。」
「大学に行け、と言ったんだ。金なら俺が出す。」
余りの寒さで頭がおかしくなったのだろうか。
「君に何が出来るんだ?」
「何だってできるさ。」
彼は悪事を思いついた顔でそう言った。だが、それでもその眼には何とも言えない悲しさが宿っていた。
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