幕間:聖女
パトリシアは本当に可哀想な子だった。操られているとも知らずに陥れられ、挙句こんな場所に幽閉されるなんて。
魔王からプレゼントされた刺繍入りのハンカチを嗅ぐ。ほのかに香る彼女の魂の匂いが私の心を掴んで離さない。
今、貴方の王子が迎えに行きます。
初めて彼女を見かけたのはもう随分昔のこと、まだ私が教会で修行の日々に明け暮れていた頃のことだった。その日は結界の補強のために田舎の小さな教会を巡る最終日。これが終わればまたあの窮屈な日常に戻る。それが嫌だった私は教会から逃げ出した。幼い私はどこへ行けばいいのかもわからないまま必死に逃げた。叶うなら普通の少女として生きたい。けれど心のどこかでそれは叶わないと理解していた。
「貴方、誰?」
追っ手の声が近づきここまでかと諦め掛けたその時、声を掛けてきたのが幼いパトリシアだった。彼女は私の様子を見て何かを感じ取り私の手を引いて一緒に逃げてくれた。
「ここ、空き家だから見つからないと思う」
つい最近まで使われていた形跡のある店内はどこか居心地が良くて私はすぐにその場所が気に入った。
パトリシアは何度も来た事があるのか、奥から椅子を引っ張り出して私に座るよう促す。
「このお店はね、元は本屋さんだったのよ」
そうして彼女は語り始めた。このお店の主人夫婦は優しくて街へ降りてきたパトリシアにいつも居場所をくれた事、街のみんなに愛されるお店だった事——そして一週間ほど前、弱まった結界から入り込んだ魔物によって身籠った奥さんが殺され、仇を取ろうとした旦那さんも殺された事。
パトリシアの瞳が揺れていた。涙こそ溢れていなかったけど、大きくて丸い瞳は、まるで宝石のように煌めいて、私の視線を釘付けにする。
——いい加減な仕事をしたとは言わない。けれどもっと真面目に取り組んでいたらその夫婦は助けられたかもしれない。もっとたくさんの人を守れたかもしれない。この時、私はようやく自分の運命とそれに伴う責任の重さを知った。
「でも、こうして外の人に話せてよかった」
「え?」
「一人でも多くの人が覚えている事が、二人がいた証になるでしょ。起きてしまったことは変えられないけど、これから先の未来なら変えられるから」
そう言って笑ったパトリシアは隙間から差し込んだ日の光でより輝いてみえた。そして私は彼女に恋をした。
彼女と再会する日を夢見てどんな辛い修行にも耐えた。最年少で聖女となった事も、魔王なんかと手を組んだのも、全ては彼女との未来のため。……彼女が孤立して、大切な人全てに裏切られた時、地獄のような場所に送られた時、そこから救い出した私に彼女はどんな気持ちを抱くのだろうか。
きっとそれは、甘美な味わいで私をさらに翻弄する事だろう。早くパトリシアに会いたい。
私は不純な夢に酔いながら魔王の部屋へ続く長い廊下を闊歩した。
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