CHAPTER.10 自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利

 トイレで誉は小声でデブに話しかける。


「……じゃ、頼むわ」

「は、はい」


 そうデブが返事するのと同時に、誉が着ていた服がどんどんと柔らかく溶けていく。その溶けた何かは、集まり、高く積み上がり、色がついて、匂いがついて、弾力がついて30秒ほどで、さっきまでの太った誉そっくりの姿になった。


「おぉ、すごいな」

「い、いえ、全然、そ、そんなことないです」

「そんな謙遜せんでええねんで。ナキガオから聞いたで、ルダス星人の中でもデブは百年に一度のくらいの天才って」

「……でも、自分」

「知ってる。でも、そんなん大した欠点やないで。今回の作戦、全てはお前にかかってる、頼んだぞ」


 誉は、背中を叩いてデブを送り出した。



◇◇◇



「お~、やっと出てきたぁ。じゃ、行こっか」

「は、はい」


 再び二人は歩き出した。


 エメは、突然の来訪者を少し疑っていた。

 彼を最初に見た時、本能がこの男は危険だ、と告げていたからだ。そして彼の消極的な態度とは真逆の、ハイエナのような野心が、瞳の奥に見えた気がしたからだった。


 しかし、その疑念は杞憂に過ぎなかったとエメは思い直した。なぜなら、今、再びその目を覗き込んでも、そんな熱い炎は映っていなかったからだ。


「は~い 、ここが目的地っと」


 トイレから5分ほど歩いて、二人が着いた部屋は鋼鉄のドアで閉ざされていた。


 エメがその重たいドアを開けると、そこは取調室のような内装だ。小さな部屋に存在しているのは、向かい合う形でくっつけられたデスクと、テーブルランプのみ。


 窓もなく、酷く閉鎖的な部屋は自然とデブの恐怖心を煽った。


「と、取調室……みたいっですね」

「あー、まぁちょっとね」


 怖がって、入るのを躊躇しているデブを見て、困ったようにエメは笑う。


「ほら~、入って」


 背中から急かしても入ろうとしないデブを、無理やり背中を押して部屋に入れ、自分も入ってからエメは後ろ手で扉を閉めた。


 カチ──扉が閉まると同時にそんな音が鳴った。


「え、、今……」


 閉じ込められた、と気付いたデブが何か言おうとしたが、エメはそれを許さない。


「ん? どうしたの?」

「いや、あの、カギ、」

「あ! そうだ~、お茶、入れてあげるよ」


 エメは無理やり言葉を遮ってそう言って、右腕を前に出し、反時計回りにゆっくりと回した。その指先から暗い色の霧のようなものが出て、彼女の身長ほどある輪が描かれる。


「私、魂属性の魔法が専門なんだけど~、こういう一般的な魔法は使えるんだ」

「……魂属性」


 それを聞いたデブは、小さく、本当に少しだが震えていた。そんなデブの様子にエメは気づかず先程作った霧の輪に手を入れ、指を鳴らす。


「あ、紅茶で良かった? もう出しちゃったけど~」


 霧の中から出てきた純白のティーセットを持って、エメはそう聞いたが、デブは返事をせずに、ジッと目を見開き床を見つめ、ブツブツと口を動かしていた。


「……さないとっ、魔女……倒さないと」


 不審に思ったエメはティーセットを消して近づく。


「……ぁぁ、い、い、いやだ。なっ、成りたくない……で、でも……期待してくれてるし……」

「な~にをブツブツ言ってるのかな?」

「……自分が…かっ、変わらないと、たっ、倒さないと……」


 エメの方を見向きもせずに、デブは震え呟き、瞳孔を揺らす。


「……倒さなきゃ……自分が、倒さないと……」

「ん~? もしかしてボクのこと、倒すって言ってるの?」


 一体、どうやってただの人間が自分を倒すんだ、そんな油断がエメの顔に笑みを与えた。


「倒さなきゃ……倒さなきゃ……」


 その瞬間、突然、デブの震えが止まった。


「……本当に? ぼっ、僕に倒せる? こっ、このままじゃ駄目だ 」


 自問自答するデブの顔をエメは好奇心をもって覗き込む。社会不安でおかしくなってしまった人間の表情が彼女にとって大好物だったのだ。

 

