嫌な夢は食べて忘れよう

 私の目の前には聖女様がいた。

 聖女様を取り囲む上位貴族の娘達は皆一様に目を開いて私を責めるように見下ろしている。

 違うの、違うんです、違います!

 叫びたいのに、私の口は動かない。手は、膝の上に固定されたみたいだ。それどころか、全身が石のように硬くなりみじろぎすら自分の意思では叶わない。

 誰か、助けて。

 本当に、本当に私の意思じゃ無いの。

“今更出て来て何をするつもりかしら?”

“いつまでも教会に守られてれば良いのよ”

“男を漁りにおりてきたのかしら”

「嘘っぽい笑顔、アレに騙される人間がどうかしてる………え?」

 聖女様に向けられた心無い言葉の数々は、外側で聞こえていたはずなのに、気付けば私の口から出ていた。体の内側では苦しくて泣きたいのに、水面に映った私の顔は笑っている。悍ましい笑みで。

 何で、違う、私はこんな事したくない。

「大丈夫よ、私はわかっているから、私に任せていれば大丈夫だから」

 いつの間にか、目の前に聖女様が立っていた。皆んなに向ける天使のような微笑は彼女が神の使いだと納得できるほど神々しい。

 けれど、この記憶は一体何?

 私はこれまで聖女様と言葉を交わしたことはおろか、これほど近づいたことも無い。彼女はいつもご令嬢達の隙間から憐れむような目で私を見ていた。——ああ、そうか。

「……これは、私に都合のいい夢なのね」

 いつの間にか眠ってしまったらしい。体を起こすと、そこにヤツの姿は無かった。どこかへ出掛けているのだろうか。わからないけれど、今は一人になりたいからちょうど良い。

 そう言えば、彼の名前は何だろう。名前という概念は持っているのなら、彼自身も名前を持っているはずだが聞かなかった。あの見た目はそれだけで彼について知ることを避けてしまうけれど、こんな暗くてジメジメとした場所に一人ぼっちでいるなんて私なら耐えられない。私を見た彼はとても嬉しそうだった。もうずっと彼の話し相手になってくれる人がいなかったと言うことだ。オラクルさんは……ここにいたくないみたいだったし。

「あんな反応、失礼だったよね」

 帰って来たら謝ろう。

 何かすることはないかと考えて視線を飛ばすと、そう言えば荷物は持って来たままだと気づく。

「——よし、これでいいかな」

「パトリシア、仕事の時間だ」

 ちょうど荷解きを終えた時、オラクルさんの声が響いた。

「はーい」

 返事をして、部屋の出口に小走りで向かう。すると、ボトッと音を立てて目の前に何かが降って来た。

「ぎゃあああああああ‼︎」

「ふにゃ?朝?」

 私は悲鳴をあげてそれを避けると、すぐさま檻に鍵をかけて、寝ぼけた彼をそのままにし、オラクルさんと就労ホールへ向かった。


 ◆◆◆


「それじゃあ各自与えられた仕事に取り掛かれ!」

 鞭を腰に下げた男の掛け声で皆んなが一斉に動き出す。私に与えられた仕事は梱包作業に使う飾り作り。手先が器用な人に任せたいとかで、グループの中で最も指の細い私に担当が回って来た。

 初めはどんな重労働をやらされるのかと不安になったが、幼い頃孤児院でやった折り紙みたいで楽しくなる。ん、これは前世の記憶か。

 淡々と仕事をこなせば、ベルが鳴った。昼食の合図らしい。ぞろぞろと出ていく魔物に続いて食堂に行けば何層にも渡って吹き抜けているホールの中央に配膳用のキッチンが見えた。

 オラクルさんに教えてもらった通り黄色のお皿を選んで取っていく。他にもピンクや緑のお皿があるが、ワームや目玉のような何かの山、もはや何なのか見当もつかないゲル状の物体など確かに人の食べ物ではないと一目でわかるものが他の皿には盛り付けられていた。

 これなら間違えようもないなと安心して、席を探す。

「わっ」

「邪魔だよ新入り」

 後ろから突き飛ばされて体勢を崩す。幸いお皿の中身は無駄にならずに済んだ。

「おっと」

「きゃ」

 前言撤回。突然手を叩かれて落ちてしまった。嫌な音が騒がしかった食堂を静かにさせる。周囲からの視線を感じながら、私は膝をついて食べ物をお皿に戻した。

「何だお前それ食べるつもりかよ?」

「犬っころみてえだなあ」

「あ?それ俺らに喧嘩売ってんのか?」

「みっともねえなあプライドは無いのか?」

 飛んでくる声を無視して、私は空いてる席に座った。そこのテーブルにいた人たちはお盆を持ってそそくさと他のテーブルに移って行った。

「いただきます!」

 いつものように努めて明るく手を合わせた。

 私の声に、またも食堂は静かになる。私はそのまま何も気にせずに皿に盛られた食べ物を食べ始めた。すると周りからは指笛や笑い声が上がる。

 無視して食べ続けていると、それが気に入らないのか、誰かが私の顔を皿の上に押し付けた。押し付けられたまま食べていると、やがてその誰かは手を振るわせて退がる。

 私は食べ続けた。


 お皿が空になるまで。


 ブレーカーを上げたみたいなバチッと言う音が頭の中で鳴った。映る景色はきっと前世の世界。私は一人ぼっちで食事をしていた。隣にいる“せんせい”が笑顔で言った。


「残さず食べなきゃお母さん迎えに来てくれないわよ」


「もうやめろ」

 オラクルさんの言葉で我にかえる。いつからそうしていたのか、空のお皿は私がつけたフォークの跡で少し傷がついていた。

 私は慌ててそれを下げると、奥で働いている魔物に「ごめんなさい、弁償は出来ないので、就業時間外でよければお仕事手伝います!」と声を掛けた。けれども彼らは怯えたように私からお盆を奪い取ると「気にしなくて良いから」と愛想笑いを浮かべた。

——私、また何か間違えちゃったのかな。

「午後の担当は荒っぽいから何か言われても反発しない方がいい……さっきみたいにな」

「……はい、大丈夫です」

 心なしか、オラクルさんにも距離を置かれた気がする。でも、オラクルさんの方がずっと怖い見た目をしているのにな。

 尖った耳は長く、目も姫りんごくらいの大きさで白目がない。逆に頭は小さくて、長く尖った鼻先の下では牙が口からはみ出している。人狼と言っても、それほど狼らしさは無い。なぜ狼と付いているのかさえわからないけれど、こう言う種族を人狼と呼ぶと以前見た文献で読んだ。

 そんなこと、今はどうでも良いけど。

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