第3話 三人の偽物。

  

「わたくしが……戦争を終わらせる、のですか……?」

「そうだ」


 ロティアナは、リザルドの言葉に呆然としていた。


「教会を、乗っ取る……」

「君なら、出来る。君自身が積み上げた得た『力』があるのだから」


 考えたこともなかった、けれど。


 誰も味方なんかいないと思っていた中で、たった一人、ロティアナを支えてくれた、彼が。

 挫けそうな気持ちを受け止め、包み込んで、いつだって寄り添ってくれた、彼が。


 ーーーリザルド様が、そう、仰るのなら。


 信じたい、と、思った。


「殿下……わ、わたくしは……あの方のように、本当に、なれるでしょうか」

「必ず。君なら」


 言葉は少ない。

 笑顔だって、そんなに見たことはない。


 だけど、リザルドが、信じてくれるなら。


「ロティアナ。君はどうしたい」

「わたくしは……」


 心のどこかで、諦めていたのだ。

 平民の出だから、まともな教育を受けていなかったから、侮られるのは仕方がないことなのだと。


 でもクレッサは、平民なのに、自分の命すら顧みず……その意思を、想いを、一歩も引かずに押し通した。


 リザルドは、いずれ王となる方。

 そんな方の横に立つのなら、きっと、彼女のようにならなければいけないのだ。


 第二王子と知らずとも、アルテの心を信じて志に殉じようとしていた、クレッサのように。


『力が弱いあたしが偽物なら、心が足りないあんたも、偽物だわ』


 彼女の言葉が、刃となって胸を貫いている。


「わたくしも……わたし、だって……」


 ロティアナは、自分の頬を涙が伝うのを、堪えきれなかった。


 何も知らない、誰も救わない、名前だけの聖女。


 その通り、だけれど。

 今からだって、遅くないって。


『覚悟があるからよ。ウルティミア様に恥じない生き方を、あたし自身が望んだから』

『聖女ロティアナ。あんたに、それがあるの? あたしは偽物だけど、あんたには本物だと・・・・・・・・・胸を張って・・・・・言えるだけの覚悟が・・・・・・・・・ある・・?』


「わたしだって……アルテ様や、クレッサ様の、ように……気高く、在りたいです……!」

「きっと、そうなれる。君なら」


 クレッサは力もないのに、身を投げ打ってまで、目の前で苦しんでいる人を救い続けた。


 不安はある。

 自分に、本当に出来るだろうかと。


 けれど、リザルドは癒す必要すらなくすことが、ロティアナの役目だと言った。


 他人と比べる必要はないと。

 彼女と同じことが出来なくとも、彼の言う通り、皆が平和に暮らせるようになれば一番良いのだと。


 リザルドの語った教会の横暴がなくなれば。

 クレッサ程ではなくても、ロティアナのように苦しむ人だって、きっと減る筈だから。


 だから、最初の一歩を。


「クレッサ様が救えなかったという、王都に戻ったという傷病兵……は、調べることが、出来ますか?」

「ほとんどは、アルテが秘密裏に癒している。が、敬虔な信徒であった数人は残っているな」

 

 クレッサが、ウルティミアの名を騙っていたのなら、彼女とロティアナ以外の者が『聖女』を名乗って目の前に現れれば、それは偽物だと思うからだろう。


 今、クレッサとアルテ、どちらの嘘もバレてしまうのは、王族にとって望ましいことではないのだ。


 二人に出来ないこと。

 そして、ロティアナには出来ること。


「……その方達は、わたくしが、癒します」


 結局、出来ることは他に思いつかない。

 けれどロティアナの言葉に、リザルドは今度はしっかりと頷いてくれた。


 言われるままに癒すのではなく、自分の意思で。

 お飾りのロティアナではなく、聖女として……将来の王妃として相応しくあるために。

 

 ロティアナは今日、前を向いた。

 けれど、一つだけ、心に引っかかっていることがある。


 それは、口に出来なかったけれど。


※※※


『絶対に嫌』

 

 クレッサの宣言に、アルテは軽く目を細める。


「何故、嫌なんだい?」

「あんな、覚悟もないお飾りと協力できるわけないでしょう! 戦争を終わらせるのよ!?」

「少し、声が大きいな」


 アルテの、思った以上に硬い剣だこのある指先に唇を塞がれて、クレッサは頬が熱くなる。

 男の人にこんなことをされたことは今までないから、耐性がないのだ。


「ああ見えて、兄上は好意を持った相手に対して甘い部分があってね……もう少し前に、ロティアナ嬢にも現実を知らせるべきだと伝えたのだけれど、『今はまだ、これ以上負担を掛けたくない』と。気持ちは、分からないではないんだけどね」