 が、


「……ひっ!?」


 今回ばかりはそれは悪手、覗き込むと同時に彼女は思わず声を出して後ずさる。それもそのはずだ、デブの顔がドロドロに溶け始めているのだ。


「……倒……いや、ぶちのめすか」


 ぶちのめす、そう宣言したデブは、さっきまでの内気で自信なさげな人物と同一人物とは思えない邪悪な笑いを浮かべていた。


「へぇ~、ルダス星人だったんだぁ」


 先の動揺を隠すように、デブの変化を見ても、エメはさして驚いた表情をせず、心底興味深そうに鋭くデブを見つめる。


「でも、ルダス星人の能力って擬態でしょ? ど~やってボクを、ぶちのめしてくれるのかな?」

「こうやって、だ」


 そう言った途端、デブは身体中の脂肪を筋肉に変えた。たちまち2メートルをゆうに超える巨体になったが、エメは驚かない。


「えぇ~、それだけぇ? やっぱり、ルダス星人って弱いよね。ただ、擬態出来るだけじゃ、なっ、地面がっ!?」


 ──バキィッ!!


 エメは期待外れだという風にデブを煽っていたが、突如として足元の地面が割れたことで、その口上は止めざるを得なかった。左に飛び跳ね、かろうじて、エメは地の底から逃れる。


「っ魂魔法マージ ドゥ ラーム! 『春夢、二十里』!」


 そのまま器用に横に一回転し、体勢を直ぐに立て直したエメの詠唱と共に、部屋中が桃色に発光する。桜の花弁が空間を支配し、小さな部屋を埋め尽くすように桜吹雪が舞い、デブの視界を遮った。


「はっ、きれぇだな」


 デブは思ったまま感想を呟いた。


「でしょ~? でもね綺麗な──」

「綺麗な薔薇にはトゲがあるんだろ? 知ってるぜ」


 デブはエメの言葉の続きを先に言って、襲い来る桜を目の前で隆起させた壁で防いだ。


「……へぇ~、よく分かってるじゃん。ていうか、驚いたなぁ、ルダス星人じゃなかったなんて、さ」

「ルダス星人じゃない? どうにもお前たちは、俺たちを侮りすぎてるみたいだなっ!」


 言葉と同時にデブはエメから隠れるように床で壁を作った。


「お前たち……? だってルダス星人って擬態しか、脳が無いじゃん。他に能力だってないでしょ~? さっきのはどうやったか知らないケド?」

「あぁ、擬態だけだ。でも、その擬態を極めるとどうなる?」

「……」


 デブの問いにエメは眉をひそめる。


「分からないか? ルダス族の本当の姿はゼリー状なんだ。だから、自由に身体だって溶かせる。じゃあ、今の人間の身体の一部、それを溶かした状態で伸ばせば? そして、それを地面に擬態させれば?」


 エメは、ついさっき自分の直ぐ足元が割れたことを思い出した。


「分かったか? それ以外にもだ。例えば、身体の一部をナイフに擬態させることも出来る。そしてそれを勢い良く切り離せば?」


 デブは腕を一気に振り下ろした。それと同時に突如エメの目の前の壁が消失し、ナイフが眼前に現れる。


魂魔法マ~ジ ドゥ ラ~ム傀儡之舞踊くぐつのぶようおき』『傀儡之舞踊、出端では』!」


 エメの詠唱が、部屋の中心にあったデスクを浮き上がらせる。


 そしてそのまま、高速で飛来するナイフから彼女の身を守った。だけで終わりでは無く、床に落ちたデスクは、大きな重力に四方八方から潰されたように、無秩序な球体となった後、阿修羅のように#三面六臂__さんめんろっぴ__#、腕が6本顔が三つの人形と変化した。


