脱走計画


 私が閉じ込められた部屋は地下にあり、空気は悪く、ロウソクの明かりしかない薄暗い場所だ。

 ずっとこんな場所に閉じ込められていたら絶対に病気にかかる。そんな条件の場所。


 もちろん私も黙って監禁されるつもりはない。

申し訳程度に備え付けられた水回りには排水口が存在した。恐らく外の下水道に繋がっているだろう。

 とても汚い不衛生な場所なので、病気にかかる恐れもある。しかし手段を選んでいる状況ではなかったため、私は得意の変幻術でドブネズミに変身して脱走を試みる。


 狭い排水溝を這って行くと、ひどい悪臭が鼻を突く。虫があちこちを這っていて、すでに帰りたくなったがそうは行かない。

 オエッと吐き気を催しながら進んでいくと、汚水が流れる場所に辿り着いた。


 これは恐らく外部の下水道に繋がっているはずだ。

 とにかく敷地外に出てしまえば、脱出の可能性が広がる。


 そう思って前に進もうとしたのだけど、私の身体はとある境界線から出られなくなっていた。

 私が困惑している横で害虫と呼ばれる虫たちはスルスルと通過していく。


 虫はよくて私は駄目なの!? 

 もしかして、私が気絶させられている間になにか術にかけられたんじゃないか。例えば、敷地の結界外に出られない呪文とか……。

 これまでの被害者も脱走を試みようとした人もいるだろうし、警戒されて脱走できないように術を施されている可能性もある。


 助走をつけて通ろうとしても、透明な壁のようなものに阻まれる。べちょっと激突して、私は地面に突っ伏す。

 ……駄目だ。進めない。


 思わぬ場所で詰んだ私はがっくりする。

 そしてそんな私に構わず、下水道の住民たちは忙しなく移動していく。

 私は彼らが羨ましくてちらりと視線を向ける。


 あ、ドブネズミ。

 視界に入ってきたドブネズミの集団を見つけた私は声を張り上げた。


『ねぇ、あなたたち!』


 私の耳にはそれが「ヂュッ!」とネズミが鳴く声に聞こえたが、彼らには伝わったみたいだ。一同が鼻をヒクヒクさせながらこちらに意識を向けたから。


『外の仲間に伝言して! リナリアはハイドフェルトに捕まってるって!』


 誰でもいい。

 伝言していくうちに、私を知っている動物たちに伝わる。そこから魔術師の誰かに通心術で伝えてくれたら、私の窮状が理解されると思うから。


 ドブネズミたちは『りなりあ?』『ハイドフェルト?』『捕まってるの?』と聞き慣れない単語に首をかしげているようだった。

 なので念押しするように何度も伝えた。

 この際、私の名前と子爵のことを伝えてくれたら、伝わる人には伝わるだろう。そう望みを託した。



 脱出できないとわかった私は元の場所に戻って、体に染み付いた悪臭をさっと魔法で落とした。微妙に体に残ってる気がするけど、仕方ないと割り切る。


 その後も色々試した結果わかったことがある。

 外には出られないけど、この屋敷内なら移動できることが判明した。


 元の身体だとすぐに見つかってしまうので、私は再びネズミに変化して部屋を抜け出した。

 道の隅っこを歩けば割と気づかれない。気づかれたとしても屋敷に巣食うネズミだと認識されるだけ。駆除される前に逃げてしまえばいいのだ。


 そうして屋敷内を探検して脱出口を探していた私はとある部屋にたどり着いた。


 屋敷の最上階にその部屋はあった。

 その部屋にたどり着くまでの階段には仕掛けがされており、簡単にたどり着けないように罠が仕掛けられていた。

 ……多分、見られたくないものがこの先にあるのだろう。


 しかし今の私は身軽ですばしっこいネズミの姿をしている。そんなもの問題なく突破できた。

 隙間に入り込み、隠された部屋に入り込むと、窓から光が差し込んでいた。青い空には薄い雲がいくつか点在しているが、雨なんか降らなそうないい天気。


 その空を窓際にある椅子に座って眺める人影に気づいた私はチョロチョロッと駆け足で近づいた。

 その人は女性だった。恐らく私のお母さんより少し下の年代…ハイドフェルト子爵と同年代だろうか。30代…後半くらいに見える。


 型の古い着古したようにも見えるドレスを身にまとったその女性は、白髪が混じって灰色に見える髪を大きな赤いリボンでハーフアップで纏めている。

 ──その髪型は幼い子供がするようなものなので、成人した女性がするにはとても不自然だった。


 褐色の瞳は遠くを眺めている。キラキラと夢と希望に満ちており、なんだかその表情は年若い少女のように見えた。

 異様にも思えたけど、ここで初めて会えた女性だ。なにか知っているかもしれない。

 私は人間の姿に戻ると、「あの」と小さく声をかけた。


「……お姉ちゃま、だぁれ? 新しいお手伝いさん?」


 声に反応した彼女は私を見上げると不思議そうにしていた。その瞳はまるで無邪気な少女のように見えて、私は戸惑った。

 お姉ちゃまって……この人は私よりも歳上だろうに、何かがおかしい。 


 そんな私の困惑を尻目に、彼女はボロボロになった人形を抱いて笑っていた。それをギュッと抱きしめながら、くすぐったそうに笑うのだ。


「あのね、わたしはね、ヨナス様のお嫁さんになるのよ」


 モジモジしながら言われた言葉の中に聞き慣れない単語があった。

 