「何故ですか?」


 納得いかなかった。


 ウルティミア様の……アルテの後を継いだのなら、そのくらいのことは知っておいて良いはずなのに。

 そんな不満が顔に出ていたのか、彼はクスリと微笑んで、片目を閉じた。


「ロティアナもね、平民の出身なんだ」

「え……?」

「と言っても、君と違って王都育ちで、戦乱なんか知らないけどね。君と彼女では、戦うフィールドが違う……彼女は、王都の民衆と貴族を籠絡する為の『聖女』だから」


 『兄上には、今はそんなつもりないみたいだけど』と、アルテは肩を竦める。


「元々、貴族になれるような立場じゃなかったんだよ、ロティアナは。力を持っていたばかりに、実の父親と教会に利用される為に、兄に嫁がされることになった。兄も、最初は逆に駒として利用するためにそれを受け入れたんだけど……絆されたんだ」

「……」

「君とは違う苦しみの中に、彼女もまた居た。教会は腐敗しているし、彼女はただの道具だったんだ。どういう扱いを受けていたか、想像がつかないかい?」


 クレッサは唇を噛んだ。


 言いたいことは分かる。

 分かるけれど、認めたくない。


 葛藤するクレッサに、アルテは柔らかく目尻を下げる。


「クレッサ、君は本当に、弱い者に優しいね。気に入った相手にしか優しくない僕とは、そこが違うな」

「……からかわないで」


 ムスッとして、クレッサは目を逸らした。


 ーーー何よ、可哀想な人だって言われたら、怒れないじゃない!!


 ムカつくのに。

 一緒になんかされたくないのに。

 

「それ、いいな。敬語じゃなくて良いよ、クレッサ」

「え?」

「僕は、さっきの場でキツい啖呵を切った君に、ますます惚れ直したんだ」


 アルテは、両手でクレッサの右手を包み込んでくる。


「僕と兄上は、きっと似てるんだと思う。君とロティアナはどちらも、ひたむきで努力家だよ。だから惹かれてしまった」

「そ、ん……」


 ーーーこれはもしかして、口説かれているのかしら?


 手で振り払おうにも、相手は王族で、しかもウルティミア様だ。

 他の男なら、容赦なく平手打ちをしていたけれど。


「ねぇ、クレッサ。確かに僕は、君を利用するつもりだけれど、同時に、ちゃんと愛しているよ。だから君も」


 アルテが首を傾げると、さらりと、柔らかな髪が靡く。


「僕を、憧れの聖女様としてじゃなくて、男として。好きになってくれると嬉しいな」

「っ!」


 反則だ。

 思わず息を呑む……けれど、アルテの言葉には続きがあった。



「ーーーだって、これからは君が『本物のウルティミア』だしね」



「は?」

「明日から、君の身なりを整えよう。礼儀作法も、覚えていかないとね」

「ちょ、え!? 戦場で苦しんでる人たちがいるのに、あたしに贅沢しろって言うの!? ていうか、本物のウルティミア様って何!?」

「何って、君はこれから教会を乗っ取るんだよ? 〝復活の聖女〟ウルティミア・フォレッソとして」

「…………そう、なの?」

「君は、ウルティミアを名乗って戦場で人々を癒していたんだ。だったら、偽物の疑いを掛けられていた君が再び戦場に戻る時には、本物のウルティミアでなければならない」


 至極当然のことだ、とアルテは告げる。


「王都では死んだと言われていたけれど、聖女ウルティミアは戦地に赴き、現地で人々と共に戦っていた……民の心を揺さぶる、最高の演出だろう?」

「……その、他人の気持ちを弄ぶような言い方はどうにかなんないの?」

「おっと。では言い直そう。もし君なら、君が憧れたウルティミアが汚れた身なりで、ボロボロの姿であることを望むかい?」


 そう問われて、言葉に詰まってから……嘘はつけないので、首を横に振る。


「……いいえ」

「君はこれから、君自身が憧れたウルティミア・フォレッソを演じるんだ。皆が憧れる聖女、中身だけでなく外見も、君の理想とする聖女として。君が本物足りうるのは、僕が知ってる。……そして、ロティアナも、本物足り得る」

「ロティアナも……? どこが?」

「心根は弱くとも、癒しの力は君より強いし、立ち振る舞いも外見も、民衆の憧れる理想の少女だ。今の君には出来ていないことが、彼女には出来る。自分の演じるウルティミアがロティアナに劣ることを、君は許せるのかい?」

