第9話  本当の名前、本当の気持ち。

 

 戻ったロティアナは、アルテと共に待っていたクレッサに頭を下げてから、理由を説明した。


「わたくしは、ロティアナではありません。アディルクレッサは、おそらく、貴女の、本当のお母様なのでしょう。……貴女こそが、ロティアナなのです」


 そう告げて目を伏せると、眉根を寄せて話を聞いていたクレッサが、ふん、と鼻を鳴らして腰に手を当てる。



「何だ、そんなこと」



「え……?」


 予想外の反応に顔を上げると、そこには彼女の呆れ顔があった。


「アディルクレッサが、あたしの本当の母親ね……それが本当なら|嬉しい(・・・)話だけど、あんた、勘違いしてるわよ」

「どういう、ことでしょう……?」


「あたしは、ロティアナじゃないわ。それは、あんたの名前よ」


 予想外の返答に、ロティアナは戸惑う。


「ですが……」

「アディルクレッサが拾った子どもを昔育ててたことは、あたしも聞いてたわ」


 クレッサは、どこか複雑そうな目をしながらも、淡々と言葉を重ねる。


「『拾った子を可愛がってたけど、無理やり奪われた』ってね。『無事だと良いけど』って心配してた」


 そして彼女は何故か、リザルドとアルテをジロリと一瞥してから、ボソリと付け加える。


「……あの人は『娘を奪った奴らに、命を狙われて逃げてきた』って言ってたわ」


 兄弟が、その言葉に目を見交わすけれど、ロティアナはそれどころではなかった。


 ーーーお母さんが、命を?


「それは……お父様、が……?」

「万一にもあんたが逃げ出さないように、その先を潰そうとしたんでしょうね。最悪な父親だわ。……王族が何も関与してなきゃ、だけど」

「兄上、知ってる?」

「いや。……だが、事実であるのなら、見逃していい話ではないな。私は、|母親が自発的に(・・・・・・・)|姿を消した(・・・・・)と聞いている」

「なるほど。こちらの陣営に、まだ教会の犬がいるのかな?」


 アルテが酷薄な笑みを浮かべるのに、リザルドは首を横に振る。


「何年前の話だと思っている? 関与していたとしても、もうとっくに|消えている(・・・・・)だろう」

「そうかな……? 念のために、当時その報告に関わった人間を洗い直した方がいいんじゃないの?」


 すると、ロティアナ達が二人のやり取りに耳を傾けているのに気づき、リザルドが話を切り上げた。


「済まない。父親の始末はこちらでつけるから、気にしなくていい。クレッサは、まだ話の続きがあるんだろう?」


 リザルドの言葉は何か物騒な意味を含んでいそうだったけれど、ロティアナはあえて考えないようにした。


 薄情かもしれない。

 けれど、アディルクレッサの命を狙ったと言うのなら、今まで『実の父親だから』と言い聞かせて持とうとしていた情すらも、霧散してしまっていた。


「じゃ、話を戻すわね。ロティアナっていう名前は、あの人が、『拾った子どもにつけた』名前なの。つまり、あんたの名前で間違いないのよ」

「……!」


「あんたはあの人にとって、攫われた子どもの代わりなんかじゃ、ないわ」


 クレッサの茶色の瞳は、初めて出会った時と変わらなかった。


 強い力を秘めた、揺れない視線。

 今は化粧で隠されていて、うっすらと浮かぶだけだけれど、日焼けにそばかす、たくさんの傷跡が肌に刻まれた少女。

 

 容姿は一つも似ていないけれど……その言葉を紡ぐ彼女に、アディルクレッサの笑顔が重なった。


 ーーーお母さん。


「その名前は、ちゃんとあんたに付けられた名前なの。あんたは、あんたとして愛されていたのよ」


 口をへの字に曲げて、ぶっちょ面で。

 でも、口にしたのは、確かにロティアナを思い遣った、真摯な言葉で。


「貴族の娘ではないかもしれないけど、あんたは、アディルクレッサの娘だわ」


 止めたはずの涙が、また溢れそうになって、思わず顔を両手で覆う。


「……お母さん……!!」


 死んだことを聞いたばかりで。

 心についた傷なんて、まだ全然癒える気配なんてなくて。


 だけど、クレッサに告げられた言葉は、|ただ(・・)|その死を悲しむこと(・・・・・・・・・)を、許してくれる言葉で。

 

