終話 聖女として。


「……今さら、どうなさいましたかな?」


 貴人牢として用意されている部屋の中で、教皇フェリヘルテ・ドーンはベッドに腰掛けていた。


 陛下よりも老齢の男性であり、教会のローブを着ている。

 それも贅沢なものではなく普段着のような、かつてのクレッサと変わらないような代物だった。


 細身であり、白髪の多い髪は額がだいぶ後退していた。

 しかし、憔悴した様子はなく、どちらかと言えば落ち着いている。


 豊かな髭を蓄えた口元には微笑みすら湛え、優しげな面差しに、思慮深そうな光を宿す青い瞳。


 ーーーこいつが、教皇?


 イメージと違う教皇の姿に、クレッサは戸惑った。

 最初に、陛下やアルテに出会った場で噛みついて来た枢機卿はでっぷりと肥え太り、富と腐敗の象徴のような姿をしていたのに。


「聖女クレッサが、一度、話をしてみたいと」


 リザルドが短く告げると、彼がこちらに目を向ける。

 そうして、ジッとクレッサの顔を見つめた後、微かに首を傾げた。


「クレッサ……」


 名前を口で転がされて、目を細める。


「ええ。あたしの名前は、クレッサよ。それがどうしたの?」

「いいえ、特に。それで、何がお聞きになりたいのです?」

「決まってるじゃない。何で武器を撒いて、争いを煽るような真似をしたのか、よ」


 するとフェリヘルテは、静かに頷いて、答えを口にした。



「民が、飢えぬ為に、ですよ」



「……どういう意味?」

「そのままの意味です。貴女は、飢えたことはございませんか? この辺りで、痩せた土地がどれ程あるか。そのような土地に住む者たちがどれほどいるか。そうしたことをご存知でしょうか」

「……それが、どうしたのよ?」

「彼らの口にするものを賄うのに、どれほどの財が必要であるか……殿下方なら、ご存知かとも思いますが」


 フェリヘルテの言葉に、アルテが冷たい目で応える。


「理解しているよ。それが、どうしたんだい?」

「我ら神の使徒は、そうした人々に手を差し伸べる……しかし、それにも限界があるのです」

「その手段が、死の商人かい?」


 彼の問いかけに、フェリヘルテは微笑みながら息を吐いた。

 

「ええ、手段です。民への施しを行う金銭を得る手段、痩せた土地を開拓する為の金銭を得る手段……そして救うべき・・・・民を救う為の・・・・・・手段です」

「戦争によって苦しむ人々を増やすことを、正当化するつもりなの!?」


 クレッサが吼えると、フェリヘルテはジッとこちらを見つめる。

 胸に下げた十字架を節くれだった手で握り、静かに問い返してくる。


「貴女は、戦争で傷を負い、救えぬ者を神の御許へ送ったことはございませんか? 苦しみが長引くと分かっていて、安楽の選択を与えたことは。苦しみが長引くのなら、御許へ旅立つが救いなのではと、考えたことはございませんか?」

「……っ」


 思わず、言葉に詰まる。

 『いっそ殺してくれ』と、痛みに耐えかねた人の苦しみを和らげることすら出来なかった時に仲間が『慈悲』を与えるのを、止められなかったことは、あった。


 クレッサには限界があった。

 ウルティミア・フォレッソを名乗っていても、決してアルテやミーア様の持つ力は持たなかったから。


 だから、救えない人に手を下した者を、責めることは出来なかった。

 力を使い過ぎて気絶していた間に、失われた命も、当然ある。


「その行いが罪である、と、感じることもあるでしょう。しかし、現世の苦しみを長引かせず、神の御許へ赴けたことに安堵を覚えたこともある筈です」

「論をすり替えるのですか!?」


 思わず、といった様子で、ロティアナが口を挟む。


「ク、クレッサ様は、戦争を起こした訳ではありません! 人々に癒しが届かなかったことと、貴方のなさったことは、違います! 戦争は、民に苦しみを与える行為そのものではないですか!」

「ロティアナ……」


 その言葉の強さに、クレッサは目を丸くした。

 気弱で、出会った時には反論すら出来なかった彼女から比べれば、その意見を口にしたことそのものが驚きだったのだ。

 

