第7話 名無しの聖女の苦悩。
ーーーあの子、一体どうしたってのよ!?
クレッサは、いきなり走り出したロティアナに、苛立っていた。
アディルクレッサの話をしたら、血相を変えて逃げ出したのだ。
しかも、明らかに何か知っている様子だった。
ーーーアディルクレッサは、王都に居たの?
知っているのなら、教えて欲しかった。
クレッサは、彼女のことをほとんど何も知らない。
たまたま前線の街で会って、少し一緒に居ただけなのだ。
ほんの数ヶ月しか、クレッサに彼女との思い出はない。
ーーーもしかして。
クレッサには、一つだけ心当たりがあった。
『あたし、娘がいたんだよね。だけど、旦那の方に取られちゃってねぇ』
アディルクレッサは、そう言っていたことがあった。
なら、その件についてロティアナは何か知っているのではないだろうか。
悶々としていても仕方がないので、クレッサはアルテに探してもらうよう頼もうと席を立ち上がったのだが……侍女に止められてしまった。
「申し付けていただければ、私共が参りますので……」
「そう? なら、お願いしても良い?」
正直、相手もこちらをどう扱って良いのか遠巻きな雰囲気があるし、申し付けろと言われても相手は小間使いの小僧ではないので、なんとなく引け目を感じながら頼んだ。
もしかしたら、クレッサに出歩いて欲しくないのかもしれない。
ーーーああもう、貴族ってめんどくさいわね!
言伝てや面会一つでも、時間がかかる。
八つ当たり気味に内心で悪態を吐きながら、クレッサはアルテの返事を待った。
※※※
「ロティアナ」
夕刻も終わり、夜が更けかけようという時間。
庭園のベンチに座り、ぼんやりと空を見上げていたロティアナの元に現れたのは、やはりというべきか、リザルド
だった。
「リザルド様……」
ロティアナは、彼の顔を見ることができなかった。
いつか、話すつもりだった。
自分の境遇を。
受け入れられなくても、強く在れる自分になってから。
なのに。
「……もうすぐ、日が暮れる。皆心配していたぞ」
「申し訳ございません……」
気遣わしげな声音に、唇を噛み締める。
話さなければいけないことは、分かっている。
ーーークレッサが、本物のロティアナなのです、リザルド様。
自分の前に現れた彼女こそが、母から自分を引き離した父との、本当の子どもなのだと。
癒しの力を持ち、聖女として今の自分の立場になる筈だった少女なのだと。
けれど、それを話してしまったら。
ーーーわたくしは。
強くもない、ただ外見だけが人よりも優れていると言われるだけの、今ここにいる自分は。
『本物』が現れたなら、消えるべき存在なのだ。
なんて劇的な巡り合わせだろう。
偽物の聖女だと言って現れた少女が、本物の聖女ウルティミアの名を受け継ぎ、その上、今の聖女がその名を奪った相手だったなんて。
リザルドは、どう思うだろう。
ロティアナの真実を知ったら。
自分は、どうなってしまうのだろう。
必要ない、と言われて、聖女でなくなること。
最初はそれが望みだった。
だけれど、リザルドに惹かれて、今はこの立場を失いたくなくて。
それに、今から
自分を慈しんで育ててくれた彼女は、ロティアナに癒しの力の使い方を教えてくれた、アディルクレッサは……もう。
ーーーどうすれば、どうすれば。
伝えなければならない。
クレッサが、本物のロティアナならば。
ーーー貴女を庇って死んだのは、きっと貴女の、本当の母親だって……。
ボロボロと涙が溢れる。
全てを明かして、偽物だと知られた後。
聖女の座を、クレッサに譲って、放逐されたとしても。
もう、帰る場所も、ないのだ。
ーーーお母さん。
両手で顔を覆う。
どうすれば良いのか分からなかった。
伝えなければいけないのに。
『もしあの子が生きてたら、捨ててなんかないよ、って、伝えたいんだよねぇ』
アディルクレッサの言葉が、蘇る。
でも、勇気が出ない。
どうしよう。
どうしたら。
どうすれば。
ーーーわたしは、こんなにも弱い。
ーーー誰か、助けて。
ふ、と視界が歪んで倒れそうになったロティアナは、ふと温かいものに包まれて、支えられる。
「ロティアナ……」
顔を上げると、いつもの無表情でこちらを見つめるリザルドに、目元を拭われた。
「……クレッサ嬢と話した内容を、アルテから聞いた。アディルクレッサという女性の話をしたら、血相を変えていたと」
リザルドの口から放たれた言葉に、思わず身をこわばらせる。
「それは、君の母親の名だろう?」
「! ……何故、知って……!!」
思わず顔を上げると、リザルドと目が合う。
「知らない筈がない。君のことなのだから」
目尻を拭われて、思わず体を引き離そうとするが……思いの外強い力で、再び体を包み込まれる。
「泣きたいのなら、泣いて良い。……君に、母親の行方が分からなくなっていたことを伝えられなかったのは、私の弱さだ」
「……っ」
「君の悲しむ顔を、見たくなかった。探させてはいたのだが……もう、亡くなっていたのだろう?」
「ぅ……!」
改めて突きつけられた現実に、リザルドの服の胸元を両手の指で握り込む。
「うぅ……ふぅぅっ……!!」
声を殺して、優しい人に縋る。
いつもそう。
結局ロティアナは、人に寄りかかって、支えられてばかりで。
「りざ、るど、さま……ひkじゅ……わた、くし、は」
「ああ」
「わたくし、は、弱いのです……!! ぅ……!」
「母を亡くして泣くことを、人は、弱いとは言わない」
「ちが、違う、のです……! わたくしは、話すべきことも、話せない、のです……!!」
「落ち着け。私は、何があろうと、君の味方だ」
「……本当ですか?」
「ああ」
「わ……わたしが……本物のロティアナで、なくとも……そう言って、下さいますか?」
顔は、見られなかった。
リザルドが軽く身じろぐような感覚の後、静かに答えが降ってくる。
「私にとってのロティアナは、君だけだ」
「本当ですか……!?」
何度でも、何度でも。
確認せずにはいられなかった。
勇気がないから。
それでも、口にしなければならない言葉の為に、リザルドに縋るしか、なかった。
「わたくしが、聖女でなくなったとしても、そう言って、下さいますか……!!」
沈黙が、訪れた。
固く目を閉じて、どれくらい経っただろう。
「……君がそう口にする事情は、分からないが」
やがて、リザルドがロティアナの頭を撫でながら、ぽつりと漏らす。
「私はロティアナという名の誰かを求めているのでも、聖女の地位にいる誰かを求めているのでもない。今、目の前にいる君を、愛しているのだ」
その言葉に、ふ、と心が軽くなる。
リザルドの言葉が、もし偽りだったとしても。
話したらやっぱり、全て無くしてしまうのだとしても。
ーーーわたしを。
ロティアナという名の自分を……今ここにいる自分という存在を、愛してくれた人が、いる。
誰かの代わりではなく、名前でも肩書きでもない自分を。
だったら。
ーーーきっと、生きていける。
今の立場を失ったとしても、リザルドが愛してくれたという事実だけで、きっと。
「……全て。……全てお話致します……」
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