CHAPTER.3 世界史の新しい時代が始まる


 薄暗い中、下卑た笑い声と煙が充満している場所で、プロ子は自身の人選が正しかったと遂に証明されたと感じていた。

 いや、彼女は、はじめから分かっていたはずだった。誉には並外れた演技の才能と度胸があることを。それでも、流石に目の前の状況は彼女からしても予想外だった。


 プロ子は半ば呆れた目でと談笑する誉を見ていた。



◇◇◇



 話は誉がカジノに潜入する前に戻る。


 誉は、エレベーターに乗って5階を押した。

 プロ子は若干の緊張を誉から感じたが、逆にそれで良いとも思った。なぜなら裏カジノに初めて来て、緊張しない人なんて居ないからだ。


 カジノの部屋は502号室、503号室、504号室の壁を抜いた大部屋。受付がある502号室に誉は躊躇なく歩みを進め、ドアの前まで来た。


 しかし誉は一向にインターホンを押そうとしない。

 それどころか部屋の前を足早に行ったり来たり、怪しまれるような行動を取る。プロ子にはその姿がニコチンが切れたタバコ依存性の人と重なって見えた。


「くそ…腹減った。はぁ、はぁ……」


 小声で誉はそう呟きながら、学校の帰りにでも予め購入しておいたであろうサイコロをポケットから取りだし、そしてそれを勢いよく床に投げた。


「ぅぁあああああ、痛い! 痛いぃ!!」


 サイコロの目が出たのと同時に誉は絶叫する。


 その様子を見てプロ子は自分が論外だと思考から外していた作戦を誉が実行していることを漸く受け止めた。大した予備知識も無いルダス星人のフリをしてカジノに入るという馬鹿な作戦を。


 しかし、それでも分からないことがあった。何故、誉が「痛い」と叫ぶのか。単純に考えればルダス星人にとって娯楽は栄養なのだから、痛みを感じるフリをする誉の行動は一切理解出来なかった。


「ぁぁあああ! 足らん!」


 この凄まじい形相で絶叫する男が本当に誉なのか、プロ子がそう思ってしまうほどに誉の演技は演技の域を逸脱していた。

 それ程までに自身の全てを消し去って別人へと変貌している。つい5分前までの関西弁でおちゃらけていた彼の面影は全くと言っていいほど無く、ひたすらに飢えて、今にも倒れそうな狂人と化していた。

 そして誉はまた、サイコロを振る。

 そしてまた叫ぶ。振って、叫んで。振って、叫んで。


「はぁ、はぁ、死ぬぅぅ……」


 12回ほどそのサイクルが続いた。

 枯れた喉で叫ぶ誉は、駄々をこねる子供のように、でもその奥のどうしようもない生存本能の為の欲望をチラつかせながら、声を振り絞る。


「遊びたいぃぃぃぃ!」


 床に這いつくばっている誉の視線の先には、一向に開く気配がない冷たいドア。そして、全てのエネルギーを使い切ったフリをする誉は、静かにゆっくりと目を瞑った。



◇◇◇



 誉は、頭の横で回るルーレットの音で目覚めた、ように見えた。しかし実際には、誉は一睡もしていない。それに気付いていたのは彼のポケットの中で心拍数を聞いていたプロ子だけだった。


「お目覚めですか?」


 そう聞いてきたのはおそらく、オーナーか警備員的な役割の者だろうとプロ子は推測する。青紫色のくせっ毛の無い長髪で、黒いスーツを着る彼の身長は160cmもないが、何か厳格な雰囲気を感じる。


「う、う~ん……」


 誉はぬけぬけと今起きたかのように振舞う。


「あ、無理に体起こさなくて良いですよ。そのまま寝たままでいいですから」

「……いえ、お陰様で少し元気になりました。やっぱやっぱりルーレットって、胃が空っぽでも全然負担無くて良いですよねぇ。分かりますよね?」


 今の一言でプロ子は、先のサイコロで「痛い」と叫んでいた理由に気付いた。


 誉は人間が空腹時におかゆを食べるように、ルダス星人にも空腹に負担が強いものと弱いものがあると踏んだ。そして、サイコロはその負担が強いと仮定したのだ。

 ハイリスクな、あまりにも根拠の無い仮定にプロ子は身震いする。しかし、その仮定に基づいたからこそ演技が絶大なリアリティを持ったことに気付き更に身震いした。


「はは、面白いことを言うルダス星人ですね。胃なんて無いだろうに。それに、私はルダス星人じゃないのも分かってるでしょう? え~、確かイーデムでしたっけ? その能力で会話してないんですから」


 イーデム、と男が言ったのはルダス星人特有の個体間共感システム、お互いがルダス星人であることを探知、その上で言葉を交わさず会話を行えるというものだ。


「イーデェムですね、正しくは。それに、私はルダス星人ですよ? 自らも面白くないと」


 誉は正確な発音、いや実際には正確では無いかもしれないが、それを指摘することでより自身をルダス星人と相手に思い込ませる。

 さらに、自分はルダス星人だと自然な流れで名乗り直した。自身が知らないことで、ここまで涼しげな顔をして嘘を吐く誉に、プロ子は尊敬に似た恐怖を覚えた。


「いやぁ、それにしても驚きましたよ。防犯カメラを見てたら、貴方が急に叫びながらサイコロを振り出したんですから」

「いや、本当にお恥ずかしいです。なにぶん文字通り、娯楽に飢えてたもんですから」


 プロ子は嫌な予感で汗が出るのを感じていた。今まで順調だったからだろうか。何か、嫌な予感がしていた。


「ふむ、でもその割にはエレベーターでは平気そうでしたけどね」


 誉の身体に緊張が走ったのをプロ子は感じた。


「……はは、エレベーターは三半規管が揺られて、私にとっては娯楽なんですよ」

「またまた笑、ルダス星人に三半規管なんて無いでしょ?」

「……」

「知っていますか? ルダス星人が飢えで意識を失ったら、もう二度と目覚めることは無いんです。いや、少なくとも娯楽では目覚めないんです。何故か分かりますか? 娯楽はね、目覚めて意識がある状態じゃないと娯楽じゃないんですよ」

「……」

「さて、いい加減正体を教えてくれませんか?貴方がルダス星人でないこと」


「そして、人間でもないことは分かっているんです」


 プロ子は、彼の言葉を聞き思わずほくそ笑んだ。

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