「聖女ロティアナ。……形ばかりの属人の救済が、何になると貴女はお思いでしょう?」

「……属人、の……?」

「ええ。貴女は象徴でした。神の遣わした奇跡の体現として、人々の心の拠り所となること、それが貴女に求められていたことであり……治癒の力そのものが、重要だった訳ではないのですよ」


 フェリヘルテは、責めるでもなく、事実を語るように、教導するように、柔らかな口調で続ける。


「あなた方は。癒した人々がその後どうなるかを、救われた人々の行く末を、考えたことがございますかな。人が増え過ぎれば、どうなるかを、真剣に」

「何を言っているの?」


 クレッサには、意味が分からなかった。

 彼は先ほどから、問いに対して真剣に答えていないのではないかとすら錯覚する。


「あたし達がやっていたことを、何が悪いと思ってるのか、ハッキリ言ったらどう!?」

「最初に述べました通りです。現世において、人が減らず、癒し、現世でその場限りの救いを与えることで……飢える・・・のです」


 フェリヘルテは、今度はリザルドに目を向ける。


「殿下ならば、お分かりかと思いますが。作物も、獣も、財も、無限ではない……人が増えれば、その分、一人一人の食い扶持は減っていく……無いものを施すことは、人には出来ぬのです」

「……それが、貴殿の『救い』か」


 リザルドの問いかけに、フェリヘルテは小さく頷いた。


「治癒の力で、その場限りの救いを与えて、何になるというのです? やがて飢え死ぬ為に生きることが、本当に人々の救いとなるのですか?」

「アルテとミーア様の行いを、否定するの!?」

「では、ウルティミアの行った救いが、何を救ったのか……貴女は答えることが出来ますか、クレッサ様。強大な治癒の力がもたらされた後、戦争は終わりましたか。その加護がなくなった時……前線の人々は、貴女ご自身は、どう思われました。……失われた・・・・と、そう思ったのではありませんか」

「……っ!」


 クレッサは歯噛みした。


 そんなことはない、と否定するのは簡単だけれど。

 確かにあの時、クレッサはそう思ったのだ。


「与えられていたものが消えれば、その先に待つのは『あった頃』を知る苦しみです。人は老い、やがて死ぬ……人による救済など、そうした、ひとときの淡く儚いものでしかないのです」


 フェリヘルテは、十字架を握ったまま、虚空を見上げる。


「故に、飢える者を少しでも減らす……その程度のことしか出来ぬからこそ、聖女の力を乱用せぬよう、先人は教義を作ったのですよ。貴族の娘だけが聖女となれ、その力を使えることにすれば……手が届かぬものと、諦めもつきましょう」

「間違ってるわ!」


 クレッサは叫んだ。

 

 きっと、彼の言うことは、一面では正しいのだろう。

 クレッサには分からないような、大きな視点では。


「飢える苦しみが少し減ったからって、目の前で大切な人が傷つき、その人を失う悲しみが減る訳ではないのよ! 飢えて苦しんでも、大切な人と共に生きたいと願う人々に、あんたが苦しみを与えてるのよ!」


 どちらが良いかなど、誰にも分からない筈だ。

 けれどやはり、フェリヘルテは動じない。


「貧村で食べ物が足りない時に『間引き』という言葉で、子や老いた親を殺すことが、行われていることは知っておりますか? ……敵によって家族を失う苦しみと、自ら手を下さねばならぬ苦しみと……どちらがより良いと思われますか?」

「飢えないようにしたら良いでしょう!!」


 クレッサは、我慢できなかった。

 そうして叫んだのは、考えて出た言葉ではなかったけれど。


 ーーーそれが、クレッサにとっての答えである気がした。


「痩せた土地を豊かにして、誰でも食べ物を食べれるようにしたら、良いじゃない! 何でそっちに力を使わないの!? 目の前のことしか考えていないのは、あんただわ!」

「それは、未来の豊かさの為に、今生きる者たちに苦しむことを強いるということです。そして、ただの理想に過ぎません。貴女の今口にしたやり方がなし得るまでの人々の苦しみと、これまでの教会の行いは、同じこと。戦死を選ぶか、飢えを選ぶか……どちらを選ぶかの差でしか、ないのです」

