第11話 木漏れ日の祝福

 ――深い森を思わせる静謐な空気が、周囲に満ちている。


 目を伏せて佇むネノの手の中で、神種は依然として金色の輝きを放っていた。こぼれ落ちる光の帯が地面に触れるたび、足元に散らばる泥の塊が輪郭を失って崩れていく。その場にいる誰もが、神妙な面持ちでそれを見ていた。


 やがて光が収まり、ネノがぽつりと言った。

「終わった、みたい」

 先ほどまで魔霊獣の残骸だった柔らかな泥を、トヴァンは爪先で軽く蹴った。再び寄り集まる様子もなく、完全にただの泥になったように見える。

「芽吹いてねえ神種は、そう使うんだな」

「――そうだね」

 淡い光を放つだけになった種を、ネノはケースに納めた。

「イシナミさんは、どうしてこんな事知ってたの?」

「シナツに生まれれば、いやでも耳に入る」


 少し釈然としない表情を浮かべたネノの様子に気づいて、トヴァンが助け舟を出した。


「シナツの人間は神種をよこした女神への信仰心が特に強いからな。学者連中も多い国だし、情報も集まりやすい」

「じゃあ、シナツに行けばオレのことも知れるかな」

「やめておけ」

「えっ?」


 勢い込んで口にしたネノを、イシナミは即座に切り捨てた。


「なんで」

「あの魔術師の首に、孔雀羽の刺青があった。隠されていたが」

 乾いた声で放たれた言葉の意味を、最初に捉えたのはトヴァンだった。

「……ハッ。そりゃあ勇者の旅には向かねぇな」

「アイツに孔雀羽の刺青があるとダメなの?」

「孔雀はシナツの神官――要は国の長の象徴だ。神官に忠誠を誓う連中のうちでも偉い奴らは、そのシンボルを身体に刻むらしい。つまりシナツは今、国を挙げて神種を奪い取ろうとしてるのさ。しかも大っぴらにはできねえ手段でな」


 ローブの男――シナツの魔術師が唱えていたゾッとするような未知の言葉と、視界を埋め尽くした石礫の壁がネノの脳裏に浮かんだ。


「どうしてそんなこと」

「神草の恵みを独り占めするためさ。ネノ、神種がどうやって奇跡を起こすか分かるか」

「育って神樹になった、その後ってこと?」

「ああ。植えられた神種はあっという間に芽を出して、大陸のどこからでも見える透き通った巨木に育つ。その木漏れ日が地面に届いた時、土地は浄化されて生命で満ちるのさ。これが女神サマが約束したっていう、神種の恵みだ」

「だが、この大陸は栄えすぎた」


 イシナミが平板な声で、トヴァンの言葉を引き継いだ。


「際限なく拡大した領地全てに恵みを届けることは、最早できない。一部の民は木漏れ日の祝福から弾き出される事になるだろう。神種を奪い、己の国に植えない限りは」

「そうして恩恵を千年独り占めした奴は、大陸の覇者になるだろうな。ラティスが滅びた今、それを止める奴ももういない」

「千百年前は、そのラティスが種を……?」

「頭が回るじゃねえか。その通りだよ。だからラティスは『祝福の国』と呼ばれてたのさ」

「……そっ、か」


 ネノは二人の話を反芻するようにしばらく沈黙し、やがて乾いた唇を動かして呟いた。


「種を見つけた時から、誰かが心の中で『これを正しい場所に植えて』って言ってるような気がしてた。それは――祝福にふさわしい場所を、選んでほしいって事だったんだ」

「ああ」

 イシナミが、ネノの言葉を肯定した。

「女神は全ての民の幸せを祈っている。お前が聞いたのは、彼女の声かもしれないな。……『若い目で、正しき選択をせよ』と」

「ハハ。とっくに神には失望したっつってたのに、随分信心深い言い方だなイシナミさん」

 棘を孕んだ皮肉な声でトヴァンが言った。イシナミがぐっと唸って目を伏せる。

「失望したのはシナツの体制だ。俺個人の信仰は、そう簡単には消せない」

「分かってるよ。今のは意地が悪かった。だがな、正しい選択って何だ? それが女神には分かってんならソイツが直に植えりゃいいだろ。わざわざ勇者とやらを選んで決断を任せるなんて、性悪以外の何物でもない。大体、」

「トヴァン。……やめろ」

 イシナミの真剣な声に蓋をされるように、トヴァンはぱたりと言葉を止めた。やがて吐き捨てるようなため息をついて、話題を変えた。


「そろそろ行こう。さすがにもう、ああいう魔物は来ねえだろ」

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