第14話 知った顔
「げっ」
ネノが小さく声を上げて背をこわばらせたので、トヴァンは足を止めた。視線を追うと、食料や染料を詰め込んだ籠を背負った小太りの男がネノの方を見ている。肉付きのいい柔和な顔が、疑いの色に染まりかけていた。
「知り合いか?」
「昨日、楽団の近くでちょっとだけ話した」
言葉を選んでいる様子から、自分の顔や声を知っている可能性があると理解する。それでもネノに声をかけたあたり、よほどお人好しなのだろう。もちろんこんな市には現れないが、珍しい容姿の人間や働き手になる子どもを売り払う商売は立派に存在する。
立ち止まった二人に気づいたイシナミが、状況を把握してそっと距離を取るのが見えた。確かにここへ帯刀した男がもう一人加わったら、言い逃れするのはますます難しくなるはずだ。
彼の細くて小さい目がネノの足に巻いたままだった布を捉えて、それからトヴァンを見た。
「あなたがこの子の保護者ですか?」
「そうだよ、護衛の冒険――」
「違うっつったらお前はどうするんだ?」
慣れてきた嘘を披露しようと口を開いたネノを、トヴァンは好戦的な口調で遮った。
男――昨日ネノに踏み台にされた麻売りの男の瞬きの回数が増え、口元が恐怖を感じたようにひくりと動く。
「トヴァン?」
「黙ってろ」
思わず見上げた彼の顔がニールの言う「下手な悪党面」になっていて、ネノは意味もなく口を開け閉めしてから黙った。
「ここには憲兵も〈猟鳥〉もいねえだろ。ああ……あっちにいる冒険者の一団でも呼んで、俺『たち』を捕まえてもらうか?」
「その、それは」
長身で鋭い顔立ちのトヴァンが凄むと、かなりの迫力になる。怯えきってしまった麻売りを見下ろして、彼は片頬を吊り上げた。
「ま、俺たちもンな所で騒ぎを起こしてまで稼ぐ気はねえからな。――ほら両手出せ、落とすなよ」
「え」
「はあ⁈」
不意に体がぐんと持ち上がりそうになって、ネノはトヴァンの肩にしがみついた。荷物を詰めた袋が落ちて、中から携帯食の包みがこぼれ出る。思わぬ抵抗に、今度はトヴァンが「あ?」と声を漏らした。
「どういうつもりだお前」
「そっちこそなんでオレのこと置いてく気満々なんだよ」
「俺にくっついてくる理由なんざねえだろうが」
「服と靴は」
「その金までは面倒見てやるから」
「オレが心配とかそういうのないの⁈」
「そんな魔法がありゃ生きてけるさ。何なら冒険者になっちまえばいい」
「また妹探して大陸中歩くんでしょ? 魔法使える奴がいてほしいとか思わない⁈」
「思わねえよ。剣で殴れば大体の奴は黙るからな」
「この……っ!」
予想外の言い争いを始めた二人を麻売りの男はぽかんとしながら眺めていたが、ややあっておずおずと「どういうことなのかな?」とネノに問いかけた。
「きみたちに、何があったんだい……?」
ネノはトヴァンの肩を掴んだまま、軽く顎を振った。地面から水の蔦が現れ、素早くトヴァンの横っ面を引っ叩く。「いってえな!」と叫ぶ彼から視線をずらして、ネノはニッと笑った。
「オレは何も怖いことなんかされてないよ。むしろ、一人で旅しようとしてたオレを助けてくれた。魔物からも庇ってくれたし、聞きそびれた【神種の勇者】の話の続きも教えてくれた」
「こいつのせいで俺は盗賊団を追い出されたがな!」
「どうせ抜ける予定だったじゃん」
「殺されかける予定はなかった」
再び喧嘩になりかけた二人を、男は「ま、まあ落ち着いて」と止めた。
「きみは、一人でどこに行くつもりだったんだい?」
「まだ分かんない。けど、『ふさわしい場所』を探すんだ」
そう答えたネノから昨日感じたのと同じ鮮烈な気配が沸き起こり、男は目をみはった。
「もしかしてきみ、本当に」
「……内緒」
男はしばらく沈黙してから、トヴァンと目を合わせて慎重に口を開いた。
「大人のあなたは知っているかもしれませんが、『神種を手にした者の選択は全て、神の選択と同義』という伝承があります。僕は信仰の篤い家で育ちました。この子の選択が、あなたについていくことなら……僕は止めがたい」
「シナツ人はどいつもこいつも……」
「それに、あなたはこの子の身をきちんと案じている」
「……」
トヴァンは苛立ったように舌打ちして、男を睨んだ。取って食いそうな勢いだった。
「でもトヴァン、尻尾揺れてる」
「嘘だろ⁈」
「嘘」
「お前っ……!」
「今本当に揺れた」
その言葉とほぼ同時に、彼の背からパサパサと軽い音が聞こえ始める。トヴァンはしばらく手が塞がったままの状態で動きを抑え込もうと足掻いていたが、やがて鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「こいつに合う靴と服を探したい。いい所を知らねえか。連れてくから」
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