導かれ合う

『ミモザ、おはよう』

『今日は遅かったのね』


 還らずの森に住まう動物たちの声があちこちから聞こえる。その声は私と面識がある子ばかり。私はにっこり笑顔を作って彼らへ挨拶を返す。


「みんなおはよう。今日は午後から出勤だったの」

『そうなんだ、ねぇあれしてよ。痛いの痛いの』


 そう言って私の目の前に降り立ったのは鳥型の魔獣だ。鳥というより、とても小さなドラゴンみたいな形をしているが、それらとは全く違う生態をしている別物である。彼らは還らずの森で発生する魔素から産まれた生き物。彼らは繁殖能力がない、ちょっと特殊な存在なのだ。


 どうやら体の調子が悪いらしく、彼は私に治癒魔法をおねだりしてきた。


「身体が痛いの? ガストルさん呼んでこようか?」

『やだよ、あいつ撫で回してくるし』


 治癒魔法でも治せるが、根本的な問題があるかもしれないので、医療面に精通している専門家を呼んでこようかと提案したら却下された。

 ガストルさんも別に悪気があって撫で回しているわけじゃないんだけど、魔獣からしたらそれが不快らしい。

 それなら仕方ないな。


 私はしゃがみ込むとそっと鱗に覆われた鳥型魔獣の身体に触れた。手のひらにひんやりとした感触が伝わってくる。


「痛いの痛いの飛んでゆけ」


 ぽうっと周りにいた光の元素たちが一気に集まってきて、彼の不調を癒やしていく。ぐるぐると喉奥を鳴らす魔獣は心地よさそうに目を細めていた。

 仕上げに労るように彼の体を撫でてあげて手を放すと、彼は不満の目を向けてきた。


『ん、もっと』


 さっき自分の口で「撫でられるのが嫌だ」と言っていたくせに更に撫でろと要求してきたではないか。

 どういうことなんだと思いつつも言われるがまま撫でると、トカゲのしっぽのようなそれがべちんべちんと私の膝にぶつかってきた。地味に痛い。けど彼には悪気がないので我慢しておいた。



 私が就職した場所は野生動物や魔獣を研究保護する機関だ。そのため、施設に勤める人たちは何かしら彼らに多大な興味を抱いている。通心術士である私が間に入ることでこれまで手こずっていた治療や保護を円滑に進められるようになったそうだ。



 この職場で働き始めて早いことで半年が過ぎた。仕事に育児にとドタバタしていたらあっという間に時間は過ぎていった。

 ウルスラさんや近所の人がフェリクスの面倒を見てくれているお陰で私は安心して働ける。本当に私は色んな人に助けられている気がする。感謝せねば。


 今ではいろんな部署の人に引っ張りだこになっていて、私は自分が生まれ持った能力を誇らしく感じる余裕が生まれた。

 この環境は私に合っていたみたいだ。


「それでね、ミモザさん。正式にうちの施設員になりませんか?」


 上がる時間ちょっと前に施設長に呼ばれたので、契約の更新の話かなぁと呑気についていくと、そこには自分がお世話になっている部署の上司も同席していた。

 そこで更新ではなく、無期雇用のお話をされたのだ。

 この職場は半年ごとの更新の予定だった。私は特殊な立場だし、本当に使える人間か確認するための設定だったのだろう。


 嬉しいんだが、その話に乗れない事情もある。

 実はリナリアとして内定もらっていたのを蹴ったとは言えないし、今の私は身分を偽っている。良心の呵責もあるのでホイホイと乗れないというか……それに。


「子どもがまだ小さいので。子守をお願いしてる方にも申し訳ないですし」


 普段はウルスラさんに子守をしてもらっているが、何かあったときはすぐに駆けつけられるように身軽な立場でいたいのだ。

 それに今の契約職員の給料でも十分すぎるほど頂いているので生活資金や未来への貯蓄に関してもなんの不満もないし。


「もちろんお子さんが大きくなるまでは勤務時間は短縮します。なにかあったときはそちらを優先してくれて構いません」

「いえ、ですがこちらも申し訳ないですし」


 正職員になるとそれなりの責任が課せられる。

 それなのに私だけ特別扱いというのは気が引けるというか。


「この間来た王立動物病院の奴らがミモザさんのことしつこく聞いてきて気が気じゃないんですよ」

「引き抜かれる前に対応しておきたいんです」

「あはは…」


 そういうことか。

 そういえばこの間色々詳しく話を聞いてきた獣医さんたちがいたな。てっきり派遣されてきた先生かなと思ってたんだけど、実は王立動物病院の先生で私の能力の評判を聞きつけて抜き打ち視察に来たと聞かされたときは冷や汗をかいた。