 その真っ直ぐさが、人の心を、救うのだろう。


 クレッサは、聖女だ。

 他の誰にとってそうでなかったとしても、彼女は間違いなく、ロティアナにとっての聖女だった。


 イメージは違うけれど。

 苛烈で、ぶっきらぼうで、尖っているけれど。


 多くの民衆に寄り添い救う人、というのは、きっと本当は、彼女のような人なのだ。


 クレッサが近づいて来る気配がして、強く、肩を叩かれる。

 

「胸を張りなさい。あんたもあたしと同じように、アディルクレッサに名を貰ったんでしょう?」

「はぃ……」

「その上、ウルティミア様の後を継いでるんだから、いつまでもウジウジグジグジメソメソするんじゃねーわよ!」

「はい……」

「あたしと一緒に教会の上に立って、しかもあんたは王妃になるんでしょうが! ちょっとは期待してるんだから、ガッカリさせないでよね!」

「はい! ……はい?」


 うっかり、返事をしてしまったけれど。

 

 ーーー期待。


 クレッサが? 

 誰に?


「何よ?」


 まだ認めてないわよ、とでも言いたげにプイッとそっぽを向く彼女に、ロティアナはそっと涙を拭ってから、微笑む。


「ありがとうございます、クレッサ様。もう、泣きません」

「分かれば良いのよ! ったく、手間が掛かるんだから! だから嫌だったのよ、あんたと組むのは!」

「申し訳ありません……」

「すぐ謝るのも敬語も、いい加減やめなさいよ! むず痒いんだから!」


 次から次へと悪態をつくクレッサに。

 ロティアナは、いつの間にか、ほんの少しだけ気持ちが軽くなっていた。


※※※


 そうして、リザルドとロティアナが退出した後。

 ふぅ、と深く息を吐いたクレッサに、アルテが静かに声を掛けてくる。


「クレッサ」

「何よ」


 振り向かないまま答えると、アルテにそっと肩を抱かれて、耳元で囁かれる。


「君も、泣きたかったら思い切り泣いていいんだよ」

「……何の話よ?」


 強がる声が、震えてしまう。


 ーーー何で分かるのよ。


「頑張ったね」


 そう言われたら、もう、無理だった。


「っ……う、ぅう……わぁぁあああああああ!!」


 拳を握って涙を堪えていたクレッサは、振り向いてアルテに抱きつくと、その胸に顔を押し付ける。


 ーーーアディルクレッサ……ッ!!


 まさか。

 まさか貴女が、わたしの本物のお母さんかもしれない、なんて。


 ーーー聞きたくなかった!


『アタシさぁ、自分の娘に、どうしても自分の名前と同じ字をつけたかったんだよねぇ。赤毛で、茶色い目をした赤ん坊だったんだ……』


 アンタに似てるね、と、彼女は青白い顔で、笑った。


 ーーー聞きたくなかったッ!!


『だから、あげるよ。あたしの、一人目の娘の名前。今日から、あんたはクレッサだよ』


 ーーーあたしの、名前だった……!!


 そんな奇跡があるのだろうか。

 アディルクレッサが、本当のお母さんだったなんて。

 そんな奇跡が、本当に。


 だけど。


「あたしは……あたしは……!」


 思い切り爪を立てて、アルテの背中を握る。

 ぽたぽたと、彼の服に、涙が染み込んで、跡が広がっていく。


「頑張った。君は頑張ったよ、クレッサ。……だから、責めちゃダメだ。自分を責めるな」

「あたしはぁ……ッ!!」


 それは、心の底からの、後悔。



「アディルクレッサを、救えなかった……!! 本当のお母さんかもしれないのに……ッ!!」



 クレッサを庇った彼女を貫いたのは、毒矢だったのだ。

 まだほんの覚えたてだったクレッサの治癒の力では、彼女を救うことが出来なかった。


 ロティアナの告白は、その傷を新たに抉り抜いた。


 後悔に押し潰されそうだった。

 それでも、ロティアナに涙を見せるのは、嫌で。


 そんなクレッサの強がりを、アルテは見抜いていた。


「贖罪だったんだろう? 君が無茶をしたもう一つの理由は。……彼女を救えなかったことへの」


 アルテの問いに、その胸に顔を押し付けながら嗚咽していると。


「でも、聞いて、クレッサ。きっと彼女はこう思っている筈だ」


 背中をそっと撫でられながら、穏やかな声で慰められる。


「君が本当の子であってもなくても……名を与えた君が、健やかに生きることを、望んでいるはずだ。アディルクレッサが、ロティアナを慈しんだ女性なら。ウルティミアの行動に共感して、君を救った女性なら」


 ーーーきっと彼女の気持ちは、僕の気持ちと同じ筈だ。


 それだけを告げて、アルテは。

 クレッサが泣き止むまでずっと、背中を撫で続けてくれた。

 

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