第13話 夜明けに消える蜃気楼

「――あ、あれ」


 空が白み始める頃、ネノが前方を指して声を上げた。


 色とりどりの集団が、長大な列をなしている。手押しの荷車、ロバが引く車、巨大な荷物を背負ってよろよろ歩く人々、鋭く指示を飛ばす派手な服の男たち……彼らは方向の違ういくつかの列に分かれ、ゆっくりと各々の目的地に向けて移動しているようだった。


「市場が近いんじゃない?」

「いいや、違うぜ」

「でも、あれって市場から来た人たちでしょ」


 むっとして反論したネノに、トヴァンはニヤニヤと笑って返した。


「あそこ自体がサラキア、昨日いた市場だよ」

「え⁈ お店は⁈」

「全部解体されたんだよ。ほらあの荷車、骨組み積んでんだろ」

「ほんとだ……」


『蜃気楼の市』とうたわれるサラキアの本分を目の当たりにして、ネノの口から感嘆のため息がこぼれた。


「サラキアで店を出す隊商は、それぞれの国から集団でここまで荷を運ぶ。夜の間は身を寄せ合って魔物の脅威を凌ぎ、サラキアで一日取引をした後、翌日の朝には荷物をまとめて国に戻る」

「そうなんだね」

「で、行きも帰りも楽じゃねえ旅だからな。特に帰り道の奴らは、売れ残りの品をできるもんなら捌きたいと思ってる」


 宙ぶらりんの言葉をネノはしばらく咀嚼し、やがて言った。


「……盗っても怒られない?」

「俺たちがいつでも物盗りしかやらねえと思ってんのか」


 呆れたように彼は笑って、「安く買えんだよ」と言った。


「だからお前も今が好機だぜ。食いもんとか傷薬とか、要り用の物はいくらでもあん、だろ……」


 そう言ったトヴァンの視線が、もの言いたげな緑の瞳にぶつかった。


 数秒、沈黙が流れた。


「……ここまで腹が減ったりしなかったのか?」

「多分、気がついてからサラキアに来るまでそんなに経ってなくて」


 一文無しでここまで歩いてきた事を匂わされ、トヴァンは顔を覆った。


「これからどうすんだよ」

「考えてたけど……どうにかできるかなって」

「馬鹿野郎」


 トヴァンはネノをひと睨みして、ため息と共に言った。


「旅支度くらいはしてやる。代わりに、ちょっと手伝え」

「手伝う?」


 首を傾げるネノの目の前で、彼は腕に巻いていた止血用の布を解いた。


「悪人流の値引き術」





 ――それから三十分も経たないうちに。


「もっと嘘は下手かと思ってた」


 携帯食やポーションをいっぱいに詰めた袋を抱えて、ネノはニヤニヤしながら囁いた。その体は荷物ごとトヴァンに抱きかかえられていて、ゆらゆらと揺らす足には血染めの布が丁寧に巻き付けられている。


『自分たちは冒険者で、サラキアに向かう予定だった隊商を四人で護衛していた。しかし魔霊獣の襲撃に遭い、子どもだけでも逃がしてほしいという親の願いに応えてこの子を連れて逃げた。親たちは仲間二人に託したが、安否は分からない』


 ……といった内容を淡々と、しかし沈んだ調子で語るトヴァンとイシナミに同情して、多くの商人たちが余った商品をまけてくれた。


 怪我人のふりをしたネノが二人の言葉を保証して、たまに弱った子どもの演技をしてみせたのも存分に効いた。一日前の大立ち回りを横目に見ていたらしい商人たちが首を傾げても、ネノが大きな目を瞬かせて「このおじさんたちがずっと守ってくれた」とはにかんでみせれば皆優しい顔をした。


「慣れてる出まかせはすらすら言える。あとは尻尾に気を使いさえすりゃ何とかなるのさ」

「こんな事よくやってたの?」

「怪我人役は大体ニールにやらせてな」


 あいつは団の中でもダントツで小狡い奴だから。


 一人でさっさと逃げ出した男にぴったりな表現をしてみせた彼の腕の中で、ネノは「もしかして、」と呟いた。


「オレに石投げたのってニールだった?」

「発案もあいつだ」

「逃げる前に聞いとけば良かった!」


 悔しそうに足をばたつかせたネノを見下ろして、トヴァンはカラカラと笑った。しかし、すぐに口をつぐみ、笑いを収めて微かに眉をひそめる。表情の変化を敏感に感じ取ったネノが、「どうしたの」と問いかけた。


「いや、気にすんな」


 ふいと目を逸らしたトヴァンを、ネノは疑うようにじっと見る。その横顔に、イシナミが声をかけた。


「ところで『勇者』よ。お前、旅装は整えなくていいのか」

「旅装」

「頑丈な服や靴はあるに越した事はない。足を痛めずに済む上に、身を守れる」


 ネノは少し考えてから、「確かに」と頷いた。


「あった方がいいのかも」

「ならアレースラかグルフォス方面か? あの辺の織物は頑丈だろ」

「そうだな」


 別の列の方へ向かうイシナミを追うように、トヴァンはネノを抱えたまま歩き出す。戦利品を落とさないように位置を調整してから、ネノは彼の方へ体重を預けた。


(快適すぎるくらい快適なのが変な感じ)


 魔術師が駆る馬に乗せられて、ひたすら走っていた時は酷かった。あんなに揺れる場所で口を開いていたら、絶対に舌を噛んでいたはずだ。


(やっぱりあんな奴について行かなくてよかった)


 大小様々な石を操っていた魔術師の冷たい眼差しを思い出して、ネノは心の中でべっと舌を突き出す。……その時、温厚そうな声がネノの耳に届いた。



「きみ、もしかして昨日の――?」

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