ひとまわり大きな手


 朝、私は寮母さんのお部屋で目覚めた。


「よかった、今日は起きたのね」

「おはようございます……」

「魔力暴走を起こしていたって聞いていたから、しばらく目覚めないと思っていたけど、想定よりも回復が早いわね」


 寮母さんの言葉の意味がわからず、私は首を傾げる。

 あれ、もしかして寝坊したのかな……? と壁に掛けられた魔法鳩時計を見上げていると、寮母さんは私のおでこに手を当てて熱はないか確認してきた。


「ブルームさん、昨日は丸一日眠っていたのよ」

「……」


 起きたら次の日ではなく、翌々日だったという。

 寝坊どころじゃなく、日を跨いでいたらしい。


 登校を許可されたが、万が一の場合もある。体に不調が出たら医務室に行くようにと寮母さんに念押しされて、私は学校にいく準備のために一旦部屋に戻った。

 扉を開くと部屋にはプロッツェさんがいて、私は少し気まずくなった。


「おはよう」

「…おはよ」


 だけどプロッツェさんは朝の挨拶をしてきただけだった。

 私は何か言われるんじゃないかと身構えていたのだが拍子抜けしてしまう。


「早く着替えて準備しないと遅刻するわよ」

「う、うん」


 いつも通りのプロッツェさんである。まるで私の家出騒動なんてなかったかのような……

 私はおどおどしながら部屋に入ると、着替えをトランクの中から取り出した。


「リナリア!」


 ドバーンと扉が開いたのはその直後だ。

 乱入者は両腕を広げると飛びついてきた。私はそのまま床の上に引き倒されて目を白黒させる。


「寮から飛び出して行ったって話を聞いて、驚いた。私あなたを追い詰めるような発言をしてしまったんだって後悔したわ……ごめんなさい」


 私をぎゅうぎゅうに抱きしめて一旦体を離したイルゼはボロボロ泣いていた。しかもその目元は赤く腫れており、長時間泣いていたことが伺えた。


「……違うの、イルゼ。すべては私の力不足のせい」

「いいえ、聞いたのよ。クラスの男子に嫌がらせされて、女子にもいろいろ嫌なこと言われたんでしょう」

「え……」


 自分を責めるイルゼに私が寮を飛び出した理由は別にあると否定すると、イルゼは私の肩をギュッと握って真っ赤になった瞳で私を見つめてきた。その目は確信に満ちていた。なにもかも知っているとイルゼの目が訴えていた。


「それで……得意な治癒魔法が使えなくなって……大切な友達を亡くしたことも」


 なんで、それを知っているのか。イルゼは謹慎中だったはずなのに。

 私が目を丸くして呆然としていると、イルゼは眉間にギュッとしわを寄せて苦しそうにしていた。


「一部始終をクライネルト君の猫が見ていたんですって。今日教室についたらあいつらの顔面ぼこぼこにしてあげる。だから一緒に学校へ行きましょう」


 クライネルト君の眷属である白猫のトリシャがあの場に居合わせたのか。……だからクライネルト君は知ったような口を聞いていたんだ。

 寮を飛び出した理由はそれだけじゃないけど、心に火を付けた理由ではあるので私は否定しなかった。


 それよりもだ。イルゼはまた勇ましい発言をしてくれた。

 気持ちはうれしいが、その拳は収めておいて欲しい。


「イルゼ、ぼこぼこにはしなくていいよ。あんな意地悪な人たちのせいでイルゼがまた謹慎になったら嫌だし、私のせいでイルゼが傷つく姿は見たくないの」

「それは私も同じよ。私たち、友達じゃないの」


 友達だって口に出して言われて私はくすぐったい気持ちになった。

 イルゼと見つめ合ってウフフと笑い合っていると、静観していたプロッツェさんが淡々と言った。


「仲がいいのは結構だけど、本当に遅刻するわよ」


 プロッツェさんはそう言い残してひとりでさっさと登校してしまった。あぁ、彼女のその淡々さを見ていると、日常に戻ってきたなぁと実感させられる。

 私は慌てて準備をして、イルゼとともに女子寮を飛び出した。


 もうすでに大多数の生徒たちは登校した後で、私とイルゼは遅刻ぎりぎりだった。

 教科書が詰まった重い鞄を持って全力で駆けていくと、斜め上から『おはようリナリア』『リナリアのお寝坊さん』とチュンチュン小鳥のさえずりが聞こえてきた。

 ──動物達の声がちゃんと聞こえる。

 じわりと目元が熱くなってなんだか泣きたい気分になったけど、私は涙をこらえた。


「おはよう、みんな!」


 私に話しかけてくれる“友達”に元気良く挨拶を返すと、先を走るイルゼの背中を追った。 

 今はまだまともに基礎魔法を扱えない私だけど、いつかはものにしてみせる。私の中には危険な力が宿っているのだとわかったから。自分の魔力をちゃんと制御できるようにならなきゃならないんだ。



