父の顔


 実家に戻った翌日、ルーカスがブルーム家にやってきた。ご両親同行の上で。

 歓迎しない空気を隠さない両親に迎えられた彼らは家の中に通された。

 

 正直、彼らとは顔を合わせづらかったけど、私は当事者なので同席しなきゃならない。私はフェリクスを抱っこして対面のソファに座った。

 知らないところで孫が誕生していたことを知ったクライネルト夫妻は寝耳に水だったであろう。フェリクスを初めて見た彼らは神妙な表情を浮かべていた。


 ちらりとルーカスの顔を見ると、違和感があった。……彼の頬には大きな痣ができている。口の端が切れている痕跡すらある。

 どうしたんだろう、その顔…と思っていると、クライネルト夫妻とルーカスは私達ブルーム一家に向けて一斉に頭を下げた。


「うちの息子がリナリアさんに対して行った数々の不誠実、誠に申し訳ありませんでした」

「申し訳ございません!」


 3つの頭が下げられたのを私は言葉もなく呆然と眺めていた。なんと返事すればいいのかわからず、どうしたらいいんだろうかと迷っていたのだ。


「ふざけるな…! お前のせいでウチの娘は傷物になったんだぞ! 頭を下げてどうにかなると思ってるのか!!」


 ブルーム家の中でいち早く反応した人物によって空気が大きく揺れた。顔を怒りに染めたお父さんが怒鳴ると、対面にいたルーカスに掴みかかったのだ。


「うぎゃあああん!」


 男性の大きな声に驚いたフェリクスが泣き出してしまう。


「フェリクス、大丈夫よ。泣かないで」


 私は慌てて泣き止まそうとあやすけど、フェリクスはパチパチと魔力を放出して泣き喚いていた。


「今更どの面下げてやってきた! 俺は絶対にお前を許さない!」


 その間もお父さんの怒りは収まらず、ますます加速した。フェリクスの泣き声が聞こえないほど頭に血が上っているみたいだ。


 ガッ、バキッ

 骨と骨がぶつかり合うような打撃音。痛々しい音にぱっと顔をあげると、お父さんが一方的にルーカスを殴りつけていた。 一度や二度ではない。お父さんは加減した様子もなく、無抵抗のルーカスの顔面をボコボコに殴りつけていたのだ。

