第6話 突きつけられた現実。

 

「ねぇ、近くない?」


 クレッサが眉根を寄せると、アルテはその柔らかい髪の毛をさらりと靡かせて、笑顔のまま小首を傾げた。


「そうかな? 婚約者としては普通だと思うけれど。ねぇ、ロティアナ」

「そう……でしょうか……?」


 目を泳がせるロティアナの様子から、普通じゃないことを理解して、クレッサはアルテを睨みつける。


「明らかに普通じゃなさそうだけど!?」

「ロティアナは初心うぶなんだよ」


 ーーーあたしも初心なのよ!?


 クレッサは今、二人掛けのソファにアルテと体を寄せるように座り、手を握られていた。


 後ろから抱きしめられているとか、そういうことはないけれど、髪を触られたり指先を絡められりと、とにかく慣れないスキンシップを取られている。


 それに、この至近距離で彼の中性的な美貌を見ると、三日前の頬へのキスが思い出されて、顔が熱くなる。


 ーーー思い出すな、クレッサ!!


 自分を怒鳴りつけてあの時のことを振り払うと、ついでにアルテの手も解いて体を離す。


「あれ、嫌われちゃったかな」

「し、淑女の振る舞いとかいうのを、ロティアナに習ってる最中だもの!」


 みだりに男性の体に触れない、とかいうルールのこととか、言葉遣いに関しても少しだけ話はした。


 けれどロティアナは、嫌だと言えば強制はしてこない。

 聞いてみると、『人前に出る時だけウルティミア様として振る舞えればいいから』と、普段の生活にまで口を出すつもりはないらしかった。


 クレッサにとっては、ありがたい。

 ただでさえ王城に閉じ込められて、慣れないことをさせられて、前線の様子も人伝に聞くことしか出来ない状況はストレスなのだ。


 この上、日常生活にまで口を出されてはたまったものではない。

 だからこそ、基本的に女性は誰も逆らえず、そして同じ元・平民として立場を理解してくれそうなロティアナを、アルテは選んだのだろう。


 クレッサの苦しい詭弁をどう受け取ったのか、なぜか嬉しそうな様子でアルテが立ち上がる。


「さて、僕はそろそろ兄上のところに戻ろうかな。クレッサも、無理はせずにね」


 言いながら頭を撫でられたクレッサは、いつの間にか足の痛みが消えていることに気づいた。

 アルテが退出したら、靴擦れを治そうと思ってたのに。


「ねぇ、もしかして」

「余計なお世話だったかな? 僕の力は強力だけど、触れないと治せなくてね」


 確かに、靴擦れだけでなく慣れないことをして感じていた、肩こりや体の強張りまで楽になっている。

 

