公国と魔王
「元々、この土地はエヴニール大公国のものでした」
私とカムパネルラとオラクルさんは奥の部屋に移動した。その部屋は簡易的な会議室で、中央に大きめのテーブルが一つと椅子が数脚置いてある。その一つに腰掛けると、オラクルさんはこの国について語り始めた。
「辺境の地を管理し、時折現れる突然変異を起こした獣達を討伐する事が主な役割で、その報酬として他国から肉や魚なんかを貰っていました。この国では作物は育ちますが、突然変異——つまり、魔物として変異する可能性があるため家畜などが飼えなかったのです」
これほど寒い土地でも畑が作れることに驚いた。久しぶりに見た外の景色は空が真っ黒で緑どころか白い山と雪しか見えなかったのに。そんな私の疑問に答えるようにオラクルさんが続ける。
「この土地は、元は緑が豊かでした。雪も、冬になれば積もりましたが、普段は木々が生い茂り花も咲くような地域です。もちろんこの城があるような山の上となると、雪の溶けきらないところもありましたが……今のような環境ではありませんでした」
「では、なぜ?」
オラクルさんはカムパネルラを見て、カムパネルラもそれを受けて頷いた。
「パトリシア殿、あなたは魔王をご存知ですか?」
魔王、それは聖女様と協定を結んだ魔物の王の事。もしその情報だけで十分だと言うのなら、知っていると言えるかもしれない。
「魔王とは、魔物化した人間の事です」
「えっ」
そんな話、聞いた事がない。けれど言われてみると魔王という存在についてわからない事が多かった。どこから現れて、何をするのか。ただ周囲の人間が恐ろしいと言うから恐ろしいものだと思っていた。
戸惑う私を見てオラクルさんは困ったように微笑む。
「ええ、驚きましたよね。人間の魔物化はそうある話ではありませんし、ほとんどがこの国の中で処理されていましたから他国の人間まで情報が行き渡らなかったのでしょう」
「オラクル」
「はい。……今の魔王はこの国の宰相だった男です。名をアルカナ・ハイランド。私の父だった男です」
私は言葉を失った。魔王が元宰相?それに、オラクルさんの——。
オラクルさんに同情の目を向ければ、彼はそれを断るように視線を下げた。部屋に沈黙が降りる。
「ここからは私が話そう」
声を上げたのはカムパネルラだった。オラクルさんが気になったけれど、私はカムパネルラに視線を向ける。
「アルカナは忠臣であったが、それゆえに一度信じ込むと厄介なところがあった。そして、私がアルカナを裏切ったため彼は魔に染まってしまったのだ」
一体何があったのだろう。気になったけれど今ではないと口を挟むのはやめた。
カムパネルラは続ける。
「人が魔物化したのは百年ぶりだった。そのせいで知識が乏しく、してはいけないことをしてしまった」
「してはいけないこと?」
「魔物化した人間は完全体になる前に討伐しなくてはならない」
私の疑問に答えたのはオラクルさん。彼は拳を握り締めた。強く、強く。そこに後悔の色が滲んでいた事で、おおよそ何が起きたのか想像がついた。
「私が甘さを捨てきれなかったのだ。魔に蝕まれた者であっても、彼なら戻ると信じてしまった、願ってしまった。けれど、現実とはそれほど甘くは無い。暴走したアルカナから漏れ出す魔素が、周囲にいた私達に影響を及ぼしていった」
「最初の異変は父を監視していた看守に起こりました。肌が変色し、鱗で覆われ、瞳が変色しました。……魔物化です」
「そんなっ……」
「事態を把握した時には、すでに多数の者が魔物化していた。アルカナの統率によるものか、はたまた私に心配をかけまいと独断で動いたものがいたかはわからぬが……。ある日、アルカナが魔物を引き連れて私の元を訪れた」
当時の状況を思い浮かべているのか、カムパネルラの表情は暗い。オラクルさんも歯を食いしばっていた。牙がなくなったとはいえ、鋭い歯では血が滲む。
「戸惑う私達を捕えると、アルカナは私に自分の血を飲ませた。途端に私はあの醜い姿に変わっていた。そしてあの部屋に幽閉されたのだ。しばらくは誰にも気づかれず一人で閉じこもっていた」
ふっと、力なく笑う姿に胸が痛んだ。私だって、もしも突然あんな場所に放り込まれたら精神が蝕まれていく。だから彼は私にあんなにも話しかけたのだろう。それなのに、私は——。
「その後も少しでも早く魔物化が進むようにと、他の者達は一つの部屋に押し込まれ、劣悪な環境に置かれた」
「少しでも魔素を取り込んだ者は、胸の内に他者への恨みを募らせるたびに魔物化が進み、人である事を忘れてしまうんです」
つまり、あの地下で働いていた人たちは元は普通の人間で、魔物化した宰相のせいであの姿にされていたと言う事?
「つまり、私に影響が無いのは魔王に会った事がないから、ですか?」
私の言葉にカムパネルラとオラクルさんは頭を振った。首を傾げると、カムパネルラが口を開く。
「宰相の魔素は今やこの城のどこにいても浴びる事となる。君が共に働いていたヴィクルやバーノンは元はこの国の人間では無い。他国から連れられてきた罪人だ。だからこそ、私達は君に興味を持った。一月もここにいるのに魔物化しない君にね」
にっこりと微笑むとカムパネルラは立ち上がり、私の隣に座る。そして、上の二本の手で私の手を取るとまっすぐに私の目を見つめる。
「もしかしたら君は聖女なのかもしれない。以前文献で読んだ事があるんだ。聖女は魔素を受け付けず、存在するだけで辺りを浄化すると」
「そんなっ、私が聖女様なんてそんな……むしろ私は……」
私は聖女様を追い込んだからここに送られたのだ。私が聖女なわけがない。聖女なら誰かを傷つけることなんて絶対にしない。
「だが、実際に私達は君が現れてから人間の姿を取り戻しつつある。事実だけを見ればそう言うことではないのか?」
「……ありえません。お話しした通り私は聖女様を……」
「リーサ、私を見て?……もう、私を見ても苦しくないよね?それはリーサのおかげなんだよ」
優しいエメラルドの瞳が揺れる。そうだ、私ずっと彼を避けて冷たい事を……。思い出して涙が滲む。悔しくて恥ずかしくて。彼は何も悪くないのに私は見た目だけで彼を否定して傷つけた。
「だから、私を見てってば!」
両頬を掴まれて、ついカムパネルラを見る。そこにいたカムパネルラは私を恨む気持ちなんて微塵もなくて、ただ屈託のない笑顔を私に向けてくれていた。その顔が誰かに重なった気がして、私は涙を流した。
親に捨てられた時も、婚約者に見放された時も、友達に無視された時も、お母さんに殺された時も、***さんに襲われた時も、いじめられた時も、お母さんを一人で待っていた時も……、どんなに辛くても流れなかった涙が、カムパネルラの笑顔を見た瞬間とめどなく溢れる。ずっと待ってた春の雪解けのように心の中の冷たい氷が溶けていく。
慌てて離そうとするカムパネルラの手を覆うように私の手を重ねる。
「あり、がと……ありがとう、カムパネルラ」
「うん!」
なぜだか救われた気がした。
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