執着の眼差し


 実家の隣には、動物たちが集まる小屋が今でも残っている。私が不在の間もずっと彼らの面倒を見てくれていたのだ。


「おはよう、みんな」


 ずっと私の帰りを待っていてくれた彼らに挨拶すると、小屋の中にいた彼らが口々に挨拶を返してくれた。


『リナリア、おはよー』

『フェリクスはまだ寝てるの?』

「夜中に何度か起きたからね、今はぐっすり眠っているよ」


 フェリクスは夜泣きしたときに魔力暴走を起こして、体力消耗したみたいなんだよね。回復方法は睡眠休息くらいなので、今はお部屋で大人しく眠っていてもらっている。お母さんがそばで見ててくれているので心配ない。


 私が小屋にやってきたのが早い時間だったからか、彼らのご飯の準備はまだされていなかった。私は良かれと思って、彼らのご飯の準備と小屋内の掃除を済ませた。

 いつもは動物好きの従業員さんが進んでお世話してくれるとはいえ、実質タダ働きになってしまう。だからせめて帰ってきた私がこれからなるべく世話をしようと考えていたのだが…


 あとから小屋へやってきた動物好きの従業員さんは、仕事を奪われたと言わんばかりの顔をしていた。


「リナリアお嬢さん…俺の仕事を奪わないでください…」


 奪ったつもりはない。動物の世話に関しては完全なる善意での無賃労働。いつもさせて申し訳ないなと思って今日の分を済ませたのだが、彼には恨みがましい顔をされてしまった。




 私が実家に戻ってから1週間が過ぎた。

 職場には大巫女様が代理で連絡してくれたためしばらくはお休みだ。

 おそらくそのまま解雇という形になるだろう。そうなったとしても、一度改めて職場にお世話になった挨拶に伺うつもりでいる。

 自分を偽って仕事していたことに罪悪感も持っていたので、これで良かったのかもしれない。


 そしてルーカスは私たちを気遣う内容で毎日伝書鳩を送ってきた。

 体調に変わりないか、フェリクスは元気か、何かあったらすぐに連絡してくれ、今すぐにでも君たちに会いたいと、まるで愛を囁かれているのかと錯覚するような単語が見え隠れして、一瞬自惚れてしまうけれど、私はそれに騙されるほどもう子供ではない。

 これには他意はないのだと、私に許してほしくて必死になっているだけだと自分に言い聞かせながら、彼の伝書鳩を待ちわびるという自分でもよくわからない数日を過ごしていた。



◆◇◆



 その日は朝からとてもいい天気だったので、フェリクスを連れて近所を散歩していた。時折動物と遭遇しては言葉を交わす。

 私にとって普通のことをしながら穏やかな時間を過ごしていた。


「リナリア・ブルームさん」


 路地裏に差し掛かったところで男性に呼び止められた。

 フルネームで呼ばれたため、私は変な顔をしてしまった。なぜフルネーム呼び。


 ──次の瞬間私の表情は凍りついた。

 呼び止めた相手が問題だったのだ。


 相手は微笑んでいた。

 その目は変わらない。目の奥が全く笑っていない不気味な笑顔。

 その視線にさらされた私は寒気に襲われた。


「あなたは…」

「覚えていたかね。久しぶりだね」


 その人はロート・ハイドフェルト子爵。

 一度は私を養女にしようとその話を持ちかけてきた人。私の魔力の可能性を知っていて、そのことを言わずに私をお金で買おうとした人だ。不気味な印象が強すぎて何年経っても忘れない。


「姿を消したという噂を聞いて心配していたんだ。男に唆されて出産したんだってね」


 その発言に私は身構える。

 なぜ、そんなことを知っているんだ。

 ……街で噂になっているのを聞いた? この人はこの辺に住んでいるわけじゃないのに? どこで聞きつけたというの?