 ギリギリで始業時間に間に合った私とイルゼは教室へ飛び込んだもんだからちょっと目立ってしまった。


「あいつ、まだ学校にいたんだ」

「寮から飛び出したって聞いたけど…」


 クラスメイト達のひそひそ声に心が萎みそうになったけど、ぐっと耐えた。

 彼らはきっと私が同じレベルまでにたどり着かなきゃそうして陰口を叩きつづける。なにも言われないくらいに私ができるようにならなきゃ、私は言い返せない。ここは我慢しなくては。


 悪口を聞き付けて噛み付こうとするイルゼの手を握って彼女を止める。不満そうな彼女をその場に置いて、私はある人物の前に立った。

 彼はいつも通りに読書に耽っており、ひとりだけ別の空間に存在するようであった。


「クライネルト君! 色々とありがとう! それと怪我させてゴメンね!」


 今までのお礼と謝罪を告げると、クライネルト君は目をぱっちりさせて私を見上げた。そして読んでいた本に栞を挟んで席を立ち上がると、私と目線を合わせる。

 やっぱり私よりも小柄だ。だけどなんでだろうか。彼は雰囲気も相まってそれ以上に大きく見えた。


「治癒魔法で治して貰ったからもうなんともないよ。それと、今日の放課後からまた自主練頑張ろう」

「うん」

「今度は強がって僕を追い払うような真似はしないでね」

「……」


 クライネルト君はどこまで見透かしているんだろうか。彼は一枚も二枚も上手な気がする。

 私も流石に学んだ。この期に及んで反発するなんて恩知らずな真似はすまい。恥ずかしいとか申し訳ないとか考えるのではなく、差し出された人の手を借りるのも一つの賢い選択なんだ。


「よろしくお願いします」


 私は頭を深々下げて手を差し出す。

 するとクライネルト君が笑う気配がした。


「あぁ任せてくれ」


 握り返された手はやっぱり私よりも大きかった。



◇◆◇



「実技行きたくないなぁ…」


 次の科目を考えると私のやる気は急降下した。いまだにうまくできない実技は私にとって苦手のひとつ。でも受けなきゃ前進しないし……


「あの先生なんか嫌な先生よね。ちゃんと教えようとしないし、やる気が削げるというか。他の先生に相談する?」


 私を心配してイルゼが提案してくれた。そんなことプロッツェさんも言っていたけど、それで解決するんだろうか。一生徒のわがままとして受け取られず、逆恨みで余計にあの先生に冷遇される気がする。


「その心配はないよ」


 後ろから掛けられた言葉に私もイルゼもキョトンとした。

 声を掛けてきたのがクライネルト君だったからだ。


「実技の先生は急な事情で退職されたみたいでね、代わりの先生が見つかるまでは他の先生方が分担兼任されるそうだ」


 彼の説明に私はホッとする以前に色々と意味がわからなかった。


「やけに、詳しいね……? そんなこと周りの人なにも言ってないのに」

「今朝方伝書鳩で受け取った情報だからね」


 伝書鳩? 鳩がお手紙を持ってきてくれるんだろうか。それともまだ習っていない魔法の類かな。


「魔法庁で働いている叔父さんに前から相談していたんだ。あの先生の態度が教師としてあるまじきものだったから」


 クライネルト君は私とイルゼを追い越して先を歩きはじめた。

 そっか、彼は魔術師家系の人間だから、親戚がお役所で勤めていてもおかしくないか。便利だな、役人な叔父さん。


「叔父さんは軽く注意しただけらしいけど、先生が責任を感じて自ら辞職して行ったみたいだよ」


 その説明に私は口をひん曲げた。

 えぇ……ほんとぉ? あの先生そんなに繊細じゃないと思うんだけど。

 私の疑いの眼差しが気まずいのか、クライネルト君は困った顔をしていた。だって仕方ないでしょ。それじゃ納得できないんだから。

 彼はあきらめたようにため息を吐き出すと、仕方なさそうに話した。


「実はね、僕が一般塔に所属しているのはこういう事情もあるんだ。特別塔と違って、平民出身の生徒たちは不満の声を上げづらい。だから監視の目的で、昔から魔術師家系のクライネルト家の人間が入学してるんだ」


 なんか重大任務のように聞こえるけど、そんなことを私たちに話していいのだろうか。

 私の考えている事が顔に現れていたのか、「公然の秘密だから大丈夫だよ」とクライネルト君はニヤリと笑う。

 悪戯を仕掛けた後の子どもみたいに笑ったクライネルト君はいつもの大人っぽい姿とは違って、私よりも年下の男の子に見えた。

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