第12話 老兵

 しばらくの間三人は、黙々と歩き続けた。


 ネノはトヴァンの方をチラチラと伺いながら、質問を投げかける機会を探っていた。女神の話になると途端に彼の態度が刺々しさを増した理由を、彼に尋ねたかったのだ。


 一瞬でも疑問に思ったら、解決するまで疑問に思い続けるのが自分の性格らしいとネノは気付き始めていた。そうでなければ、盗賊たちに追いかけられている最中に足を止めて神種の伝説を聞こうとなんてしない。何も答えてくれなさそうな魔術師のところからは逃げ出してしまったものの、機会があれば問い詰めたい気持ちはあった。


(トヴァンは、女神が嫌いなのかな。でもどうして?)


「『勇者』。――『勇者』」


 イシナミに呼びかけられて、考え込んでいたネノは顔を上げた。


「何?」

「身体に不調はないのか」

「特にないけど、なんで?」


 彼は足を庇うように歩いていたが、その歩調はしっかりしていた。積み重ねた年月が、彼に傷を負っていても歩みを乱さない技術を教えたようだった。


「魔力には上限がある。あれほどの力を一度に振るえば、負荷がかかっていてもおかしくない」

「魔力を使い切ると、もう魔法が使えなくなるの?」

「枯渇さえしなければ、時間を置くだけで魔力は回復する。そして、普通は枯渇するほど魔法を連続で使うことはない」

「もし、一度に魔力を使い切ったら?」

「死ぬ」

「え……ええっ⁈」


 ネノは驚いて軽く飛び上がり、意味もなく自分の体をぱたぱたと叩いた。何も異常がないか確認するように、ぐるぐると視線を彷徨わせる。


「死んじゃうって……どうして」

「詳しくは知らん。そうして死んだ魔術師を見た事があるだけだ」


 ネノはいよいよ戸惑いきって、目を白黒させながらイシナミを見た。


「その人、なんで加減を間違えたの」

「戦争の熱が、そうさせた」


 ――二つ下の妹だ。ガキの頃、戦争のどさくさでどこかに攫われた。


 トヴァンの言葉が脳裏に蘇って、ネノは顔を曇らせた。


「どういう、戦争だったの」

「酷いものだった。木漏れ日の痕跡が残る聖地を争って、グルフォスがシナツに攻め入った。それが始まりだったはずだが、元の理由を忘れ去ってもなお憎悪が憎悪を呼び、二十年近く不毛な殺し合いが続いた」

「でも……トヴァンは『世界は一度終わった』って言ってた。そんなにひどいことが起きた後なのに、まだ争ったの?」


 イシナミは視線をネノの方に落とし、ため息のような息を漏らした。


「聡い子だ」




 二人を先に行かせて殿しんがりをつとめていたトヴァンは、小声で交わされる二人の会話に嫌な単語が混じり始めたことに気付いて顔を顰めた。


(……まあ、話すよな)


 妹の話題を出してしまった時、ネノは詳しく尋ねたくてたまらないような表情をはっきり浮かべていた。それでも堪えていたのは、一応遠慮のようなものがあったのだろう。


「百年前に神樹が枯れ、闇が世界に溢れ出してから、大陸にあった町の九割近くが瞬く間に壊滅したらしい。だが、人間は多くが生き延びた」

「やられた町から離れて、闇から逃げ切ったってこと?」

「ああ。伝説によれば、かつての勇者たちは万が一に備え、旅の中で見つけた安全な場所を人々に教えて回ったそうだ。それに従い、かなりの人間が災厄を切り抜けたらしい」

「だからみんな、『世界を救い損ねた勇者』でも大好きだったんだ……。でも、それがどうして戦争に――あ、」

「分かったか」

「住む場所が、なくなったんだね」

「それだけではない。何もかもが足りなくなった。それでも数十年は、生きていくことで精一杯だったが……やがて国は、奪い合うことを思い出した」


(生きてる一人ひとりは、ずっと生きてくだけで精一杯だったはずなんだがな)


 口を挟む気も湧かず、心の中だけで付け加える。色々なことを一度に思い出しそうになって、トヴァンはガリガリと頭を掻いた。


「俺はシナツの傭兵だった」


 イシナミの声が耳に届いて、彼は軽く目を見張った。

(そこまで言っちまうんだな)


「若い頃から金のために用心棒をやって、戦争が始まれば兵になった。うんざりするほど死を見てきた……やがて傭兵団は解散されたが、その頃にはもう普通の暮らしに戻れなくなっていた」

「……」


 トヴァンは俯くネノの後ろ姿をただ見つめ、それから目を逸らした。


(最初にイシナミさんから聞いた時の俺は、アイツみたいに大人しく聞いちゃなかったな)


 叩ける限りの憎まれ口を叩いて、しばらくどんな言葉にも苛々と答えていたはずだ。思い出すつもりは欠片もなかったのに結局思い出してしまい、ますます渋い顔になる。




 そうして一人で考え込んでいたせいで、トヴァンはイシナミが背をかがめ、ネノに何かを問いかけたことに気付かなかった。


「――か?」


「――。だって、――」


 そして、その答えを受けて彼が囁いた言葉も、聞き逃していた。

 

「勇者。お前の旅は、過酷なものになるだろう」

「俺は同行できない。お前みたいな奴についていくには歳を取りすぎたし、きっと俺たちは性格が合わない」

「何故か? ――それは、あいつに聞いてみろ。あいつは思ってる以上にお前を見て、気にかけてる。そういう性分だからな」


「頼めば……お前の助けになってくれるかもしれない」

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