 この調子で知り合いに会ってしまわないかドキドキするんだけど、大丈夫。今の私を見て誰がリナリアだと気づくものか。

 髪の色も容姿も違って見えるように、得意の幻影術でごまかしているのだから。



 正規雇用に関しては断ったのだけど、施設長と上司からそんな事言わずに前向きに、是非にと念押しされた。次回の更新時にまた同じ話をする気がしてならない。


「お疲れ様です。お先に失礼します」


 私服に着替えた後、同じ部署の人たちへ声をかけると、「お疲れー」という声があちこちから聞こえてくる。それに軽く会釈した私はそのまま出入り口へと足を向けたのだが、それを待ち構えていたかのように男性から通せんぼされた。


「ミモザちゃん、今度一緒に食事にいかない?」 

「モーリッツさん…」


 目の前に立ちはだかるのは別の部署所属の男性職員である。

 私は彼を見上げてまたかと遠い目をしてしまった。


 くせっ毛である明るい茶色の髪は襟足が長く、いつも後ろで結んでいるその人は美形というわけじゃないけど、なんか不思議な魅力があった。彼の性格というか雰囲気が目を引くのだ。施設に来た若い女性に声をかけられてにこやかに返す姿を何度か目撃した。親しみやすいというか、少し軽い感じの男性だ。

 私よりも3歳年上の彼はにっこり微笑んで私の手を握ってきた。


「もちろん息子くんも連れてきていいよ。俺こう見えて尽くすタイプというか、子供好きだし」


 角が立つので「そんなの聞いていないし、どうでもいいです」とは言わない。


「いえ、遠慮しておきます」


 私がきっぱりお断りすると、相手は眉尻を下げて残念そうな顔をする。

 この人もよくわからないな。なんでだろう、私が子持ちと知ってるはずなのに、入職した日から言い寄られる。

 もしかしたら、からかっているんだろうか。それとも尻軽だと思われてて、手頃な遊び相手にしてやろうと思っている…?


「はいはい、ミモザちゃんが困ってるからやめなさい」

「モーリッツ、俺らの就業時間は終わってないぞ。暇ならウチの仕事与えてやろうか?」

「なんだよー邪魔するなよー」

「お疲れ、ミモザちゃん。また明日ね」


 私がモーリッツさんの腹の中を読もうと警戒していると、見かねた先輩方が間に入って庇ってくれた。彼らの気遣いに感謝しながら、私は足早に職場を後にした。



 いつもなら職場から転送術を使って、下宿先まで移動するところだったけど、今日はちょっと街に寄り道した。

 私が失踪して、早いことでもう1年経過する。つまりウルスラさんと出会って1年になるのだ。日頃のお礼も兼ねて彼女になにかプレゼントしたいなと考えていたのだ。


 立ち寄った街にある雑貨屋の店頭で商品を眺めて、どんなものがウルスラさんに似合うか、気に入ってもらえるかを想像しながら物色していた。

 髪飾りがいいだろうか。それとも美容用のクリーム? それとも流行の推理小説の本がいいだろうか。


「リナリア!」


 突然、背後から腕を捕まれてドキッとする。

 その声、呼ばれた名前に覚えがありすぎて私は硬直した。


 私はこわばった顔で恐る恐る振り返る。振り返ったその先にはダークブロンドの髪と群青色の瞳を持った美青年の姿。

 1年ぶりにその姿を目にした私はいろんな感情が一気に押し寄せてきてなんだか泣きたくなってしまった。


 忘れるものか。一度として忘れたことなどない。

 最愛の我が子に似たその人を1年やそこらで忘れられるわけがないだろう。


 ルーカス…!


 彼の名前を呟いてしまいそうな口をぐむっと噤むと、私は身を捩った。

 ここまで隠れてきたのに見つかった。術で目くらまししているはずなのに…どうやって回避しよう。腕を振り払って逃げる…?


 私を見下ろしていた彼の瞳は期待から失望に変わった。掴まれていた腕からするりと手を離されて拍子抜けしてしまう。


「失礼、気配が彼女と同じだったもので」


 自分はてっきり、幻影術を見破られたのかと思ったのだけど違った。

 彼はしょんぼりした様子で肩を落とすと「髪の色も全然違うのに……」と小さく呟いていた。


 なんだ、私の正体はバレていなかったのかと安心した反面、がっかりしたのはなぜなのだろうか。


 ずっと避けて、逃げていた相手との思わぬ再会を経て、私の胸はどくどくどくと物凄い音を立てていた。

 動揺を抑えなくてはいけないのに、手も声を震えてまともに対応できそうになかった。


「い、急いでいるので失礼します」


 私は極力、ルーカスと目を合わせないようにしてその場を立ち去った。


 彼は呼び止めてこなかった。

 だけど背中に視線を感じた。


 なぜ見ているんだろう。人違いだと理解したはずなのに。

 彼の視線に耐えきれなくなった私は、その場から逃げるように転送術で消えた。

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