「モナートから引っ越したと聞いて、引越先にも向かったけど君は卒業後に行方不明になったと聞いてね……ずっと君のことを探していたんだよ」

「どうして…」

「君が魔女だから」


 ねっとりとした声音、執着の目で見下された私はぞっとする。

 魔女だから? その先の理由が知りたいが、聞いてしまったら終わりの気がする。


 だめだ、逃げなきゃ。

 この人は危険すぎる。

 頭では理解しているのに、私の足は地面にくっついて離れない。

 この人の根深くて暗い闇に囚われてしまいそうだった。


「うぎゃああああああん!」

 ──バチッバチバチッ


 私が我を取り戻したのは腕の中で癇癪を起こしたフェリクスのお陰だ。

 フェリクスは火がついたように泣き喚いた。顔を真っ赤にして、ボロボロ涙をこぼしている。彼がわんわん泣くたびに身体から魔力が放出され、元素たちが反応する。


 私とフェリクスの周りを小さな雷がバチバチと走る。ギリギリ私達の身体には触れないように放たれた雷は、まるで私とフェリクスを守っているように見えた。

 これに触れたら軽い火傷くらいするだろう。


 相手が触れない、その隙にこの場から撤退しよう。

 そう思って後ずさった私は、ハイドフェルト子爵の顔を見てギクッとした。


 彼は、フェリクスを射殺すような目で睨みつけていた。


「赤子なのに、もう魔力発現してるんだ…」


 憎しみ、羨み、悲しみ、怒り。

 そんな感情をまだ赤子のフェリクスへぶつけようとしていたのだ。

 これはまずい。フェリクスを傷つけられてしまうかもしれない。


「ごめんなさい! 失礼します!」


 私は大声で謝罪を残すとその場から逃げる。

 フェリクスを抱えて走るのは正直つらい。この子も大きくなったから。だけど絶対に捕まるわけには行かない。この子を守らなきゃ。


 あの人はおかしい。

 最初に感じた印象と変わらない。

 それに私を探していたって……一体どういうことなの。


「リナリア!」


 なるべく人の多い場所まで走っていると、また別の人に声をかけられた。息を切らしながらそちらに目を配ると、その人はあの頃と変わらない気のいいおじさんだった。


「キューネルさん!」

「心配したんだぞ。もしかして誘拐されたんじゃないかって」


 これまで魔法関係で色々とお世話してくれていた彼は私の失踪を心配してくれていたようで、私を見ると安心した顔をしていた。


「子どもが出来たから親に迷惑かけないように家出したんだってな。だめだぞ、あんないいご両親心配させちゃ」


 そう言って未だに泣いているフェリクスの顔を覗き込んで肩をすくめる。


「元気な坊主だな。うちのチビ達が赤子だった頃を思い出す」


 フェリクスに触れるとパチパチと感電したキューネルさんの髪が逆立った。私も人のこと言えないけど、頭がすごいことになっている。


「魔力暴走は感情が大きく揺れたときに出る。なにかあったのか?」


 この子に関しては機嫌が悪いときも魔力暴走を起こすので珍しいことではない。だけど今回のことは違う。

 本能でこの子は危機を察知したのだ。


「実は…」


 私はさっきあったことを話す。在学中にも声をかけられたし、さっきも気になることを言っていたのだと。フェリクスの魔力暴走にすごい顔をしていて怖かったと話すと、キューネルさんはマントの中に手を突っ込んで、懐かしいものを私に差し出してきた。


「ほら、これを持ってなさい」


 それは黒曜石のブローチ。失踪したときに郵送で返却したものだった。


「持ってきておいて良かった。ハイドフェルト子爵と今度会ったら転送術でも使って逃げた方がいい」


 彼の言いたいことはわかる。貴族相手だと現行犯で捕まえるしかできない。貴族はそれだけ権力があって、下手に動いたら痛い目を見るのだろう。

 キューネルさんだって見捨てたいわけじゃない、だけど権力が物を言うこの世界で無力なんだ。せめて自衛の手段を与えてくれるだけ、彼は親切だ。


「何事もないことを祈るよ」


 私もそう願いたい。

 だけどそうじゃ済まないような胸騒ぎがするのは何故なのだろう。



◆◇◆



 さっきのことがあったので、キューネルさんに家まで送り届けられた。お礼を言って彼と別れると、玄関の扉を開けた。


「リナリア、ウルスラさんが遊びに来てくれたわよ。あなたとフェリクスに会いに来てくださったんですって」


 私の帰りを出迎えたお母さんの言葉に私は落ちていた気分が浮上した気がした。


 客間でお茶を飲んで待っていてくれたウルスラさんと対面すると、なぜか彼女は申し訳無さそうな顔をしていた。

 私は再会して嬉しいのに何故だろう。フェリクスだってウルスラさんの姿を見たらご機嫌が治ったのに。


「リナリアとフェリクスがいないあの家は静かで落ち着かなくて…」


 その言葉に私はあぁ、と思った。

 ウルスラさんはどこか自信がないところがある。突然の訪問が迷惑じゃないかとかそういうことを不安に思っているんだろうな。


 それに彼女は孤独を抱えている。

 詳しい事情は敢えて聞いていないけど、家族がいないらしい彼女は、あの無機質な部屋に一人暮らししていた。そこにフェリクスを身ごもった私が転がり込んでようやく生活感が出てきたくらいである。

 これまで人の気配があった家にひとりでいるのは寂しいのだろう。


「いつでも歓迎するわ。ウルスラさんはフェリクスの名付け親でもうひとりのお母さんだもの」


 私が笑顔でフェリクスを彼女に抱っこさせると、ウルスラさんは涙ぐんでいた。

 フェリクスはウルスラさんに懐いているため、メチャクチャご機嫌になり、彼女の服をしっかり握っている。どこにも行っちゃヤダよって言ってるみたいに。

 赤子ながらにいつも一緒だった人の不在を疑問に思っていたのかもな。


「よかったら今晩は我が家に泊まって行って。客室を用意するわ」


 お母さんの提案にウルスラさんは「でも、ご迷惑じゃ」と不安そうにしながらも、どこか嬉しそうにしていた。


 もしかしたら、私達親子が彼女の所へ転がり込んだのは、女神フローラの気まぐれなのかもしれない。

 私はウルスラさんにたくさん助けられたけど、気づかない間に私達がウルスラさんの孤独を埋めていたのかもしれないと感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る