第2話 本物聖女の苦悩。

  

 ーーー本物の、聖女?


 言っている意味が、全く分からない。

 そう思いつつも、何故か先ほどまでと違って、全く思考が纏まらない。


 そもそも、傷ついた人々に命を捧げる覚悟で生きてきたのに、体を蝕んでいた魔薬の影響まで癒されてしまった。


 ーーー何、あたしが本物の聖女って。

 ーーーていうか、第二王子がウルティミア様で。

 ーーーあたしと婚約? どういうこと?


 死を覚悟して、この場に臨んだはずだったのに。

 何でそんな話になるのだろう。

 

「どうかな?」


 でも、アルテの美貌に浮かぶ、ふわりとた優しい微笑みは、確かにウルティミア様のそれで。


 彼の予想外の告白に、クレッサの情緒はぐちゃぐちゃになっていた。


 恩人の生存への、歓喜と安堵。

 同時に、憎んでいたはずの王族だったという衝撃と、騙されていたという怒り。


 そうした全てがごちゃ混ぜになった、混乱の結果。


「ねぇ……ウルティミア、様……なの? 本当、に……?」


 口から漏れたのは、再度の確認だった。


「そうだよ。父に『戦場の真実を見て来い』と聖女として送り出された時に、君に会ったんだ。だから僕は、戦場に祈りの奇跡を届ける決意をした。昔、言ったよね?」


 『私は許せません。自分よりも幼き子が、道端で熱を出して倒れているようなことも』

 『怪我をした人々が放り出されるように、道端にうずくまっている景色も』

 『ですから、無くしましょう』


 と。


 ーーーああ。


 クレッサの手を取り、美しい薄紫の瞳を細めるアルテの言葉は。

 確かに、自分の服が汚れるのも構わず膝に抱き、クレッサを癒してくれたウルティミア様が、口にした言葉で。


「父はね、もうずっと、この戦争を終わらせようとしてるんだよ。でも、教会や強硬な反対派貴族がうるさくてね……奴らは戦争で不安を煽り、武器を売ることで儲けている。戦場で失われる平民の命なんて、これっぽっちも気にしていない」


 彼は笑顔のまま、侮蔑するような目を貴族達が出ていった扉に向ける。


「君に聖女を騙ることを提案した前線指揮官ルルナは、兄や私の幼馴染みでね。『クレッサの心意気に感じ入って治癒を行うことを認めたけど、どうにも無理をする。癒してやってほしい』と。君のことを我々に伝えてくれたのも、ルルナだよ」


 ーーー将軍様が。


 王都からの伝令が来た時、大して心配していないような、それでいて何かを憂うような表情で『行っておいで』と口にした彼女の顔が、思い出される。


「でも、準備は整った。父は時間をかけて、強硬派を敵に回しても問題ないくらいの政治基盤を作った。戦争を続けることに苦言を呈する、心ある貴族を見定めてね。もうすぐ、元老院の趨勢はひっくり返せるだろう」


 真っ直ぐクレッサを見る瞳に、真摯な色が宿っていた。


「後は教会だけど……あっちを叩くには、平民に慕われる二人の聖女・・・・・がこちらの味方になってくれることが、必要なんだ。だから協力してくれないか? クレッサ。僕らと共に、平和を手にする為に」


 問われて。

 クレッサは、玉座で頬杖をついて面白そうにこちらを見守る陛下と、相変わらず無表情の第一王子リザルド、そして彼に支えられて、青ざめた顔のままこちらを凝視している聖女ロティアナを、それぞれに見てから。

 


「ウ……ウルティミア様ぁあああああ……ッ!!」


 

 色々な物事が許容量の限界を超えてしまって、ぶわっと涙を溢れさせながら、目の前の第二王子に抱きついた。


「お、っと?」

「い、生きててくださって、良かったですぅ~!! うわぁああああん!!」


 号泣するクレッサを、戸惑ったように抱き止めたアルテは、頭を撫でてくれた。


 ウルティミア様が、死んでなかった。


 色々限界だったクレッサの中に、最後に残った感情がそれだった。

 そうして泣き喚いた途端に、緊張の糸がプツンと途切れて……そのまま、意識を失った。

 

