同居人、チェンジで
階段を降って数分。先ほどの悲鳴が嘘みたいに静まり返っていた。オラクルさんも耳を動かして様子を確認したあと、ゆっくりと一歩ずつ探るように用心深く階段を降りていく。私もそれに倣って、徐に階段を降りた。
やがて一番下の段を踏む頃にはオラクルさんの持つ蝋燭の灯りによって鉄格子の扉が露わになる。鉄格子の向こう側は暗く、よく見えない。私はオラクルさんを見上げて尋ねた。
「あの、ここですか?」
オラクルさんは大きな黒目をギョロリと動かして私を見ると「そうだ」と答える。そして、少しの間奥の暗闇を見つめた後、私に背を向けて歩き出した。
「あの——」
中にどうやって入れば良いのかと尋ねようとした時、オラクルさんは振り返って鍵の束をこちらに投げた。私はそれを拾い上げてオラクルさんを見上げる。けれども彼は既に私に背を向けて歩き出していた。
「一応、渡しておくがあまり意味はない、とだけ言っておく。どうしても辛ければ上にこい。そうすればおそらく大丈夫だ、と思う」
やけに歯切れの悪い言葉を言い残して、オラクルさんは上へ行ってしまった。
その時、窓のない地下室だと言うのに、鉄格子の向こうから吹いた風が私の髪を揺らした。そうして思い出す、あの甲高い悲鳴をあげる魔物がこの向こう側にいるのだと。
……オラクルさん、今すぐに駆け上がって行ったらダメですか?
涙目になりつつ、私は鍵の束をいじって、鉄格子の扉を開けた。
私しかいないのでは、と錯覚するほど静かな部屋に鉄格子が開く音が響いた。一歩踏み込んでみる。石畳の床は思ったほど埃は無い。
「きゃっ」
少しずつ、中を探るように歩いて行くと、突然壁に備え付けられている蝋燭に火が灯った。ぼんやりと照らされた室内はほとんど何も無く、奥の方に
アーモンド型の小さな丘のような物体は、蝋燭に照らされたところが緑色に輝いているが、植物的な質感では無い。艶のあるその素材は金属のようだけれど、もっと見慣れた何かのような気がする。
……ひとつ、思い当たるものはある。しかし、それを認める事をどうしたって拒絶してしまう。もし“それ”だとしたら、今度こそ本当に私は来た道を爆走しなくてはならない。
壁に背中をつけて、中央のそれに近づかないようにゆっくりと奥の茣蓙を目指す。そこに荷物を置いたらひとまずこの部屋から出よう。そして、鍵をかけよう。
「はぁ……」
何とか中央の丘を刺激する事なく茣蓙にたどり着いた。緊張の糸が解けてしまい、その場に座り込む。アレが何かの魔物だとして、上手くやっていく自信が無いけれど、今はただ眠りたい。もう何も考えたく無い。
◆◆◆
「キアアアアアアアアアアアア」
「なに⁈」
突然の悲鳴に飛び起きる。どうやら深い眠りに落ちていたらしい。嫌な夢を見ていたようなじっとりとした不快感とぐるぐると覚醒しきれない脳に酔いそうになる。
たまらず俯いて目元を押さえた。数秒後、ようやく落ち着いた私は今の状況を考える。私はあの悲鳴に似た鳴き声で目を覚ました。と言うことは中央のアレがやはり魔物だったのか。
だとしたらアレが起きていると言うことだろう。と、言うかだ。悲鳴は自分から近いところで聞こえた気がする。
————今更ながらに目を開くのが怖くてたまらない。私の記憶が正しければ、一般的なアレは茶色か黒だったと思う。でも部屋のアレは緑だった。もしかしたら私の思い込みで、実はトラ◯スフォーマー的なアレと言うだけで体を起こすと別の形に変わるのかもしれない、うんそうだ、そうだろう!……でも、目を開ける勇気が出ない。
————と、三秒ほど思考して私はとうとう目を開いた。
「あああああああああああああ‼︎」
「キィイイイアアアアアアアア‼︎」
「ああああああうええあああああ‼︎」
「キィイイイイイイイイイイイイ‼︎」
視界いっぱいに広がったのは艶やかな緑では無く、蠢く六本の真っ黒なカニの足みたなやつ。それから、恐らく……口。今きっと私は年頃の娘がしちゃいけない顔をしている。
————あ、だめだ意識が。
「……きろ」
頭が痛い。どこかでぶつけたみたいに痛い。ミーシャに氷嚢を頼まないと。
「……起きろ」
誰かの声がする。起きろ?初夏のような爽やかさと温かさを感じる声。とても、心地良い声。屋敷にこんな人いたっけ?それとも新しい使用人?それとも親からいらないって言われた子?
「起きろと言ってるだろ!」
「ん、誰?」
怒鳴りつけられて反射的に目を開く。ぼやけた視界が徐々にはっきりして来て、そこに大きな口が映し出された。
「いやあああああああ‼︎食べないでください‼︎」
そのまま転がって距離を取る。そうしてようやく直視してしまった。やはりアレは間違いなく……人類の敵のアイツだ。アーモンド型の身体に沿うようについた羽に、身体をなぞるように伸びた触覚、モソモソと、けれどその気になればかなり早く動ける脚。アイツだ。これはもうまごう事なきヤツなのだ。突きつけられた現実に私は絶望した。
「気が付いたか?君は誰だ?どこから来たんだ?」
壁を向いて体育座りをする私の周りをカサカサと音を立てて奴が動き回る。
やめて‼︎
どつきたいけど触りたく無い。
「聞いているか?おい!」
「痛い痛いごめんなさい、聞いてませんでしたもう一度お願いします‼︎」
肩にギリギリと脚が食い込んで悲鳴を上げる。硬いし痛い、食われる⁈勘弁してほしい。まさかこんな事になるなんて思わないじゃないですか。こんな事になるなら人型悪魔さん突き飛ばしてでも荷馬車の時点で眠って凍死すれば良かった。聖女様の敵に対する神の裁き陰湿すぎませんか?巨大なヤツと同居させるって陰湿すぎませんか?絶望しかないです。死なせてください。
「だから、君はどこから来たんだ?」
「王国です、追放された私を魔王様が引き取りました」
「罪人か。……どんな悪いことをした?」
「……聖女様を傷つけました」
「君は罪人の前に悪人だな!」
嬉々としてカサカサカサカサするのやめてほしい。見たくない。やつを見たくない。関わりたくもない。誰か助けてほしい。けれど無情にも誰かが降りてくる音はせず、ヤツはさらに質問を重ねる。
「君の名前は?」
「捨てました」
「なぜだ?君の国では罪人になると名前を捨てるのか?」
「いえ……ただ、両親からお前はもう娘でないと言われたので、名乗るのも申し訳なくて」
「……お前は変わっているな」
「好きに言ってください」
無神経な言葉に傷付くだけで反論する気が起きない。反論する権利も元より無いけれど、無神経なルームメイトは一層私の気を重くした。
「では、リーサはどうだろうか」
「……何がです?」
暫く部屋の中央でじっとしていた彼は、凄い速さで私に近づいてくると、慌てて背を向けた私に頭突きをかまして言った。
「君の名前だよ」
「私の名前はパトリ……」
「パトリ?ツィアか?」
慌てて口を閉ざす。捨てたと言ったばかりで私は何をやっているのだろう。
「だがその名は捨てたのだろう?それならこれからはリーサと名乗れば良い!」
絆されて振り返った私の目に映ったのは
「あああああああああああ⁈」
「キィイイイイイイイィィイイイ⁈」
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