牽制


 薬学の授業の後に片付け当番で居残ってお手伝いしていた私は他の人より遅れて校舎を後にしようとしていた。

 今日は学期末試験に備えて図書館でルーカスと一緒に勉強する予定だ。待ち合わせしている図書館に急ごうと小走りで進んでいると、それを妨害するかのように複数の人影が私を通せんぼした。ぬっと出現した色とりどりの花たちに驚いた私は飛び上がりそうだった。


「あなたがルーカス様に気に入られているという平民の方?」


 首をのけ反らせて言ったその人は平民が身につけないようなドレスに身を包んでいた。高飛車な態度を抜きにしても、どこからどうみても貴族のお姫様たちである。

 え、ここ、一般塔の敷地内、よね?

 思わず辺りを見渡して現在地を確認した。


「ちょっと、聞いてますの?」


 無視されたと思われたのか、ムッと顔をしかめたお嬢様に注意されてしまった。

 いや……だって、ここ一般塔の敷地内よ? お互いの敷地内に侵入してはいけないという決まりがあるのに何してるの、この人たち……


「中庭でルーカス様と痴話喧嘩なさっていたって聞いたわ。特別親密な間柄だそうね」


 他のお嬢様からも咎めるようなことを言われて私は困ってしまった。

 特別親密というか、友人なだけで……確かに入学当初から面倒見てもらっているけど、そんな意味深な間柄ではない。


「交流パーティの時だって、彼と踊っていましたわよね。わたくし達よりも目立って何様のつもりですの?」

「家柄も資産もなさそうなこんな女のどこがいいのかしら!! 泥臭そうな田舎者が……」


 悪口も交えられてる。ひどい、一方的すぎる。

 この人たち、ルーカスに好意を持っている人たちなの?


「このネックレスだって! あなたのような平民が受け取っていい代物じゃありませんのよ。身のほどをわきまえてはいかが?」


 手をこちらへ伸ばしてきたお嬢様によって、ぐいっと首もとのネックレスを引っ張られて、首筋に走った痛みに顔を歪める。

 引きちぎられてしまう。そう思ってネックレスを守るためにお嬢様の手を掴んで止めた。


「はっ離しなさいな!」


 抵抗されたのが気に食わなかったお嬢様は意地になったのか、ネックレスを更に強く引っ張ってきた。


「──おやめなさい」


 それを見かねた人物が止めに入った。冷静さと高慢さを含ませたその声はこの場にいる誰よりも地位が高いことを現しているようだった。実際に私からネックレスを奪おうとしたお嬢様も慌てた風に手を離して後ろに下がっていた。

 ──おそらくここにいる令嬢達はこの人の友達……いや、派閥内の人間なのだろう。彼女……ドロテア・フロイデンタール候爵令嬢に付き従うように居直る令嬢達はまるで訓練を受けた兵士のようにも見えた。


 ルーカスに想いを寄せ、私のことを決して良くは思っていないだろうドロテアさんが庇ってくれるとは思ってもみなかったので驚いていると、彼女は口元を隠していた扇子をぱちりと閉じた。

 それでピッと私を指し示したかと思えば、鼻ではっと笑った。


「このような平民に心乱すなど、恥でしかありませんことよ」


 ──違った。

 私を庇ったのではない。ドロテアさん本人が私に物申したいから他の令嬢を退かしたのだ。

 ドロテアさんの背後にいる令嬢達は合わせるかのようにくすくすと笑っている……それは優雅ってものじゃない。まさに嘲笑うという単語が相応しい。

 いくら平民相手にしてもそれは流石にあんまりじゃないだろうかと私が口元をヒクつかせていると、彼女の焦げ茶の瞳がぎらりと射抜いた。


「あなたも派手な行動は慎んでくださらないかしら」

「えっ?」


 派手な行動?

 それは、どういうことですかと聞こうにも聞ける雰囲気はない。十中八九ルーカス絡みのことだから、彼に関わるすべてのことを指し示しているのだろう。

 彼女の鋭い眼差しがぐさぐさと突き刺さる上に、周りのお嬢様方からも刺々しい視線を感じる。特にドロテアさんの視線からは憎悪を感じ取れる。それが恐ろしくて私はなにも言えずに萎縮していた。


 ルーカスは一般塔の女子生徒だけでなく、貴族の女の子からも注目されている。特に後者は入学前から目をつけている人もいたであろう。

 多分、ここにいる貴族令嬢たち皆同じ気持ちなのだろう。ルーカスを想っているドロテアさんの想いは特別大きいとは思う。それを別にして、他の令嬢らも密かに彼を結婚相手にしたいと強く望んでいるはずだ。