※※※


 ーーーその後。


 聖女ロティアナは、クレッサがアルテに抱かれて侍女たちと共に退出するのを見届けてから……第一王子リザルドに連れられて、自室に戻ろうとしていた。


 その道すがら、俯いたまま彼に問いかける。


「……殿下。わたくしも、前線に向かっては、いけないでしょうか……」

「それは君の役目ではない」


 即座に断じられたリザルドの言葉に、ロティアナはギュッと唇を噛む。


「それは、わたくしの癒しの力が、ウルティミア様に比べて、足りないから……ですか。それとも……」


 聖女を拝命してから、数年。

 ロティアナは、教会の中で、事あるごとにウルティミア様であった第二王子のアルテと比べられてきた。

 

 ウルティミア様は。

 ウルティミア様であれば。

 ウルティミア様だったなら。


 ロティアナは王都の民衆には認められていても、決して、教会内で聖女として尊重されては来なかった。


 顔が良く、癒しの力が多少強いだけの、ただの道具。

 民衆に持て囃されてはいても、身の回りの世話をする修道女や、祭事を司る高位司祭の多くは、貴族で。


 ロティアナは。



「わたくしが……学のない、庶子の出であるから、ですか」



 クレッサ同様に。


 ロティアナは、平民として生まれ育った。

 母と二人で、それなりに平和に暮らしていた。


 しかしある日、母が行方をくらませた伯爵のお手つきだったと知られ、ロティアナが癒しの力を持つこともバレて、強引に父の元に連れて行かれた。


 珍しい金の髪と青い瞳。

 そして癒しの力。


 実の父親だという伯爵も、教会の人々も、それしか見ていなかった。

 勝手に貴族にされ、強制的に礼儀作法を叩き込まれ、あっという間に聖女に祭り上げられて……気づけば第一王子の婚約者となっていた。


 拒否権などあるはずもなく、当然の義務として。

 ロティアナの意思など、考慮もされないままに。


 その上、今。

 同じ平民出身の、偽物と名指された少女でさえ……ウルティミアと引き比べて、ロティアナを否定したのだ。


 けれど。


「わたくしの努力や苦しみなど、あの方に比べれば……ほんの、些細なことに過ぎませんでした」


 否定されて当然なのかも知れない、と、思ってしまった。


 聖女としての暮らしも、貴族としての暮らしも、ロティアナには苦痛だった。

 礼儀作法を必死で覚えても褒められもせず、少し間違えれば罵倒され、あるいは陰で馬鹿にされるのは、悲しかった。


 母の元へ戻りたいと、何度思ったかしれない。


 でも、一見冷たく見えるリザルドは優しくて、励ましてくれて、ロティアナを見下すことは一度もなかった。

 公正で、公平で……そんな彼に、ロティアナはいつしか惹かれていた。


 彼の為なら、頑張れると、そう思った。


 それでも、自分が彼に相応しいかと言われれば。

 聖女を名乗るに相応しいかと問われれば。


 決してそうではないことを、クレッサに突きつけられた。


 傷だらけで粗末な姿をしていたのに、正々堂々と立ち、己の意志を主張するクレッサの姿は、凛としていて。

 苛烈さと慈愛の心を併せ持つその姿こそが〝聖女〟のものだと、ロティアナは感じてしまったのだ。


 堂々とした振る舞い。

 一歩も引かぬ態度。


 見窄らしい姿とは裏腹に、その姿は気高かった。

 確かにあの時、ロティアナはクレッサに気圧されたのだ。


 ーーー彼女の、言う通り。


 どちらが本物の聖女なのかなど、比べるまでもなく理解させられてしまった。


 ーーーわたくしなど、いても、いなくても。


 作られたまま、言われた通りに振る舞うだけのお人形。

 命の危険もなく、安穏と過ごすだけの。



「あの方の仰る通り……偽物は、わたくしです」



 彼女やアルテのような人が、本物なのだ。

 しかしリザルドは立ち止まると、目を上げたロティアナと真っ直ぐに視線を合わせ、いつもの無表情で淡々と告げる。


「私は、君の戦場は前線ではない、と言っただけだ。苦しみの大きさなど、人と比べるものではない」

「ですが……」

「君は努力して、立派な淑女の振る舞いと教養を身につけた。民衆の望む聖女として在り続けた。それは並大抵の努力ではなかったはずだ。故に、王都の人々の尊敬を集めている」