 ルーカスの口か鼻かは分からないが、殴られて切れた血が飛んでいた。


 クライネルト夫妻はそれを止めない。難しい顔で息子が殴られているのを眺めているだけ。それは異様な光景だった。


 怖くなってきた私はお母さんにフェリクスの抱っこを代わってもらい、暴力を振るうお父さんの腕に抱きついた。


「お父さん、やめてルーカスが死んじゃう…!」


 誰かが死ぬのも、お父さんが人殺しになってしまうところも見たくない。それ以上はやめて。


 私が止めると、お父さんはルーカスを殴るのを止めた。

 だけど首まで真っ赤にしたお父さんの怒りはまだ冷めきってないようで、肩で息をしていた。


「リナリア、僕は殴られて当然のことをした。だから…」

「私達の未熟で身勝手な行いのせいなのに、お父さんの手を汚してほしくないのよ」


 私達の行いがお父さんをここまで怒らせてしまったんだ。黙って見ていられるわけが無いだろう。


 私のせいなのにお父さんにそんな顔をさせてしまったのが悲しくて、じわりと涙が下まぶたに溜まる。

 お父さんはそんな私を見ると、同じく泣きそうな顔をしていた。そして私をガバッと抱きしめてきた。


 守るように私を腕の中に閉じ込めたお父さんは、私の肩に顔を埋めてくぐもった声を漏らしていた。

 感情が爆発してとうとう泣いてしまったお父さんに、クライネルト一家は気まずそうな顔をしていた。


 私も一緒になって泣きたくなった。親を泣かせて、私は本当に親不孝者だ。自分が情けなくて嫌になる。


「──フェリクスはブルーム家の子として育てます。あなた方にしてもらうことはありません」


 話を切り上げるように発言したのはお母さんだった。

 意外とお母さんは落ち着いていた。もしかしたら今はお父さんがひどく取り乱しているから、自分は冷静にならなくてはと思って抑えているだけかもしれないけど。

 淡々と述べられた拒絶の言葉にルーカスが何かを言おうとして、マリネッタさんから肘で突かれて止められていた。


「ブルームさんのお怒りは当然のことです。本当にお詫びのしようがありません……今日のところはこれで失礼します」


 話し合いにならないと判断したのだろう。ここに彼らがいても私の両親の怒りが増幅するだけだ。

 日を改めると言って、もう一度頭を下げた彼らは家を後にした。


 外に停めてあった馬車で帰るクライネルト一家を、お見送りするためにフェリクスと外に出ると、更に痣だらけになったルーカスが私にあるものを差し出した。

 雫型のネックレスだ。

 そういえば、彼が持ったままだったな。


 私がそれを受け取る前に、ルーカスは私の後ろに回って着けてくれた。最初にネックレスを受け取ったときと同じように。


「これは君にあげたものだから」


 ……やめてよ。

 そういう風に、昔みたいに接してくるのは。


「フェリクスを抱っこしてもいい?」


 彼からそんなお願いされるとは思っていなかった私はぐっと唇を噛み締めた。

 返事はしなかった。

 落とさないようにフェリクスをルーカスの腕に乗せてあげる。彼はフェリクスを害すような真似はしないだろうと判断したからだ。


「瞳は君譲りなんだね。綺麗な碧色だ」

「……そうね」


 憎い、許せない、二度と会いたくないと思っていた時でも、ルーカスは夢に何度も出てきた。

 彼が出てくる幸せな夢だった。フェリクスを抱っこして私達が笑い合う夢を。そして起きると毎回虚しい気分になるのだ。

 もう私は昔のような純粋で綺麗な想いを抱けなくなってしまった。

 彼を前にすると心が乱れるだけ。ただ苦しいだけなのだ。


「僕がお父さんだよ、フェリクス」

「ふぇぇ……」

「あれ? どうしたのかな」

「顔が怖いんでしょう。今のあなた、すごい顔してるもの」


 ルーカスに顔を覗き込まれたフェリクスは泣き出しそうになっていた。子どもに慣れていないルーカスはフェリクスがぐずりだしたことに焦っている。

 焦る顔がおかしくて私が小さく笑うと、ルーカスは情けない顔をしていた。


「フェリクスはもう魔力が発現しているのね」

「はい、詳しくは調べてないですけど雷の元素持ちみたいです」


 おかげでフェリクスが泣くたびに感電して髪の毛が爆発したみたいになるんだ。制御できるようになるまでは仕方ないけど、地味に困っている。


「ルーカスが赤ん坊の頃によく似てる」


 クラウスさんはフェリクスを見下ろして懐かしそうにつぶやく。


「あら、赤ちゃんの頃のルーカスは青白くて小さくて、すぐに体調崩す子だったから、こんなに血色の良い元気な子じゃなかったわよ?」


 それに反論したのはマリネッタさんだ。

 上流階級の人間と婚姻を結び続けた歴史のあるクライネルト家の血の濃さの弊害は子孫に残り、ルーカスも幼い頃は身体が弱かったらしい。確かに出会った頃は背が低くて華奢だったものね。


「そういえばそうだな。この子は体が丈夫そうだし、ルーカスよりもわんぱくに育つかもしれないな」


 確かにうちの子は比較的元気だ。熱を出すことがあっても一晩で下がるし、深刻な病気になったこともない。健康的なのは私に似たらしい。


 さっきまでうちの両親の怒りの空気に感化されてピリついていたクライネルト夫妻もフェリクスを前にすると、柔らかな笑顔を浮かべていた。

 私はそれにホッとする。

 知らないところで勝手にルーカスの子どもを産んだので、受け入れてもらえないかもと思っていたからだ。


 おじさんもおばさんもフェリクスを抱き上げては嬉しそうにあやしてくれている。

 良かった。フェリクスが愛されて。


 馬車に乗り込む前に、ルーカスはフェリクスのおでこにキスをした。


「また会いに来るよ、待ってて」


 別れの言葉はどちらに対して向けられた言葉なのだろう。

 群青の瞳と私の瞳がかち合うが、私は何も返さなかった。


 クライネルト一家が乗る馬車が動き始めた。

 馬車の車輪と馬の蹄の音を聞きながら、私は複雑な思いで彼らを見送ったのである。

 

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