 この場ではドロテアさんを立てているけど、腹の中では虎視眈々と狙っているのが私にはわかる。野生の勘だけど。


「あなたは勘違いしているみたいだから教えて差し上げますけど、その辺の平民がルーカスの結婚相手になれる訳がないのよ。彼にはわたくしと同じく貴い血が受け継がれていますの。このわたくしを差し置いてその座を得られると思わないことね」


 私を見下すドロテアさんには威圧感がある。人を従えることに慣れている人だからだろう。私は使用人でもないのに、頭を下げて彼女の命令に従いたい気分になった。


 まっすぐ向けられた嫉妬の気持ちは、とても強くて、可愛いとは表現しきれない。殺意にも似た感情にも感じ取れるのだ。

 この人は、こんなにもルーカスが好きなんだな。嫉妬が度を越して人を憎むほどルーカスを想っているんだなと思えた。


「彼に近づくのはどんな理由ですの? 夢を見ただけというなら、見逃して差し上げますから、彼から離れなさいな」

「え……で、でも」


 彼とは同じクラスだし、それに以前距離を置こうとしたらルーカスに嫌がられたからそれはできない。そう言おうとして顔を上げると、ドロテアさんと目がバッチリ合った。

 その瞳から送られる強い視線に私はぞっとして口をつぐんだ。

 ダメだ、言い返したら余計に彼女の怒りを増幅させてしまう。

 どうしたらいい。どうこの場を乗り切ろう。


 ドロテアさんは、私とルーカスを引き離せば何とかなると思っているのだろうか。

 ルーカスに恋人、もしくはいい雰囲気の女性ができる度にこうして裏で脅して引き離すつもりなのかな。それでルーカスとうまくいくと思っているのだろうか。

 そもそもルーカスはドロテアさんとは血が近いから縁組みはありえないと何度も言っていた。


「以前からルークの周りをうろちょろして目障りでしたけど、最近のあなたはますます目に余りましてよ」

「一般塔の敷地内に侵入してくる君たちの行いこそ目に余るよ」


 きゃあ! とお嬢様方が色めきだった。

 そして私と対峙していたドロテアさんは私の背後を見て、恐ろしい睨み顔から恋する乙女の表情に早変わりしていた。瞳は熱く濡れ、白い頬は赤く色づく。彼女の感情の触れ幅が激しすぎて私は呆然としてしまった。


「る、ルーク! やっと会えましたわ! お休み中も屋敷にいないから心配しましたのよ?」

「何のために校舎が分けられているか忘れたのか。特別塔で事故が起きたこともあるのに考えなしすぎる」


 甘えた声で親しげにルーカスに近寄ろうとしたドロテアさんだったが、彼が発した言葉にぴしりと固まってしまった。


「でも、ルーク、わたくしはあなたに」

「僕は何度も注意したはずだよ。決まりがあるから一般塔に侵入して来ないようにと。君達が入ってきたら一般塔で学ぶ平民達が萎縮するだろう。争いの種にもなる」


 言い募ろうとしたドロテアさんを静かに叱るルーカスはどこかがっかりした表情をしているように見えた。気のせいだろうか。

 ルーカスを観察していると彼の腕が私の肩に回ってきて、抱き寄せられた。ドロテアさん並びにお嬢様方は気色ばみ、私は驚いて固まってしまう。

 彼はじろりとお嬢様方を睨みつけると、固い声で言った。


「──二度と彼女に近づかないでくれ。今度似たようなことしたら、僕も考えることがある」

「ルーク!」


 ドロテアさんの泣きそうな声を無視するようにルーカスは私の肩を押して先へと促した。私は彼女が気になって振り返ろうとしたけど、ルーカスがそれをさせてくれなかった。

 歩いて歩いて、彼女たちから離れて、図書室前へとたどり着くと、ようやく解放してくれた。


 ルーカスの表情は険しいままだった。

 彼は今までドロテアさんに対して突き放す態度を見せていたけど、ここまで険しい表情をしていたことがあっただろうか。これまではどこか妹を叱り付けるようなそんな優しさが残っていたはずなのに今日に限っては……


「リナリア、今度ドロテアと遭遇したら逃げろ。それと他の貴族からもだ」

「え……?」


 警告にも聞こえるそれに私は変な顔をしてしまった。

 ドロテアさんだけでなく、貴族からも逃げろだって?


「彼女は何を言っても理解してくれない……今のドロテアは度を越している。何を考えているかわからない……何をしてくるか想像できないんだ」


 ドロテアさんは高位貴族の娘だ。下の爵位の人間を使ってなにかして来るかもしれないから、有無を言わさずに逃げろとルーカスは言う。

 幼馴染で、はとこの間柄で親しそうだったのに、今のふたりの想いは全く別の方向へ向いている。

 今回のことでルーカスはドロテアさんに対して不信感を持ってしまった。


 私の周りでは色んな変化が起きている気がする。

 みんな、私を置いてけぼりにして大人になっている気がした。

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