 その言葉に、ロティアナは力なく首を横に振る。

 

 違うのだ。

 そんな見た目だけのお飾りで良いのなら、ロティアナでなくてもいいのだから。


 するとリザルドは歩を進める先を変えて、人気ひとけのない裏庭に、ロティアナを導いた。


「ロティアナ」

「はい……」

「君はやがて王族の一員となる。クレッサのように人々を癒し、粉骨砕身するのは、聖女としては正しい振る舞いだろう。……しかし、王族は『枠』に囚われてはならない」


 どういう意味だろう。

 戸惑っていると、リザルドは真剣な目で言葉を重ねる。


「聖女など、二人いても三人いてもいい。そして、いなくてもいい。……しかし王族だろうと聖女だろうと、その根底に在るべき想いだけは、勘違いしてはいけない」

「根底にあるべき……?」

「そうだ。今、君が成すべき聖女の務めとは、王族の務めとはなんだ?」


 問われても、ロティアナは答えられない。

 だって、人々を癒すことではない、と、先ほど否定されてしまった。


 ーーーでも、他にわたくしに、出来ることなんて……。


 また目を伏せると、リザルドは小さく息を吐く。


「アルテが聖女の役目を終えたのは、成長と共に力が弱まったから、というだけではない。奴が、王族として成すべきことに気づいたからだ。……私はまだ早いと思っていたが、クレッサ嬢の登場で状況は変わった。君にも、そろそろ心得ておいてもらわねばならない」


 そうして彼が、重ねた言葉は。


「君の役割は、人々を癒やして死地に赴かせることではなく……この戦争を我々と共に終わらせて、怪我を癒す必要すら、なくすことだ」


 ロティアナにとって、思ってもみなかったことだった。


※※※


 クレッサが目覚めると、そこは豪奢な客室で。

 そして侍女らしき人に声を掛けられて、アルテが入室してきた。


 どうやら、起きるまで別の場所で待っていたらしい。


「改めて。長い間、君一人に負担を掛けてしまったのは、申し訳ないと思っているよ」


 アルテは枕元の椅子に腰掛けると、開口一番にそう言った。


「力が弱まった時、僕が前線に赴くことを父に提言したのだけれど、『それは第二王子の責務ではない』と一蹴されてしまってね」


 そう苦笑する彼に、クレッサは眉根を寄せる。


「……王族は、傷ついた人々を見捨てる決断をした、ってことですか?」


 ウルティミア様がそんな選択をしただなんて、信じたくない。

 しかしクレッサの気持ちを見透かしたかのように、アルテは嬉しげに目を細めた。


「いいや。『目先のことではなく、将来のことを考えて動け』という話をされたんだ。……だから僕は、ウルティミアの死を公表した後、隣国に赴いた。人質、兼、交渉役としてね」


 彼の告白に、クレッサは息を呑む。


「隣国に……!?」

「そう。あれでもここ数年、前線は小康状態だったんだ。その間、僕らはずっと交渉していた。隣国も代替わりをして、現王は穏健派だ。お互いに『先王が始めた戦争を終わらせたい』と願っている」

