私の恋を知ってください。【完】

 報告書を粗方読み終えると、ポツリとルーカスが呟いた。


「ウルスラさんは過去の辛い記憶を思い出しながら協力してくれたよ。君のためだからって……強くて優しい人だね」


 貴族相手ということで怯む役人たちに怒鳴りつけて、たったひとりでも私を救出するつもりだったらしいウルスラさん。

 彼女は身を削ってでも私を助けようとしてくれた。過去の辛い記憶と戦ってくれたのだという。


「えぇ……失踪したその日の晩、行く宛がなくて困り果てているときに助けてくれたの」


 思い出話をするようにあの日の出来事を話す。

 行方をくらませるために王都で馬車から降りて質屋で学校で使った道具類を換金した時、娼館へ売られそうになったこと。

 慌てて逃げた先が旧王都のあの街だったのだと話すと、彼の眉間に立派なシワが生まれていた。


 転送術で逃げ切ったからなんともなかったと説明するも、ルーカスの難しい顔はそのままだった。


「ウルスラさんは私を家にかくまってくれただけでなく、出産を手伝ってくれた。フェリクスの名付け親なのよ。彼女との同居生活は楽しかったの。一緒にフェリクスを育ててくれたわ……大変だったけれど、彼女がいたから私は頑張れたのよ」


 大変だったことは否定しないけど、ひとりではなかったから乗り越えられた。


「妬けるな…叶うなら僕が君のそばにいたかったのに」


 相手は女性なのにルーカスは嫉妬してしまったらしい。悩ましげにため息を吐き出すと、私の両手をそっと握ってきた。


「あの日、リナリアが連れ拐われたと伝書鳩が飛んできたときは肝が冷えた」


 沈み込んだ声でルーカスは言った。

 握られた手を見下ろしていた視線を持ち上げると、彼の群青の瞳が悲しそうに見つめていた。


「今更だけど……助け出すのが遅くなってごめんよ。寸前だったとはいえ、怖かっただろう、痛かっただろう」


 ルーカスはウルスラさんの記憶から、私がどんな目に遭ったかを想像して心をひどく痛めているようだった。

 終わったことなのに、自分のことのように苦しそうにするものだから、私は苦笑いしてしまう。


「そうなの。あの男、ルーカスと違って乱暴だったの」


 私がそう言うと、ルーカスはキョトンとした顔をしていた。


「とても不快だった。とんでもない目に遭ったわ。でも最後まで抵抗したから」

「リナリア、無理しなくても」


 何かを言おうとするルーカスを黙らせるために彼の唇に人差し指でつつくと、彼は黙り込んだ。


「あなたは媚薬に浮かされながらも、私を優しく大切に抱いてくれたのだと再認識したわ」


 私がおどけるように言うと、ルーカスは神妙な表情を浮かべる。

 ルーカスが服用してしまった媚薬の効果がどれほど強力だったのかまではわからないけど、まともな愛撫なく行為に及ぼうとした男と直面した後だからわかる。

 ルーカスは本能に負けながらも、残された理性で私を大切に扱ってくれたのだと知った。


「助けに来てくれてありがとう。私を守るって約束を果たしてくれたのね」


 正直もうだめかと思っていたけど、ルーカスは来てくれた。

 私はそれだけで嬉しかったのよ。


 私がお礼を言うと、彼はなんだか泣きそうな顔をする。

 なんでそんな顔をするの。彼の頬を突いてやりたくなったけど、両手ともに握られていて出来そうににない。


 ルーカスは握っていた私の手を持ち上げると、そのままちゅっちゅと手の甲に指先にキスを落としてきた。


「リナリア……頼む、もうどこにも消えないでくれ」


 彼の懇願する言葉、泣きそうな声に私は目を丸くして固まった。ルーカスが本格的に泣いてしまいそうな気配を感じ取ってしまったからである。


「僕のことが嫌いでもいい、そばにいて欲しいんだリナリア。フェリクスのことはもちろん、僕には君が必要なんだ」

「ルーカス…」


 許しを乞うその姿は必死さすら感じられる。

 ルーカスは私を本当に必要として求めているのだ。


 ──今でも間に合うかな?

 私の素直な言葉を伝えてもいいだろうか。

 私は自分の気持ちを言おうとして口を開いたが、喉奥から漏れ出したのは言葉ではなく嗚咽だった。

 いまここで泣くつもりはなかったのに、まぶたがジワリと熱を持って視界が涙で歪んでしまった。


 私が涙を流したのをどう思ったのか、ルーカスはグッと口ごもっていた。

 緊張したような、怯えているようなそんな顔。ルーカスってば、そんな顔したら情けなく見えてしまうよ。

 

「……乱暴にしないで、優しくして。私をひとりにしないで。──私に信じさせて」


 あれで終わりにしたくない。

 もう一度やり直して、また私を優しく、激しく求めてほしい。

 私が欲しいのはあなたの心なの。


 忘れようとしてもあなたへの未練が断ち切れなかった。

 憎んでいた時ですらあなたへの想いは消えなかったのよ。


 私の返事を受け取ったルーカスは飲み込むのに少々時間を要したようだ。

 しばらく固まり、考え込み、やっと飲み込んだ彼は嬉しそうに私を抱きしめてきた。


「あぁ! ……君が僕の愛を信じてくれるまで…いや、信じてくれたあとも君だけに愛を捧げよう」


 私は彼の腕の中で頷いた。

 約束よ、ちゃんと守ってね。ずっとそばにいて、私だけだと誓ってね。


「愛してるよ、リナリア」


 そっと優しく落とされたキスに、私はまた新たに涙を流した。

 

 軽く重ねた唇を離すと、おでこ同士をくっつけて、私達は至近距離で見つめ合った。

 あぁ、大好きな群青の瞳。

 ずっとこうしてあなたを見つめて愛をささやきたかった。


 愛している、あなたを愛しているのよ。ルーカス、あなただけを。


「ルーカス……あなたを愛してる」


 やっと言えた素直な気持ち。

 言葉にすると余計に愛おしさが募って胸が苦しくなる。


「あなたに初めて抱かれたあの晩からずっと……裏切られたと勘違いして、あなたを憎んだ日々の中でも、心の底ではあなたへの愛が消えなかった……私はあなたを愛しているのよ」


 涙混じりに告げた私からの愛の告白にルーカスはびっくりしたように目を見張っていたが、彼の瞳に涙が滲んだのが見えた。

 すぐに彼は目を閉じて私にキスを贈ったので、彼が泣いているのかどうかはわからない。


 ただひとつわかったのは、私達はようやく想いを通じ合わせられたということだ。


 妨害にあって、誤解して、遠回りして、意地を張って、ようやく私達は心まで結ばれた。

 その間にたくさんの苦労もあったけど、純粋に恋をしていた頃よりも彼と深く確かな絆で結ばれたような気がする。


 唇を離そうとする気配を感じ取ったので、油断していた彼の首に抱きついて自分からキスを仕掛けた。

 そのままルーカスを引き寄せるとそのままベッドに引き倒し、彼の体の上に乗っかって彼を求める。舌を深く差し込んで、彼のそれに絡めて軽く吸い付いた。さっきよりも激しいキスを私からしたことにルーカスは少し驚いたようだったけど、私に負けじとキスに応えてくれた。


 私達は時間を忘れて、お互いの唇を一心不乱に貪り続けた。

 これまで離れていた距離を埋めるように、お互いを求め合うために。


 私達の不器用な恋は、今日ようやく一歩前へ進めた。


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