ひび割れそうな覚悟


 復職して早ひと月。

 ミモザではなくリナリアとして働くようになって、何か変化が起きたかと言えばあったようななかったような。

 仕事内容的には以前と変わらない。今も契約職員として、他の人より勤務時間が短縮されているし、所属部署も同じだ。

 仕事中はウルスラさんにフェリクスの面倒を見てもらっている。


 変わったことといえば、周りから呼ばれる名前が変わったこと、帰る場所が実家になったことであろうか。


『リナリア、暗くなってきたよ』

『真っ暗になるよ、危ないよ』


 還らずの森で作業をしていた私は、周りにいた野生動物たちに声を掛けられて空を見上げた。いつの間にか青空は夕焼け空に変わっていた。


「うん、そろそろ帰ろうかな。皆またね」


 私はゆっくり立ち上がりながら、地面についていた膝から砂を払い落として、その場から転送術で移動した。

 職場に戻って業務報告やら書類仕事を終わらせると、私は帰宅準備をする。そしていつものように同じ部署の人に帰りの挨拶をして職場の敷地内から出ようとしたのだが、そこで「リナリアちゃーん」と軽薄そうな声に呼び止められた。


「……モーリッツさんお疲れ様です」


 変わらないといえば、この人もである。

 ミモザの姿のときも言い寄られていたが、もとの姿になっても彼は態度が変わらなかった。

 3学年上のモーリッツさんと魔法魔術学校で在学期間が被っていた間に私のことを見かけたことがあったらしく、印象に残っていたと言われて反応に困った。

 接点がなく、関わりは一切なかったのに、一方的に認識されていると言われたら、それをどういう意味で捉えたらいいのか…。私って悪目立ちしていたのかなって…


「お疲れ様。ねぇところでリナリアちゃん、甘いもの好き?」

「甘いもの、ですか? 人並みに好きですが…」


 なにかお菓子でもくれるのだろうかと首を傾げていると、ぎゅっと手を握られた。


「今度、王都の大広場でグラナーダ祭りがあるんだ。グラナーダは花蜜や果物の生産が盛んで、毎年その祭りで美味しいお菓子を出品されるんだよ。息子くんも食べられるような果物をピューレにしたものもあると思うから3人で一緒に行かない?」


