見破った猫


「ミモザちゃん、魔獣調査の同行依頼が入ったから、打ち合わせに一緒に参加してもらってもいいかな?」

「わかりました」


 腕に自信のある人は誰かに頼ることなく、単身で還らずの森へ突撃するけども、用心深い人はこうして専門家に同行を依頼することがある。私は専門家ではないが、私の能力がこういう時役に立つということでよく同行させてもらっている。


 今回のお客様の依頼内容は、魔獣の血液の成分が疾患の治療薬として使用できるかどうかの可能性を調べたいとのことだった。どっかの研究所に所属されている方で、自分の足で世界各地を回っては薬になりそうなものを探して研究している研究者なんだとかなんとか…

 歩きながら上司の説明を聞いていた私は渡された資料に目を落とした。

 依頼内容と、日数、大まかな予算などなどがざっと書かれているそれ。依頼者名に目を通した私は息を止めた。


「…クラウス・クライネルト…?」

「知っているか? まぁあの家は旧家のくせして平民身分であり続ける変わり者一族だから有名か」


 上司は私の変化には気づかなかったらしく、からからと笑っている。

 えぇ、存じ上げていますとも。この間遭遇した人のお父様ですもの。

 だけどミモザである私が面識あるのはおかしいので、初対面の人と接するように応対しなきゃ。私は通常心を装って上司に続いて、応接室に入った。


「あなたは」

「……」


 なんであなたまでここにいるの、ルーカス。


 私が作り笑顔で固まっていると、上司が「ミモザちゃん、知り合い?」と尋ねてきたので、私は首を横に振る。

 いいえ、ミモザの知り合いではありません。


「人違いとはいえ、先日は大変失礼致しました」

「あ、いえ…」


 私はなるべく相手の顔を見ないように小さく返事をした。

 必要以上に関わったら、正体がバレてしまうかもしれない。


「彼女が還らずの森へ同行してくださる方ですか? 初めて見る方ですね」


 まじまじとクラウスさんに見られて余計に気まずい。

 一度会ってお話した人でもあるので、どこで私がボロを出してバレてしまうか気が気でない。やっぱりこの業務から外してもらえないだろうか。


「えぇ、つい半年前に入職した子です。還らずの森で彼女の能力が大いに役に立つのです」

「能力と言いますと?」

「聞いて驚かないでくださいよ? 彼女は通心術士なんです」

「え…?」


 上司が自慢げにお披露目した私の能力。

 それに反応するクライネルト父子。私は胃が痛くなってきた。

 ルーカスの瞳が疑うように細められて、その視線にさらされた私は今すぐに逃げたくなってきた。

 

「あなたは、通心術士なのですか?」

「え、えぇまぁ」


 大丈夫大丈夫、通心術士は数が少なくてもいるにはいるんだから。

 今の私はリナリアじゃない。ウルスラさんによく似たこの世に存在しないミモザという女性なのだ。誰にも私の正体はバレない。


「はじめまして、私はミモザ・ヘルツブラットと申します」


 居た堪れない気分になったので、空気を変えるべく自己紹介をすると、「ヘルツブラット…?」とクラウスさんが変な顔した。

 え、なに…ウルスラさんの名字がなんか変なの?


「では早速ですが、今回クライネルトさんのご依頼について…」


 目の前の2人の一挙一動が怖い。不安になってきて冷や汗をダラダラ流していると、そんな空気を全く読まない上司が今回の依頼について話し始めたので内心ホッとする。

 早く打ち合わせ終わってくれと祈り続け、なんとかその時間を乗り越えると、私は上司に「すみませんちょっと」と席を外すことを告げて足早にその場を離れた。


 

 彼らが立ち入れない空間に足を踏み入れると、私は深々と息を吐き出した。

 …まさか彼らが私の職場に依頼しにくるなんて。そこまで想定していなかった……


 私は自分の幻影術が破られるとは思っていない。

 だけどそれ以上に相手がルーカスなのが気がかりなのだ。彼は私以上に頭が良くて、勘が鋭い。だから私がなにかやらかせばすぐにバレてしまいそうな気がして……


 群青の瞳に見つめられると、いろんなことを思い出して胸が苦しくなる。

 昔ならそれは恋の苦しみだった。

 今のそれはいろんな感情がごちゃまぜになった、決して美しい感情ではない。 


 私は平静を保てるだろうか。

 何事もなく、秘密を保てるだろうか…


『あら…? そこにいるのはもしかしなくてもリナリア?』


 下の方から飛んできた女性の声に私は飛び上がった。


「!?」

『ひさしぶりじゃない。どうしたのその姿』


 相手は人間でなく、白猫だ。

 しかもただの猫ではない。


「トリシャ…」

『その姿でルーカスとは会ったの? そういえばどうしてあなたは行方不明になっているの?』


 幻影術を見破られた。ルーカスの眷属である白猫トリシャに。

 私はすぐにしゃがみ込むと、トリシャの身体を掴んで捕らえる。それに驚いた彼女はピンと尻尾を立てて目を見開いていた。


「彼らには内緒にしておいてほしいの。私はミモザとして、彼とは関わらずに生きていくと決めたの」

『…それって、ドロテアが関係してる? それなら』

「関係しているけど、それだけじゃないの。とにかく、私は正体を現す気はないの。リナリアは死んだと思ってほしいの」


 私はトリシャにずずいと顔を近づけて念押しした。

 それに対して白猫は目をつぶって難しそうな顔で唸っている。どうしようかなぁと迷っているみたいだ。


『お互いに大きな誤解があるような気がするけど……あなたがルークと話したくないなら仕方がないわね』


 トリシャは私の秘密を黙っていてくれると約束してくれた。

 私はそれにホッとする。


 …あの場に戻りたくはなかったけど、トリシャを主人のもとに返したほうがいいだろうと思って彼女を抱き上げて出入り口に向かうと、門の前で上司と挨拶を交わしているクライネルト父子がいた。

 私は少し離れた場所でしゃがむとトリシャを地面へ降ろす。


「じゃあね」


 トリシャを送り出したらすぐに部署に戻ろうとしたのだけど、『ねぇ』と呼び止められて足を止めた。


『ずっと探していたのよ。色んな人があなたを心配している。それだけは忘れないで』


 彼女の言葉が深く胸をえぐった。

 そんなのわかっている。わかった上で私は帰らなかった。

 私は自分の帰りを待っているであろう両親や友人を思い出して泣きたい気持ちになった。


「──トリシャ、なんの話をしているの?」


 そこに会いたくない彼の声が割って入ってきたので、私はぐっと歯を食いしばって涙で歪みかけた目から雫が溢れないようにまばたきを我慢した。


『なんでもないわ。この人がここまで送ってくれたからお礼を言っていたのよ』

「そう……ミモザさんでしたっけ」


 彼の呼びかけに私は身構えてしまった。


「本日はありがとうございました。調査の際は僕も同行させていただくことになっていますのでよろしくおねがいします」

「…精いっぱい勤めさせていただきます……」


 かろうじて出した声は今にも消え去りそうな言葉で。そんな私をトリシャが半眼で呆れたように見ている。そんな目で見ないでほしい。

 ルーカスの視線が刺さってくる気がしたけど、視線を上げられない。


 やっぱり私は彼の瞳を直視できなくて、ルーカスに抱き上げられているトリシャを凝視することでその場をやり過ごしたのである。

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