「ヨナス…?」

「お手伝いさんなのに知らないの? ヨナス様はハイドフェルト子爵になられる御方なのよ!」


 ヨナスという名前に聞き覚えはないが、ある可能性に気づいた。

 まさか、と思った。

 年に見合わない格好と言動をするこの人は──あの男によって全てを壊された被害者なのでは。


 確か両親とお兄さんを自分が殺したと自白していた。お兄さんの奥さんは監禁されて気が触れてしまったと聞かされたけど、こんな…幼児退行しているなんて……彼女は一体どんな目に遭って心が壊れてしまったのだろう。想像するだけで恐ろしい。


「あの、あなたはもしかして……ロート・ハイドフェルト子爵のお兄さんの奥様で?」


 椅子に座ったままの彼女の肩を掴んで尋ねてみた。幼児退行した彼女には返事ができないかもしれない。だけど何か知っていることはないだろうかと思って聞いてみたのだが、幼い表情を浮かべていた彼女は意外な反応を示した。

 すっとその表情が無に変わり、先程まで血色のあった頬が土気色に変わったのだ。


「……そう、そうよ。ヨナス様は、あの男に殺された」


 声は落ち着いた大人の女性のそれに変わり、彼女はワナワナと震え始めた。怒りや恐怖に怯えて震えているように見えた。


「ヨナス様に愛されて眠るはずだったのに、突然あの男が背後から襲ってきて……私は彼の血を被ったの」


 あぁ、元の人格が戻ったんだ。一時的なものかもしれないけど、これならなにか有益な情報が得られるかもしれない。


「穢らわしい魔なしがわたくしの夫を殺したのよ!」

「落ち着いて、私はあなたの味方です。一緒にここから逃げましょう」


 興奮状態に陥った夫人が叫んだので、私は落ち着くように彼女に呼びかける。


「あなたの生家のご家族はご存命なんですよね? 貴族のご出身かと思いますが…」

「…来る」

「えっ?」


 腕を力いっぱい握られたかと思ったら、夫人がかすれた声でつぶやく。限界ギリギリまで見開いた彼女の瞳は血走っていた。

 ザワッと、開け放った窓から入り込んできた空気とともに、空中を漂う元素たちが反応したのはきっと気のせいじゃない。


「あの男が来る……!」

 ──ガチャッ!


 彼女の予想通りに、あの男はやってきた。私の脱走がバレたのか、それとも夫人の興奮する声に使用人が気づいて告げ口したのか……


「…困るんだよねぇ、せっかくそれなりに優しくしてあげようとしているのにこうも反抗的だと……躾をしたほうがいいのかな?」


 私の背後に立った子爵はねっとりした声音で私の首に手を回してきた。肌に直接触られた部分がひんやりと冷たくて、私は硬直して動けなくなった。


 …夫人がせっかく警告してくれていたのに、私は一体なにぼさっとしているんだ…!

 ここで変幻術を使ったら、夫人をこの場に置いていくことになる。どっちにしても私は結界内から出られないんだ。


「我に従う火の元素たちよ、あの男を地獄の業火で焼き尽くし給え!!」

「我に従うすべての元素たちよ、防御せよ!」

 

 元の人格を取り戻した夫人は恨みを込めた攻撃呪文を子爵に向けて放った。

 しかしそれは背後にいた元教師が難なく消し去ってしまった。あっけなく防御された夫人にとっては渾身の一撃だったのだろう。


 呆然として固まる彼女の隙をついた使用人の一人が飛びかかり、地面に抑え込んだ。


「ぐっ…!」

「ロート様、この女どうします?」

「魔封じして拘束しておけ」


 男に思いっきり体重を掛けられている夫人は苦しそうに顔を歪めていた。

 このままではまた夫人はまたひどい目に遭ってしまう。


 彼女を救うべく、呪文を唱えようと口を動かしたが、カチャリと首元に装着された何かによって封じ込まれてしまった。


 この感覚には覚えがある。

 魔力を使えないようにする制御装置だ。


 抵抗する手段を奪われてしまった。

 魔法を奪われた私は、ただの非力な女性になる。成人男性に力で敵うはずがないっていうのに……!


「君はお仕置きだよ、リナリア」


 ぽん。と肩を叩かれた私は悟った。

 他人の心配をしている場合じゃなかった。今は自分の状況が一番まずいのであると。

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