「物体まで操れんのかよ!?」


 人形が自立していることに気づいたデブが驚嘆する。


「物にだって、魂はあるんだよ? 君がルダス星人ってことは分かったし~、これ以上得られる情報も無さそうだし? ……殺そっかな」


 人形は、体躯に似合わぬ俊敏さでデブとの距離を一気に縮める。


「ごめんね~、容赦無し、だよ。魂魔法マ~ジ ドゥ ラ~ム彼方此方あべこべ彼岸羇旅ひがんきりょ~』」


 畳み掛けるようなエメの魔法が、デブにさらなる苦戦を強いる。

 『彼方此方あべこべ彼岸羇旅ひがんきりょ』、それにによって視覚を左右逆に入れ替えられたデブは、頭、金的、みぞおち、膝と的確に急所を狙って攻撃する人形との肉弾戦に応じながら、自分を見て薄ら笑いを浮かべるエメを睨んだ。


「……クソっ、いい身分だな? 高みの見物とは」

「だって、ボク直接戦闘向きじゃないし~。だからさ。向いてる人達、呼んでくるね」


 エメはそう言い残して部屋を出ようと足を扉へ向けた。


「はっ、させるとでも?」


 デブはドアまで自分の体を先行させて、物理的にドアを塞ぐ。


「へぇー、じゃあ……もう少しだけ、レベル上げるね。『傀儡之舞踊くぐつのぶよう、くどき』」


 突如として、人形が崩れ落ちた。


「……?」


 一見失敗にも思えるその結果に不可解な顔をするデブ。が、すぐに魔法は始まった。


 崩れ落ちた人形は灰になり、そして、新たな人形へと生まれ変わる。それらは、長すぎる腕を除けば、全ての無駄を削ぎ落とした狩りの為だけの形状の根源的な自然の美しさを表現した男と女の人形だった。


「まだ、終わりじゃないよぉ?『傀儡之舞踊くぐつのぶよう、踊り地』」


 ニヤリと、笑ってエメが詠唱する。その瞬間に、二対の人形は目で追い切れない速さでデブに突っ込んだ。


「っっ!?」

「スピードもパワーもさっきとは~段違い? ってやつ」


 反射的に人形から離れるように右に避けたデブだったが、実際は人形の方に自分から向かっていた。『彼方此方あべこべ彼岸羇旅ひがんきりょ』のせいだ。


 人形は直ぐにデブを捉えるため、腕を伸ばす。


「チッ……」

「あーあ、捕まっちゃったんだぁ。ま、無理もないよねぇ、左右あべこべじゃ。さっさと右腕握りつぶしちゃって……え?」


 間抜けな声を出したエメは既に鉄格子の牢屋に捕まえられていた。


 ──いつの間に!?


 そんな驚きでエメの頭が真っ白になる。


「いやぁ、部屋が狭くって良かった。おかげで直ぐに、這い巡らせられたからな」


 エメが、その言葉を聞き、咄嗟とっさに床や壁を見ると微妙に模様が変わっている。


「まさか……、」

「その、まさかだ。なぁに、そんなに難しい話じゃないだろ? ただ、この部屋を俺の内部にしたってだけさ。ま、こんな方法出来んのも俺がデブだからなんだけどな」


デブは最初に見た時より小さく見えた。


「……魂魔マージ ドゥっ!?」

「おっと、無意味だぞ。お前が操っている人形も既に覆ったからな」


 エメは慌てて、デブの後ろで停止したままの人形を見た。その人形は確かに、なにか透明なジェル状のもので覆われていた。


「何故か、お前は俺を直接洗脳しようとはしなかった。どうしてなのか、ずっと考えてたんだがな。簡単な話だったな、お前がまだまだ未熟ってだけだ」

「……」


 エメは下を見つめ、唇を噛んでその言葉を黙って受け止める。


「じゃ、そこで大人しくしてろよ。今楽にしてやるからよ……っ!?」


 デブはエメに近付こうとしたその瞬間、突然頭を抱えしゃがみ込んだ。


「……返してだぁ? お前に任せてたら、上手くいくもんも上手くいかねぇぞ? ……え? はぁー。しゃあねえな。今日のとこは下がってやるよ」


 急に、一人で会話を始めたデブを不思議そうにエメは見ていた。


「……あ、じゃ、自分行きますね」


 さっきまでの勇猛で尊大な姿は消え、自信なさげな青年に戻ったデブを見て、エメはさっきまでの悔しさを忘れ、興味津々に研究者として目を輝かせた。が、そんなエメに気付かずにデブは、部屋を後にした。

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