「だったら、何故終わらないのですか!?」


 クレッサは噛み付いた。

 相手が憧れの人であろうと王族であろうと、関係ない。


 それは、皆の悲願の筈だ。

 両国の上に立つ者が終わらせたいと願っていて、終わらない筈がないのに。


 思わずクレッサは叫んだが、アルテは気にした様子もなく、淡々と告げる。



民衆と教会が・・・・・・納得しないから、だよ」



 そこから彼が語ったことは、クレッサにも反論し難いことだった。


「民は為政者ではない。『昨日まで敵だった者達と、今日から仲良くしろ』と言われて、納得出来はしない。戦争が終わることを願っていても、手を取り合う相手が自分の夫を、妻を、兄弟姉妹を、親や子を殺した相手であれば尚更だ。相手を完膚なきまでに叩き潰して、踏み躙る以外の方法で戦争を終わらせるのには、心の矛先を向ける別の相手が必要なんだ」

「それは……」


 実際に戦場で目にしたことを思えば、当然の話だった。


 息子の亡骸を前に、咽び泣く母親の怨嗟。

 死の間際まで、妻と娘が住む村を襲った隣国を呪っていた兵士。


 復讐の為に剣を取り、苛烈な程に相手を憎む人々の姿を、クレッサは少なからず目にしてきた。


「その為に、聖女と、向こうの国の協力が必要になる。だから、僕は僕の前線で戦っていた。どうすべきか、連日向こうの王子と議論を重ねてね。そしてようやく、諸悪の根源を潰すことで意見が一致した」


 それが、教会だと。


「慈悲を謳いながら、その実、人々の搾取をする者達。両国の先王を唆して、戦争を始めさせた連中だ」

「教会……」


 確かに。

 

 末端の、近くの教会にいる司祭様がたは慈悲深い方々ばかりだけれど、どれほど彼らが訴えても、教会の総本山は……あの枢機卿のような連中は、動かなかった。

 『政治に関わるのは、神の意志に反する』という、戯言を口にして。


「教会の搾取は、貴族と組んで武器を供給することばかりではない。家族を死地に追いやることには反対する人々も、その無事を祈る喜捨には喜んで、日々の糧を削ってでもカネを出す。人の弱みにつけ込むことに、奴らほど長けた連中はそういない」

「……!」


 再び怒りが渦巻いてきたクレッサに、アルテは片目を閉じる。



「だから、奴らの拠り所を逆手に取って利用する。……二人の聖女が、終戦を訴えるんだ」



 前線の人々に絶対的な信頼を得ているクレッサ偽のウルティミアと、王都において民衆に絶大な人気を誇るロティアナが、とアルテは告げる。


「奴らはロティアナを偶像に、神の奇跡を独占することで民衆の心を操っている。君たちが教会の不実を訴え、終戦を願えば……さて、皆の恨みの矛先はどこに向かうかな?」


 クレッサは、悪どいことを口にするアルテに、少しだけ不快感を覚えた。


「私たちを利用して、民衆の恨みが教会に向かうように煽る、ってことですか?」


 教会の総本山は、東西両国の最前線を北上した位置にあるのだ。

 しかし、そうなれば。


「本当の元凶を教えるだけだよ。君が危惧しているのは、末端の心ある司祭や教会関係者の処遇だろう? だけど僕らが剣を向けるのは、腐敗した上層部だ。君が懇意にしている人々は、味方に引き入れる」


 その為の準備もきちんとしているよ、と、アルテは告げる。


「戦争を終わらせる為に、君自身も僕達を利用すればいい。君とロティアナが力を合わせて、教会を乗っ取るんだ」

「教会を……乗っ取る……!?」

「そうさ。君ならそれが出来ると、僕は信じた」


 君が、僕を信じてくれたように。


 そう口にするアルテに、クレッサは頬を膨らませる。


 ーーーズルいわ、その言い方は。


 ウルティミア様にそう言われてしまったら、否と言える訳がないのに。


 彼はずっと、前線で傷つく人々の為に恩人は頑張ってくれていた。

 その身に宿る癒しの力が弱まってからも、戦争を終わらせるために、ずっと。


 だったら。


「やるわ、やります。戦争が終わるなら、婚約者にだってなんだってなって、教会を乗っ取ることだって、やり遂げてみせるわ! でも」


 一つだけ譲れないことを、クレッサはアルテに告げた。



「ーーーあの情けないロティアナと協力するのは、絶対に嫌」

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