ラケールとユージ
城の中は不気味なほど静まり返っていた。どこへ行っても魔物の気配は無く、いいしれぬ不安が私を襲う。何かがおかしいと思うのに、その何かがわからなくて私は焦って足が早くなる。
「パトリシア様、如何されましたか?」
「あのねレッグス、なんだか私、嫌な予感がするの。上手く言えないけど……」
そう、何かを忘れているような気がするのだ。何か大事なことを見落としているような。
「そう言えば……お客さんて誰なの?」
「聖女と名乗る女ですよ。あの女……宰相と手を組んで俺たちを……」
「え?……ラケール様の事?」
ひゅっと喉がなる。そうだ、私彼女の事を忘れていた。彼女は私の前に現れて言った。私を助けにきたと。その顔が誰かに似ていたように思った。でも思い出せなくて、ずっと、ずっと悩んだ。それをやっと思い出した。
「ユージお兄さんだ……」
「ゆ?誰です?」
途端に体が震える。あの人もここにいるの?だってあの人はお母さんの彼氏で、私の事を……まさか、追いかけてきた?怖い、嫌だ。会いたくない。それに、聖女って……ああ、どうしよう。嫌な考えが溢れて止まらない。もし、もしも皆んなを助けたのが私では無くラケール様だとしたら?私を助けにきたと言った。もし、私を魔素から守るために力を使ったのだとしたら、この計画はきっと失敗する。だって、彼女からしたら、私を繋ぎ止めようとする皆んなが邪魔だから。だって、ユージお兄さんはお母さんを——!
「あ!こんなところにいたんだね!」
その時、廊下の向こう側に可愛い女の子が現れた。彼女は私を目指して真っ直ぐに近づいてくる。その異様さに、レッグスさんは腰に携えた剣をいつでも抜けるように構えるが、次の瞬間何かに焦ったように体が震え出す。
「ダメだよ、俺からりさちゃんを奪うなんて許されないんだから」
彼女はゆっくり近づいて来るのに、レッグスさんを含め、誰も身動きが取れずにいた。だから、聖女様が私のすぐ目の前に来て、私の手首を取り、私を連れて行っても、私が振り返って助けを呼ぼうとしても、その場にいた誰も動くことはできなかった。叫ぶことも。何も。
◆◆◆
そのまま私は客間へと連れていかれる。ソファに座るよう言われてその通りにしか動けなかった。それが聖女様がぱちんと指を鳴らした瞬間、体の自由が戻る。
「久しぶりだね、まずは、パトリシア」
そう微笑んだ彼女の顔に私はぞっとした。怖い。彼女に何をされるのだろうと思うと怖くてたまらない。それにカムパネルラはどうなったの?私がいなくて……いや、聖女様が手を貸してくれなきゃ魔王に勝てるわけが……。
「誰のこと、考えてるの?」
「え?」
私の悪い癖だ。目の前にいる相手を見られない。いつの間にか聖女様のニコニコしていた表情はすっかり冷たくなっていた。
「……なーんてね!まあ安心してよ。貴方が私のそばにいてくれる限りは悪いようにはしないからさ」
そう言って彼女はお茶を出す。どこから出したのかはわからないけど下手なこと言って刺激したくはない。彼女は私の分の紅茶を注ぐと差し出してくれる。その香りは、昔よく飲んだウィンストン園の茶葉の物で懐かしくなる。
「落ち着いた?……本当はね、私ずっとパトリシアと仲良くしたかったの」
「え?」
「……パトリシアは覚えてないと思うけど、私達、会ったことあるんだよ。ずーっと昔に」
そう言ってラケール様は寂しげに笑った。その顔に見覚えがある気がしたのは彼女が会ったことがあると言ったから?それでも、忘れていたいつかが息を吹き返したみたいで、私は彼女の言葉に耳を傾ける。
「私は幼い頃に神の啓示を受けたとかで教会に引き取られたの。毎日修行修行で辛かったし、お父さんやお母さんと引き離されたのも悲しかった」
彼女の言葉は、前世で親に捨てられ施設に入れられた自分と重なって、気持ちが痛いほど理解できた。でも、私はお母さんが迎えにきてくれたけど彼女は一人のまま。
「それで私逃げ出したの。……でも、知らない土地でおまけに子供でしょ?すぐに捕まっちゃうと思った時、助けてくれた子がいたの。それが、パトリシア。貴方だったのよ」
「‼︎……もしかして、森で出会った女の子?」
いつしか顔も名前も思い出せなくなって、彼女は夢で見た天使か妖精だったのだと思うようになっていた。けれど、彼女は存在していた。思いがけない旧友との再会に相手が聖女様だと言うのも忘れて私は胸が熱くなった。
そんな私を見てラケール様も一人の少女のように微笑む。