 フェリクスを加えた3人で出かけないかと誘われた私は、彼の勢いに身体をのけぞらせた。 

 以前から子連れでどっか行こうと誘われることはあったけど、ここに来て彼の押しが更に強くなった気がする。


「えぇと、あの、日曜日はちょっと用事があって」

「また大神殿のお手伝い?」

「そうではなくて」


 参った。断っても断ってもなかなか諦めてくれない。

 私はモーリッツさんを同じ職場の人としか思っていないし、同じ部署でもないからそんなによく知らない。あんまり意識していないし、言い寄られても困るだけなのだが。


「リナリアが嫌がっているのがわからないんですか」


 ぬっと私とモーリッツさんの間に何者かの腕が乱入したかと思えば、握られた手が引き剥がされた。

 視線を斜め上に持ち上げるとそこにはダークブロンドの髪を持った男性の後ろ姿。


「……ルーカス」


 そうだ、あれから全快したルーカスは学生として学業に専念する一方で、こうして私に会いに来ることが増えた。

 来ている理由は言わずもがな、私とフェリクスの心配をして、責任を取らせてくれと訴えるためにである。


 もちろん私の仕事に支障の出ないように、こうして終業時間を見計らって職場の出口で待っていることが多いのだけど……そんなことされても私の意志は折れない。


「ルーカス、何度言来られても私は…」


 何度同じ事を言っただろう。

 私はあなたの話を聞かずに失踪して子どもを生む選択をした。その時点であなたの手を借りずに生きていくと決めていたんだ。

 責任という形であなたの人生を縛るつもりはない。私とフェリクスのためを思うならそっとしておいてほしいと。


「君とフェリクスをそのままにはしておけないよ。母一人子一人で生きていくのは大変だよ」


 だけどルーカスはそれだけは出来ないという。

 クライネルト家の血を引く息子を放置出来ないという事情もあるのだろう。

 私は彼から告げられた「愛している」の言葉をどこまで信じていいのかわからず、今も突き放す態度を取り続けていた。


「……両親がいるから平気よ。ウルスラさんもまた乳母としてあの子の面倒を見てくれているし…」


 今のところ私が病かなにかで倒れても、頼りになる大人が他に3人側についている。

 だから問題ないと言ってみたが、ルーカスは納得した様子がない。


「リナリア。あの子には父親が必要だ。親子3人で暮らそう」


 そう言い聞かせるように頬を手のひらで優しく包まれた。私はそのぬくもりになんだか泣きそうになって、ぐっと歯を食いしばる。

 あんなに愛おしくて憎い群青の瞳に見つめられると、心の中がぐちゃぐちゃになってしまいそうになる。


「ガキすぎるから嫌なんでしょ?」


 横やりのように投げかけられた言葉に反応したルーカスの眉が軽く動いた。


「俺は大人の男だし、リナリアちゃんを不安にさせたりしないよ?」


 あれ、まだここにいたんだ…と私が内心思っているとは知らないであろうモーリッツさんはルーカスの手を捻りあげて私から引き離していた。さっきとは逆である。


「年齢は大人でも中身はどうでしょうね」


 捻りあげられた手が痛いのか、ルーカスは手首を擦りながらジロリとモーリッツさんを睨んでいた。


「1リラも稼げていない、親のスネカジリが何生意気言ってるんだ」


 ルーカスの毒舌に負けじとモーリッツさんは経済力を全面に出してきた。それに対して、気分を害したルーカスの目が鋭くなった。どうやら彼らは競い合いを始めたみたいである。

 別に私は今のところお金に困ってないし、自分の稼ぎで自分とフェリクスの面倒は見られるから問題ないけど、部外者からしてみたらそこは気になっちゃうところか。


「確かに学生の身分ではありますが、僕はれっきとしたフェリクスの父親です」

「種を仕込むことは健康な男なら誰だって出来るんだよ。身体に大きな負担を背負う母親と違って、男は楽に父親になれる。そこを勘違いすんなよ」

「……部外者は口出ししないでくれませんか? あなたには関係のないことだ」

「はぁ? まともに父親やってないくせに偉そうに言うなよ。お前、何様のつもりなんだ?」


 いたたまれないので今すぐにやめて欲しい。ふたりは魔力でも放出しているのだろうか。空気が重い…

 そういえばこのふたり、私がミモザとして偽って働いているときも私を間に挟んで睨み合いをしていたような…


 彼らは私を置いて、お互いを睨み合ってチクチクと言い合いをしていた。声を荒げたり手を上げるわけじゃないけど、それでも居心地は悪い。

 止めるにもなんか色々面倒くさくなってきた。

 ……勝手にやっててください。私は帰ります。


「お疲れ様でした」


 私は喧嘩をしているふたりに挨拶をするとその場で転送術を使った。

 そのまま実家前まで飛ぶと、そのまま玄関の扉を開けようとした。


 しかしその前に後ろから「リナリア」と呼び止められた。

 振り返ればそこにはルーカスの姿。あの場から私を追いかけて転送術で移動したみたいだ。


「邪魔が入ったから本題を忘れるところだった」


 空には月が輝いていた。

 実家の側にはブルーム商会の倉庫があるのだが、終業時間を過ぎた今は人っ子一人いない。月の明かりと、実家の窓から漏れる光以外は灯りがない場所で真っ暗なのに、ルーカスがどんな表情をしているかはっきりわかった。

 彼はなんだか緊張した様子で、そっと私の手を握ってきた。


「リナリア、今度食事に行かないか?」


 彼の今日の用事は食事のお誘いをするためだったらしい。

 今なら手紙や伝書鳩でも連絡を受け取ったのに、彼は自分の口で伝えたいから私の仕事終わりまで待って会いに来たのだという。


「落ち着いた場所でじっくりふたりで話したいんだ」


 私を連れていきたいお店は、ミモザだった時に誘われたレストランなのだという。クライネルト一家の行きつけで落ち着いた場所だと言うなら、きっと格式高い三つ星店なのだろう。


「今の僕とリナリアは会話が足りない。誤解も残っている。まだまだ理解できていない部分がある。……食事しながら離れていた間のことを話そう」


 ルーカスに優しく言い聞かせられた私の口から辞退の言葉は出てこなかった。


 苦しくなった。

 彼の言葉を突っぱねれば突っぱねるほど、頑なだった私の心がひび割れて壊れてしまいそうだったのだ。

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