聖女と王子様

 部屋は静まり返っていて、私以外カムパネルラも含めて気配を感じられなかった。

 私は体を起こして水をもらいに行こうと部屋を出る。不思議なことに部屋から出た後も何の物音もしない。就業時間であっても普段は誰かしらの声が聞こえたり常に動き回っている魔物の物音がするのだが、不気味なほど静まり返っていた。

 何かがおかしい。けれど、それが何なのかわからない。妙な胸騒ぎに、私は全ての部屋を見て回った。けれど、このフロアにいるのはどうやら私だけだった。

「オラクルさん?レッグスさん?誰かいませんか?」

 たまらず声を掛けるが、返事は無い。何度呼びかけても物音一つせず、私は意を決して螺旋階段へと続くドアの持ち手に手をかけた。

「あら?」

 その時、向こうから声が聞こえて咄嗟に手を離す。するとドアはひとりでに開いてその向こう側に、この場にいるはずのない人物が現れた。

「久しぶりねパトリシアさん」

「聖女……様?」

 その日、私は彼女に初めて敬称を付けられた。

「聖女様が、どうしてここに?」

 戸惑いつつも尋ねれば、聖女様は笑顔で答える。

「助けに来たよ」

 その瞬間視界が酷く歪んで、私は立っていられずその場で膝から崩れ落ちた。回る世界で誰かに触れられているような気がした。けれど、目を開けていられず、いつまでそうしていたのか気がついた時には私は知らない部屋でベッドの上に寝かせられていた。


 目が覚めた時、まだ少しフラフラして慌てて目を閉じた。しばらくそうしているとようやく慣れてきたのか私は状況を整理するためにベッドから起き上がる。

 その部屋はこの一ヶ月生活していた牢屋と違い、王宮で来賓を泊めるために用意された様な見事な部屋だった。それに、窓もある。窓の外は雪山で、ここがまだ魔王城の一室であるとわかった。

 ——でも、今はカムパネルラ達を探さないと!

 そう思って部屋を出ようとした時、私は壁に大きく飾られた一枚の絵に違和感を覚える。その絵は貴族や侍女など様々な女性がお城の一室で集まっている絵だった。違和感の正体はわからないが、その絵の中の人々は目を伏せていたり泣いているようだったり、顔を隠していたり、こちらに何かを訴えているようであったりと、決して客間に飾るような絵ではないのだ。

 男尊女卑の国なら受けが良さそうな、支配されている絵。……いや、支配と言うよりこれは——。

「パトリシア!」

 その時、ドアが開いて、オラクルさんが現れた。彼がなぜここにいるのかはわからないが、私は先ほどの不安がぶり返して、安心感からかつい涙を流してしまう。

「オラクルさんっ、どうしてここに?」

「実は今日は定例会議なんだが———っ!」

 私に駆け寄って事情を説明しようとするオラクルさんだったが私が先ほど見ていた不気味な絵を見た時、口を止め、中に描かれている歯を食いしばって耐えるような顔をした金髪の女性を見つめる。

「アナ……君なのか?」

 そう言って、オラクルさんはそっと絵をなぞった。不思議なことに、絵の中の女性もオラクルさんの手に触れるように両手を伸ばしている。

「これは一体……」

 戸惑う私の声でハッとしたのかオラクルさんは私の手を引いて走り出す。訳がわからなかったが今はただ彼についていった方がいいのだと理解する。

 そういえば、意識を失う前に現れた聖女様は何だったのだろうか、と考える。それにあの顔に見覚えがあった。体の芯から冷たくなるような、そんな不快な顔。

 前を走るオラクルさんは地下へと続く階段では無く柱の前で立ち止まると、周囲を確認してからそっとなぞる。そして、ある一点で手を止め指で押し込むと私の横の壁の一部が下に落ちて、向こう側には扉が現れた。

 驚く私の手を引いてオラクルさんが中に入ると、そこには人形の魔物が沢山いた。

 皮膚が鱗のような魔物に、筋骨隆々で真黒な角の生えた魔物、羽が生えたピクシー種に、大きな目が一つあるだけのビッグアイ、双頭龍とそれから――――。

 一番向こう側に立っていたのは緑の羽が生えた男の人。髪が長くて、緑色の前髪が二束、触覚のように垂れている。私はその姿を見て、振り返った彼のエメラルドの瞳を見て駆けだした。

「カムパネルラ‼」

「リーサ⁈」

 私を抱きとめた彼の腕は四本だった。

「お連れしました、陛下」

 そう言ってオラクルさんが膝をつく。周りにいた魔物たちも私とカムパネルラを囲むように膝を折った。

「陛下?カムパネルラが?どういう事?……魔王様?」

「違う‼」

 私の疑問に背後から鋭い否定が飛んできた、見れば、それは双頭龍の片割れだった。

「もしかして、オリバーさんですか?」

 亀から龍なんて見た目も大きく変わっている。けれど、私にはなぜか確信めいたものがあった。

「ふんっ」

 やはりオリバーさんのようだ。けれど、どうして亀型の魔物だった彼が、人の身体を有しているのだろう。彼だけではない。オラクルさんも、食堂で私に嫌がらせしてきた面々も、同じグループの人たちも、皆人型に変化している。

「陛下、今の状況を整理するためにもパトリシアには知ってもらう必要があるかと存じます」

「うむ、そうだな。では頼んだぞ、オラクル」

 オラクルさんはカムパネルラに頭を下げると私に向き直った。そして教えてくれた。この国で一体何が起きたのかを。

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