「覚えています、あの日私の前に現れた女の子。あの子が現れてからすっかり獣による被害が落ち着いて……でもあれっきりだったから、てっきり天使だと思ってました」
「それを言うなら私の方だわ!……私ずっと自分の役割を恨んでたの。だって、そのせいで家族を奪われたから。でも、貴方の言葉で救われたの。これまでの事をいつまでも悩むよりも、未来のために今を変えようって!」
彼女は本当にユージお兄さんなの?あの人とは違う無邪気さに、ラケール様は敵ではないと思ってしまう。いや、もしかしたらラケール様は味方なのかもしれない。でも、それならユージお兄さんは……。
「それじゃあそろそろりさちゃんと話したいな」
途端に体が重くなる。先ほどまでそこに座っていたのはラケールなのに、今はユージお兄さんが座っている。見た目は変わっていないのに、表情や仕草、そして私を見る目が明らかに別人のものに変わっていた。
「あぁ、安心して。俺はりさちゃんを傷つけたくてきたわけじゃないんだ。ただ、君を助けたくて来たんだよ」
何か言わなきゃと思うのに恐怖で声が上手く出せない。ユージお兄さんが不機嫌になったらダメなのに、私ってば、どうしていつもいつも——。
「……俺の事、怖いよね」
まっすぐ耳に飛び込んできたその声は私が思うよりずっと弱々しくて、ようやく直視したユージお兄さんは泣きそうだった。
「俺、りさちゃんの事が好きだった。ずっとどうでもいい人生だったけど、君に出会って、君のために生きたいと思った。全然覚えてないと思うんだけどさ、俺、コンビニでアルバイトしてて、その時初めてりさちゃんに会った」
コンビニ……。何も思い出せず、視線を落としてしまう。それを、どう受け取ったのか、ユージお兄さんは責めると言うよりも過去の自分を恥じるように言葉を絞り出す。
「気持ち悪いよな、わかってる。俺もこんなのストーカーじゃないかって悩んだ。でも、親の暴力に苦しむ君を前に、見て見ぬ振りなんてできなかった。君の……ヒーローに、なりたかったんだ」
ユージお兄さんは私に伝えると言うよりも、懺悔しているようだった。彼の中に、私をどうにかしたいなんて気持ちは微塵も感じられなくて、ただ許しを乞うようにそこに座っているみたいだった。だから私もどう反応したら良いのかわからなくて、何も言えず、ただ黙って彼の言葉を待つ。
「最初、ラケールの中で目を覚ました時は、こんなに穏やかじゃいられなかった。ユージとして君を自分のものにしたい、そんな気持ちばかりが膨れ上がって、もしその頃に会っていたら俺はまた間違いを繰り返していたと思う」
「……ごめん。あの時の事、謝って許されるとは思わない。でも謝らせて欲しい。それから、俺はあの後——君が、冷たくなった後、頭に血が昇ったとはいえ、君のお母さんを……その、君と同じように、して、しまった……形式上罪は償ったけれど、それが十分だとは思わない。本当にごめん」
「お母さん、死んじゃったの?あの後……?」
私の言葉に、ユージお兄さんは頷いた。私は言葉を失った。嬉しいような、悲しいような、複雑な感情が混じり合って言葉が消えてしまった。
「……ありがとう。お母さんね、泣いてたんだよ。私が、何も見えなくなる直前。お母さんね、言ったんだ“うそ、待って、違うの、行かないで”って。ひとりにしないでって。……ユージお兄さんのおかげで、お母さんひとりぼっちじゃなかったんだね」
その時、どこかから破壊音が轟いた。私は立ち上がってそこへ行こうと扉に向かう。
「だめ!……ダメだよパトリシア!」
ラケール様が私を止める。けれど、私は行かなくちゃ。あの音のする場所で、カムパネルラが戦っているもの。私が、いかなくちゃ。
「ダメだ!今度こそ君を守ると決めたのに、危険な場所になんて行かせられない!」
今度は、ユージお兄さん。力は決して強くないけれど、必死に止めるその手を無理やり振り解けない。
「お願い、行かせて?私、行かなくちゃ。カムパネルラが待ってるの‼︎」
「あ……待って!待ってパトリシア‼︎」
一瞬彼女の手の力が緩んだ隙に私は廊下へ飛び出して広間へ向かって駆け出した。
私に何もできないとしても、それでもカムパネルラのそばにいたい。だってそうしたら、今度こそ守れる気がするから。
ごちゃ混ぜの記憶の中で、何かが駆り立てるように私はカムパネルラを目指して走り続ける。
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