旅の友
午後の仕事は刺繍。ホールには手先の器用な魔物が残されて、それ以外の魔物達は何かを運ぶために外へ出て行った。刺繍と言うと、前世のクラスメイトの中に母親と作ったと言ってハンカチを持ってきていた女の子がいた。私には針と糸とであんなに綺麗な絵をどうやって描き出すのかわからなくて、どうして彼女は母親と向き合えているのかわからなくて、自分と言う人間が異質な存在なのだと突きつけられたような気がしていた。現世では淑女の嗜みとして教わったのでこのくらい簡単にできるけど、思えば母親と言う存在から教わったわけではない。出来について褒められただけマシなのかもしれない。あの人は私を褒めなかったから――。
「お前、さっき何で食べた?」
少年のような高い声が聞こえて顔を上げると、トカゲの顔をした魔物がすぐそこに立っていた。背丈は私の胸くらいで瞳は山羊のように真一文字。ぺろりと垂れた舌が可愛い。けれど、その腰には鞭が掛けられていた。
「何だ、答えろ、答えなければ鞭打ちだぞ」
抑揚のない声で真意は読み取れないが、まっすぐ見つめてくる目に私は素直に答える事にした。彼なら茶化さないだろうと、人を見る目だけは自信があるから。
「残してはいけないからです」
「落ちたやつでもか?」
私の返答に彼は目を細めた。私の目をじっと見てまるで心を見透かすようで気まずい。
「遠い昔、食べ切れなかったらそれはそれは恐ろしい目に遭っていたんです。その時の恐怖が今も拭えません」
「……そうか。どんな苦労知らずのねーちゃんが来たのかと思ったが、あんたここにいる誰よりも汚えもん抱えてるな」
細められた目は私の前世まで見透かされそうで私は自然と目を逸らした。
「どうでしょう?誰も他人にはなれないのですから、比べる事もできません。私より、ずっと重いものを抱えて身動きが取れない人がいるかもしれませんよ……」
その時なぜか、ルームメイトのヤツが思い浮かんだ。そう言えば、彼はここにはいないし食堂でも見かけなかった。なぜだろう?
「ま、いいさ。お前の仕事は丁寧だからな。俺はそう言う奴は嫌いじゃねえんだ」
にっこりと笑った顔はやっぱり可愛くて、彼に認められるため、私は一針一針丁寧に縫った。
「それじゃあ、また明日呼ぶから」
「……はい」
夕食を済ませた私をオラクルさんが階段下まで見送ってくれた。去っていく背中を眺めてから、鍵を凝視する。怖いし嫌だけど、私の部屋は鉄格子の向こう側なのだから行くしかない。
「何してるのー?」
「きゃあああああ‼︎」
「イャアアアアア」
突然ずしりと背中に重みがかかり、聞きなれた声が降ってくる。鍵を開けていないのに、なぜここに居るのだろうか。
悲鳴をあげて私からカサカサと離れた彼を見ると、鉄格子の下で抉れた土によって出来たわずかな隙間を通る後ろ姿を見てしまった。
“ 一応、渡しておくがあまり意味はない”
今になってオラクルさんの言葉の意味を理解した。そりゃそうだよね、やつらは隙間さえあれば十分だよね。
当然と言えば当然の現実に全身鳥肌が立って、私の心はすでに折れかけていた。
◆◆◆
暫く葛藤した後、疲労感が
彼の様子を伺うと、彼は部屋の中央で何やら小刻みに震えていた。
「あの、どうしたんですか?」
声を掛けても返事は無い。もう一声掛けようかと思ったけれど、それほど仲が良いわけでも無い、と私は背を向けて茣蓙に寝そべった。
おそらく翌日、昨夜のことが嘘のように彼は私に張り付いて来た。正直恐怖でしか無いという事を彼はいつになったら理解してくれるのだろう。私は今日も今日とて壁を眺めて過ごしている。どれだけ時間を共にしてもいまだに私は彼のヴィジュアルに慣れる気配が無い。それどころか嫌悪ばかりが増していく。
「あの、」
「なに?」
ちょっと声を掛けると待ってましたと言わんばかりの反応が返ってくる。何だか突き放すような事が言えなくて、私はため息混じりに名前を尋ねた。
「名前?僕の?」
「はい。同じ部屋に住んでいるのに、知らないままなんて不便でしょう?」
「確かに!僕は君をリーサと呼ぶけど君は僕の事呼ばないもんな」
六本ある脚のうち上二本を器用に組む姿に私は吐きそうになり慌てて背を向けた。
「僕の名前はね、カムパネルラ」
「……え?」
「ふふっ、本当は違うけど、僕は昔誰かにそう呼ばれていた気がするんだ。だからそう呼んでくれ」
「わかりました、カムパネルラさん」
彼がそう呼んでほしいと言うのなら、私は彼をそう呼んだ方がいいのだと思う。それに、実は彼が私をリーサと呼ぶたびに、しっくりくる。彼の言うカムパネルラという名前ももしかしたらそういう事なのかもしれない。
「仕事だぞ」
不意にオラクルさんの声が響いた。私は立ち上がって扉に向かおうとするが、なぜかカムパネルラが上に乗っかるため、うまく動けない。
「どいてください、私行かないと」
「……わかったよ」
思いの外すんなり離れたカムパネルラの声は弱々しかったが、私も仕事となると無視はできない。少しの罪悪感を振り払うように階段を駆け上がった。
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