「~~~ッ! さっきから言い方がズルくない!?」

「王族は腹黒いんだ。ふふ、それに君を着飾りたいのは、もう一つ個人的な理由があってね」

「何ですか?」

「自分が好きな子が、本当に美しい人だと皆に見せびらかしたいし、着飾りたいっていう、男心だよ」


 そう言って、アルテはどこか愛おしげに目を細めた。


※※※


 そうして、深夜。


 兄の執務室でアルテは、クレッサの謁見に付き合ったことで滞っていた執務の手伝いをしていた。

 そしてふと目を上げ、時計の針が0時を回る頃に立ち上がる。


「少し出てくるよ」

「毎日マメなことだ」


 書類から目も上げないまま返事をよこすリザルドに、アルテは小さく笑った。


「三日に一度、兄上も赴かれているでしょう」


 そうして手に花を持ち、灯りを掲げて庭を横切ったアルテは、いつも通りにその花をそっと石碑に添えた。

 代わりに、昨日置いた花を手に取り、跪いたまま石碑に声を掛ける。



「……ミーア。僕は、君の願いを・・・・・叶える為に・・・・・もう一度君を殺すよ・・・・・・・・



 庭の隅に、ひっそりと建てられたそれは、墓碑だった。

 その前で、アルテは静かに眠る彼女の名を口にする。



 ーーー聖女ウルティミア・フォレッソが死んだのは、半分事実。




 その当時、一人の少女が亡くなったのだ。

 生まれた時から病弱で、長くは生きられないだろうと言われていた……アルテの、双子の妹が。


 彼女の存在は、生まれてすぐに秘匿された。

 『男女の双子は忌み子』とし、悪魔である女児を殺すことを定めた、教会の目から隠すために。


 当時、王位を継いだばかりの父は、持っていなかったのだ。

 先王を籠絡することで権力を増していた、教会の勢力に抗うだけの『力』を。


 父は、子を殺さなかった。

 箝口令を敷き、アルテ一人が生まれたことにして、隠した。


 乳母の娘として、アルテと共に育てられたミーアは……その病弱さの代償に、神から奇跡を与えられていた。


 ーーー遥か遠くまで、自らの祈りを届かせるという奇跡を。


 アルテが聖堂にて癒しの祈りを捧げる時。

 従者として常に従っていた彼女が何者なのか、ウルティミアを讃えていた教会の者たちは、誰も気にも留めていなかった。

 

 だから、気づかなかったのだ。


 

 ーーー〝双子の聖女〟ウルティミア・フォレッソの真実に。



 アルテとミーアは、二人で一つだった。

 自分の持つ強大な癒しの力と、それを遥か彼方まで届かせるミーア。


 だから彼女が死んだ時、『ウルティミア』はいなくなった。


 残ったのは、アルテだけ。

 誰よりも強い癒しの力をもってしても……神より与えられたミーアの天命は、伸ばすことが出来なかったから。


「君が存在した証であった、ウルティミアの名は、クレッサが継ぐよ。君は、許してくれるかい?」


 その名声は、偽物だったクレッサに完全に受け継がれる。

 『世界が平和でありますように』と願った、ミーアの志を継ぐ彼女に。


「僕はこれから、彼女を支える。僕が惹かれた少女は、きっと世界を変革してくれるだろう」


 アルテは俗な人間だ。

 本来なら王女として、共に生まれを祝福されるはずだったミーアを闇に葬った教会を、欺瞞満ちたあのゴミのような連中を……許すことが出来なかった。


 他は全て、真実だが。



 ーーークレッサに語った平和への理想だけは、偽物だ。



 それはミーアの願いであって、アルテの願いではない。

 胸に抱くのは、三人の偽物の中で、誰よりも薄汚れた願い。


 

 ーーーミーアから、あるべきものを奪った教会への復讐。



 祝福される筈だった。

 王女として愛される筈だった。

 聖女として、共に称えられる筈だった。


 彼女からその全てを奪った教会を叩き潰すことが、アルテの悲願だった。


『ねぇ、アルテ。わたしは誰にも知られずに死ぬけれど、この国がわたしの子どもよ。良い国に、してね』


 誰よりも聡明だった妹が、死の間際に口にした言葉に、アルテは答える。


「するとも、ミーア。君が認めたロティアナと、君の心を受け継ぐクレッサが、きっとそれを成し遂げるだろう」


 命を落とす少し前に出会ったロティアナの、力に見合わぬ『弱さ』こそを、ミーアは希望と呼んだ。


 政治の面では、アルテがリザルドを支えることで、より豊かで、飢えることのない国を作り。

 そして心の面では、人の弱さを知るロティアナと、慈悲の強さを体現するクレッサが、人々が笑顔で過ごせる国を作る。


 ーーー人々を救うのは、神などではない。人自身だ。


 あれほど清廉だったミーアに苦渋の生を与えた神を、アルテは信じない。

 誰よりもその慈悲を信じていない自分に、誰よりも強大な癒しの力が与えられた皮肉こそが。


 アルテの行く末を、定めた。


「ミーア。君と、懸命に生き抜くクレッサの為に、僕はこの手を血に染めよう」

 

