カエルのお姫様
階段へと続く扉の前で立ち止まる。
正直カムパネルラに会うのは気が重かった。カムパネルラと離れている間は後悔ばかりが襲ってきて、だと言うのにいざ同じ空間にいるとつっけんどんになってしまう。頭の中も胸の内もモヤモヤして、それを振り払うようにドアの把手に手をかけた。
ここ数日短いと感じていた階段が今日はやけに長く感じる。それはおそらくカムパネルラに会いたくないと心のどこかで思っているから。
けれど、どんなに長いと感じても終わりはくる。階段の下で私は動けずにいた。
しばらく経って、私は違和感に気づく。
いつもなら私の足音を聞きつけて、私が階段下に来る頃にはカムパネルラが出迎えにきていた。あまりにも悍ましい姿なので映像は思い出さないけど今日はどう言うわけか出てこない。
「カムパネルラ……?」
恐る恐る声をかけると、冷たい声で「なに?」と返ってきた。今まで彼のそんな声聞いた事なかったものだから私の頭は混乱して「何でもない」と言うのが精一杯だった。
鉄格子の扉を開けて中に入ると、いつものようにカムパネルラは部屋の中央でじっとしていた。けれどいつもと違って私には見向きもしない。それがなんだか寂しくて、それでも私から縋るのは間違っているとわかっているから私もいつものように壁を見て横になった。
どうやらカムパネルラは本当に私に興味がなくなったらしい。声を掛ければ返事をしてくれるけど、会話を繋げるような返事ではなく、終わらせる言葉を意図的に使っているようだった。その度に胸が痛む。もちろん、態度に傷ついたのもあるが、それはカムパネルラに対する私の態度そのもので、自分がしたことの酷さに日が経つほど苦しんだ。
ある日、私はふと自分がここにきた時の話をしてしまった。
どうせカムパネルラは聞いているのかいないのかもわからないし、聞いたところで、関係ないのだと思ったから。あの世界を知らない誰かに話を聞いてもらいたかったのも事実。そして、どちらか一方に肩入れするでもない立場の誰かに聞いてもらいたかった。
そういう意味では彼女たちを知らず、かと言って私への情が薄れたカムパネルラはちょうどよかった。
「それさ、甘えすぎじゃない?」
カムパネルラから出てきた言葉は思っていた以上に冷たかった。けれど、それが間違っているとは思わないし現に私自身そうであったとここへきてからは思うようになっていた。
図星だから胸が痛いのと——おそらく、これはとても矛盾した自分勝手な望みではあるが——カムパネルラなら「辛かったね」と優しく声を掛けてくれるかもしれないと思ったからだ。けど、そんな浅はかな気持ちは打ち砕かれた。
「本当にね、私もそう思う。……ほんと、彼女には悪いことをしたな……」
カムパネルラは何も言わなかった。何だか真っ暗な世界でひとりぼっちになってしまったようで、逃れるように私は夢の世界に落ちる。
『昔々あるところに美しいお姫様がいました』
真っ白な世界に徐々に輪郭が描き出される。そこに置いてある家具は何もかもが小さくて可愛らしい。床も柔らかい素材で色味もピンクや青、黄色とカラフルだった。
『ある日お姫様が王様にもらった金の鞠で遊んでいると、鞠が井戸に落ちてしまいました』
私は近くにあった椅子に腰掛ける。どうやら私はコウコウセイのようだ。緑のチェック柄のスカートに紺色の膝丈の靴下を履いている。クリーム色のベストの下に長袖のワイシャツはボタンをきちんと留め、その下の痛々しい青や赤、紫を隠していた。
『そこへカエルが現れて“僕を友達として晩餐に招待してくれるなら僕が金の鞠を拾ってきましょう”と言いました。お姫様はカエルにお願いします』
これ、知ってる。カエルの王子様だ。幼い頃、何で心優しい蛙に冷たくするんだろうって思ってた。
振り向いてもらうために一生懸命頑張ったのに、結局あの人は私がお金になるとわかるまで私に見向きもしなかった。
『お姫様は醜いカエルを無視しますが、事情を聞いた王様がお姫様を叱ります』
養育費だって、私のために使われた事はない。あの人はいつもブランドのロゴがデカデカと書かれた服に身を包み、年甲斐もなく若い男に入れ上げて捨てられて、そうなると私に空の酒瓶を投げてきたっけ。買って来いって。未成年に買えるわけないでしょって、通じる頭も持ってない。
『この馬鹿ガエル‼︎良い加減にしろ‼︎』
「この馬鹿娘‼︎私の男を取りやがって‼︎」
あれは、いつだったか。あの人の新しい彼氏は若い私が目当てだった。私は何とか逃げ出してあの男は捕まったけど、あの人は私のせいだといつにもまして酷かった。口の中に鉄の味が広がった。
————そのあと、どうなったんだっけ?
『気がつくと、壁に叩きつけられたカエルの姿はどこにもなく、床には美しい男が倒れていました』
ああ、そうか、うん、そうだった。
あの人はきっと溜まっていたものが爆発したんだろうな。いつにも増してあの日は酷かった。
痛いと言う気力もなく、
やめてと言うには気持ちが曖昧で、
それでも苦しそうなあの人を見たら、
ただ————、
ただ、ごめんなさいって。
『実はカエルは魔法をかけられていた王子様でした。彼はお姫様のおかげで呪いが解け、二人は結婚し、末長く幸せに暮らしました』
その日がどんな天気だったとか、何があったとか、そんなの何一つ思い出せないけど、久しぶりにあの人と……お母さんと目が合ったのは覚えている。たとえ、それが求めていたものでなくとも、それだけで私は幸せだと思ってしまった。
目が覚めた時、ひどく喉が渇いていた。
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