「それでも……生きる方が、良いに決まってるわ!」


 クレッサは死にたくなかった。

 道端で熱に冒されている時も、死にたくなんてなかったのだ。


「あたし達は、その苦しみを取り除くために戦うのよ! 苦しいのは仕方ない、なんて、思っていても何も始まらないじゃない! アルテが、ミーア様が、リザルド殿下が、国王陛下が、ルルナ将軍がーーー」


 苦しいから死にたいと思ったとしても、本当に死の間際になって怖くない人なんて、きっとどこにもいない。


「ーーーアディルクレッサが、人を救おうと動いたのは! 誰も諦めていなかったからだわ!」


 するとそこで、初めてフェリヘルテの笑みが消えた。


「やはり……貴女は、あの子の……」

「教皇猊下は、アディルクレッサを知っているのかい?」

「ええ。私の、娘ですから」


 そこで、初めて。

 彼は教会の長ではない、人としての……疲れた老人の、諦めにも似た表情を浮かべていた。


「彼女も、私の元を去る時に、同じことを述べました。目の前の人々を救う為に殺すのは間違っている、とね」


「アディルクレッサが……」

「お母さんが……貴方の、娘……?」


 クレッサとロティアナが呆然としていると、それぞれの肩をアルテとリザルドが支える。


「じゃあ……じゃあロティアナを、聖女にしたのは……!!」

「私の役目は、きっと終わったのでしょう」


 彼は、クレッサの疑問を遮るように、早口に指摘する。


「アディルクレッサの娘達、そしてこれより先、国の未来を担う殿下がた……このような場所に止まらず、あなた方が望む未来を、どうぞ、お好きなように作りに行かれませ。私は地獄より、その行く末を見守ることと致します」


 話は終わりだと言わんばかりに、目を閉じたフェリヘルテに。


「こっちの言いたいことは終わってないのよ!!」


 クレッサは、指を突きつける。


「属人の救いが何になるか、ですって!? あんたは戦場を知っているの!? 目の前で、血塗れで苦しみながら恨み言を吐いて死ぬ人々を、間近に見たことがある!?」


 沈黙したフェリヘルテに、怒りで体が震えた。


「人を、人一人として見ていないから、そんなことが言えるのよ!! やっぱりあんたは、何も分かっていないのは、わ! 目の前の大切な人を救いたいと思って、なぜいけないの!? その為の力があるのに、なぜ使ってはいけないの!? ……我が事なら、あんたは秘密を知る自分の娘を、アディルクレッサを、殺さなかったのにッ!!」


 老人の瞼が、ピクリと震える。


「なぜ民衆一人一人に、その心があると気づけなかったの!? 自分勝手な理屈に、反吐が出るわ!!」


 例え、飢える民衆の苦しみを、憎悪を、一心に背負おうと。


「見てさない!! あたしは作ってみせるわ!! 大切な人を、仕方がないと殺さずに済む世界を!! 見てなさいよ、このクソジジイ!!」


 今まで通り、たとえ・・・救えなくても・・・・・・


「もし、神がいるのなら……そいつが定めたと、あんたが信じるクソッたれた運命を、あたしが吹き飛ばしてみせるわ!! 教会の新たな長としてね!!」


 そうして、教皇フェリヘルテとの対話は終わった。

 彼はほんの十日後に、断頭台で首を落とされ……新たに、クレッサとロティアナが教会を継いだ。


 赤と白の聖女として。


※※※


 戦争を終わらせた彼女らは、生涯を王子らと共にし、人々が餓えに苦しまぬよう尽力した、という。


 その中でも、彼女らが一番最初に撤廃した教義と、その後に成し遂げた一つの功績が、数多くの人々を救ったとして、後世に長く語り継がれた。


 治癒の力を万人に開き……その力で土地を・・・・・・・肥やす・・・技術の開発。


 その技術によって作物が豊かに実るようになった二つの国は、長く平和の中に過ごしたという。

 

FIN.

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偽物聖女の競演〜王族に暴言を吐いたら、何故か第二王子の婚約者になりました。~ メアリー=ドゥ @andDEAD

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