※※※


 一度眠ったからか、あまりに布団が柔らかいからか。


 眠れず、ぼんやり布団に包まって窓辺にもたれて月を見上げていたクレッサは、遠くに見える離宮と庭の灯りを見ながら、ポツリと呟いた。


「信じられないわ……」


 今日一日の目まぐるしい状況の変化。

 明日以降、美しい衣装に身を包んだ上で、立ち振る舞いを……よりによってロティアナに習うことを、約束させられてしまった。


 クレッサが王都に召喚された後の話も、アルテに聞いた。


 最前線では、双方の国の思惑を知るお互いの前線指揮官によって、秘密裏に既に停戦協定が結ばれているらしい。


 束の間の平和の中。

 留め置かれた民衆や兵士たちの不満を、しばらく彼らが抑えている間に、クレッサは突貫で礼儀作法を身につけさせられるのだ。



 ウルティミア・フォレッソの名に、相応しく。



 平和を得るために必要なことだと言われれば、諸々の不満を飲み込んだ上で、異を唱えるつもりはないのだけれど。


「……ねぇ、何で、ここにいるのが貴女じゃないのかしら……クレッサ・・・・


 膝にかかった、肌触りのいい掛け布団に頭を埋めて、呻く。


 ウルティミア様だったアルテに出会った当時、クレッサに名前はなかった。

 それは、癒しの力に目覚めるきっかけになった女性の名だったのだ。


 クレッサは・・・・・二代目だった・・・・・・


 知り合ったのは偶然。

 彼女は戦場で、ウルティミア様の治癒の祝福に間に合わなさそうな人々を、救っていた。


 王都から商人団にくっついて辺境に流れてきたという彼女は、名をアディルクレッサと名乗った。


 辺境に流れ着いた時、彼女はウルティミア様よって救われた孤児の姿を……クレッサとアルテの出会いを、たまたま昔見かけたらしい。


 そしてアディルクレッサは、それまで教会に目をつけられないようにひた隠しにしていた自分の力を、人の為に使うことを決めたのだと。


 聖女として認められた貴族の女性しか、人を癒してはいけないという定めを破って。


『目の前に救える人がいるなら、アタシも救わなくっちゃって、あんたとウルティミア様を見て、思ったんだよね~』


 そう笑っていた金髪碧眼・・・・のアディルクレッサは、ちょっとだけ才能のあった孤児にも、その力の使い方を教え。



 ーーー戦場で流れ矢から孤児を庇って、塗られていた毒に犯されて死んだ。



 それは丁度、癒しの力が前線に届かなくなり、ウルティミア様が死んだという報が齎される、少し前のことだった。

 クレッサの力は、その頃はまだ、猛毒を癒すことは出来なかったから。


※※※


 深夜に、それぞれの想いが交錯する。

 


 ーーーロティアナは、未来を恐れる。



 自室のベランダに出て夜風に当たり、王城から灯りを掲げた誰かが庭を横切り、庭の隅に向かっていくのを追うともなしに目で追いながら。


 クレッサのように、強い意思を持つことが出来たなら。

 いつか、リザルドに伝えることも出来るだろうか。



 このロティアナ・・・・・・・という身分すら・・・・・・・偽りであることを・・・・・・・・



 逃げて生活に困窮した『母』が、本当の伯爵の子を攫われ、失意の中で拾った赤子が自分であることを。


 クレッサのように、全てを失うことも厭わず、リザルドにその事実を伝える勇気を……いつか、持つことが出来るだろうか。



 ーーーアルテは、今の決意を謳う。



 偽物でもいい。

 偽善でもいい。


「僕は、この世界を悲嘆に染める連中を、必ず駆逐する」



 偽りの・・・平和への願いを・・・・・・・口にしながら・・・・・・



 地獄に堕ちるのは、自分一人でいい。

 どれほど汚い手を使おうとも、大切な二人ミーアとクレッサの願い通り、この国に平和を。


 決意を新たに、アルテは。

 その功績をすら他人のものとして捧げる、虚像の聖女の片割れとして、ミーアに誓う。



 ーーークレッサは、過去の後悔に沈む。



『ねぇ、アンタにアタシの名をあげるよ。今日からあんたはクレッサだ。名無しじゃ、生きるのに不便だろ? 他に、やれるものもないからね』


 呆然とする孤児クレッサに、アディルクレッサはそう笑って、逝った。


「あたしが、いなければ」


 ここに居たのは、きっと彼女だっただろう。

 救われた孤児と知り合わなければ、気まぐれを起こさなければ、今もきっと、彼女は生きていた。



 名前すらも・・・・・偽りの自分ではなく・・・・・・・・・



 夜は、更けていく。

 三人の偽物を、静かな月明かりの中に包み込んだまま。

  

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