「……ありがと」


 ーーーこういうところよね……。


 押し付けがましくもなく、まるで当たり前のように、クレッサを癒してくれる。


 今も、昔も。


 理想と感じていたウルティミア様とはかなり違うけれど、それでもやっぱり、アルテはウルティミア様だった。


 その背中を見送っていると、ロティアナがおずおずと話しかけてくる。


「クレッサ様は……弱音を、吐かないのですね」


 そう言われて、クレッサは目をぱちくりさせた。


「何言ってるの? 吐きまくってるじゃない」


 この三日間で、何度嫌だ鬱陶しいめんどくさいと吐き捨てたか分からないくらいだ。

 けれど、ロティアナは首を横に振る。


 アルティ同様、美しい容姿をしているのに、どうにも自信がなさそうな彼女は、しかし習ってみるとその所作が細かいところまでとても洗練されているのが、よく分かった。


「悪態はよく口にされますけれど、投げ出そうとはなさらないので」

「……当たり前でしょう」


 正直、何の意味があるのか分からなかったけど、ウルティミア・フォレッソを演じるために必要なことだと言われれば、その通りなのである。


 現実はアルテだけれど、民として触れたウルティミアは完璧な聖女だったのだ。


 戦争を終わらせる。

 その目的の為に『演じる』ことが必要で、だからこそこの城に留まっているのだから。


 投げ出すくらいなら、さっさと前線に帰っている。


「それに、あたしが投げ出すわけにはいかないのよ。二人分、自分では叶えられない人の想いを背負ってるからね。それに……目の前で死んでいった人たちの分も」


 本物のクレッサであるアディルクレッサと、ミーア。

 戦争の犠牲になった人々や兵士。


 どれほど願っても、彼ら彼女たちは自分で動くことが出来ない。

 なら、クレッサが踏ん張らなければ、仕方がないのだ。


「二人分、ですか。クレッサ様にとって、その二人は特別な方々なのですね」

「そうよ。あたしの命を救ってくれた恩人だもの」


 ミーアは直接ではないけれど、彼女の願いが、アルテを動かしている。

 ロティアナに勝手に話していいか分からなかったので、クレッサは何気なくアディルクレッサの話をすることにした。


※※※


「あたしは、本物のクレッサじゃないの」

「え……?」


 唐突なクレッサの告白に、ロティアナは戸惑う。


「名前を貰ったのよ。あたし、孤児だったからね。物心ついた時には一人で、同じように親のいない子たちと群れてた」


 彼らは餓死や病気、あるいは金を稼ぐために戦場に向かって、もういない。

 別れたきりの相手は、生きているかすら分からない、と。


「そんな時に、あたしを拾ってくれたのが、恩人の一人よ」

「その方は……?」

「前線近くで、あたしを毒矢から庇って死んだわ。あんたと同じ金髪の、でも瞳が角度によっては銀色に見える珍しい緑で、彼女も癒しの力を持っていたわ」

「……!?」


 瞳が銀にも緑にも見える、金髪の女。


 何気なく告げられたその言葉に、ロティアナは頭を殴られたような衝撃を受けた。


 ーーーそれは。

 ーーーその女性は、まさか……。


「と、歳は、どのくらいの……女性ですか?」

「あたしたちの母親くらい、だと思うけど。正確には分からないわよ」

「その女性は、少し巻き毛の……雨の日になると、頭痛が、する、と、言っていましたか……?」


 震える声音でロティアナが問いかけると、クレッサが弾かれたように目線をこちらに向ける。

 その鋭い眼光に射抜かれて、思わず肩をすくめた。


「何で知ってるの?」

「その人の名前は……もしかして……アディルクレッサ、ですか……?」

「そうよ。何で知ってるの!?」


 ーーーああ、そんな、そんな……!


 ロティアナは思わず立ち上がり、両手を口に当てる。


「あんた……顔真っ青よ? ねぇ、本当にどうしたの!?」


 その質問に、ロティアナは答えられなかった。

 

『あの子はねぇ、赤毛で茶色の目だったのよ。まだ赤ん坊だったから、あんまり分からなかったけど、もしかしたら父親似だったのかもね』


 そう、言ったのは。

 ロティアナにそう言ったのは……!


 思わず、駆け出していた。


 逃げ出してしまった。

 

 だって。

 だって。


 走りながら、後ろで聞こえるクレッサと侍女たちの声を振り切るように、ロティアナは駆ける。


 視界が、溢れ出した涙で揺らぐ。


『生きててくれると良いんだけどねぇ。攫われちまって、少し目を離した自分を何度殺してやろうと思ったかしれないよ』


 ーーーお母さん!!


 自分を娘として育ててくれた母親は。

 少し巻き毛の金髪で、銀にも緑にも見える瞳をしていて。


 男爵家に連れていかれるその瞬間まで、使用人に押さえつけられながら。


『ロティアナ! 違う! あの子はアイツの子どもじゃない!』


 そう、叫んでいて。

 もう二度と会えない人で。


 手紙を出すことも許されなくて。


 でも、王都で生きてるって、そう思ってたのに。


『ロティアナ!』

「お母さん……!!」


 死んでいたなんて。

 それも、戦場の最前線で。


 何でそんなところに行ったの。

 いつか……生きていればいつか、会えるって、思っていたのに。


『死のうとした時に、置き去りにされてたあんたを拾ってねぇ。これはこの子を育てろっていう、神様の思し召しだと思ったんだよねぇ』


 そう言って笑ったあの人に、もう会えない。


『あたしの名前、長ったらしいだろう? 自分の子どもには、名前を半分もじってあげようと思ってたんだ。……ロティアナ。あんたの名前だよ』


 この名前は。

 アディルクレッサが、きっと、自分の産んだ子につけようと思ってた名前で。

 クレッサは、赤毛で茶色い目の、自分と似た年頃の子どもで。


 それなら、きっと。


 ーーークレッサが・・・・・本物のロティアナ・・・・・・・・……っ!


 アディルクレッサは、前線できっと、自分の本当の子どもを見つけたのだ。


 つい先日、いつかリザルドに、自分が貴族の血すら継いでいない偽物であると伝える勇気を、と決意した筈だったのに。


 突きつけられた二つの現実に、ロティアナは結局、ただ逃げることしか出来なかった。


 ーーーお母さん!


 心の中で名前を呼んでも、母は、もういない。


 悲しみに、胸が張り裂けそうだった。

 

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