第2話 追いかけっこ
――その、逃げた子どもの方は。
「ちょこまか、逃げ回り、やがって……」
「逃げるに決まってんじゃん、怖いし!」
「クソッ……!」
フードの男が息を切らせつつ、心底苛立ったように頭を掻いて唸った。その背には、いかにも使い込まれた見た目の大剣が括り付けられている。明らかに物騒な様子の彼を、人々は皆遠巻きに見ていた。軽快に逃げていた子どもはといえば、こちらも息を弾ませながら、屋台の上に腰掛けて男の様子を伺っている。上に乗られている店番らしき青年は、おろおろしたまま動けないでいた。
ここまで二人が繰り広げてきた追いかけっこは、市場のあちこちで騒動を巻き起こしていた。造りの甘かった屋台が子どもに蹴り倒され、男がぶつかって吹っ飛ばした売り上げを誰が盗ったの盗らないのでちょっとした言い合いがいくつも勃発した。子どもが追手を妨害すべくばら撒いた野菜や卵や小麦粉が、混乱をさらに悪化させた。二人がこの睨み合いに至るまで誰にも止められずに市場中を走り回ることができたのは、みんな自分たちの損失を抑えるのに精一杯で手が回らなかったからだった。
やがて呼吸を整えつつ、どうやっても男の手がここまで届かないことを確かめた子どもが、徐に自分の首にかけていたケースに手を伸ばした。
「なあ、おっさん盗賊?」
「そうだったら何だってんだよ」
「ううん。ようやくちょっと納得できたってだけ」
ケースが手の中で揺れるたびに、カラコロと中で何かが革にぶつかる音がする。ケースに触れながら、子どもは続けた。
「オレが持ってる“これ”には、物凄い価値があるんだね」
「まさか、知らなかったのかよ」
「うん。気付いたらそばにあった。……そしてなぜか、『これを正しい場所に植えなきゃ』と強く思った」
「だったら簡単だな。そいつを俺たちに寄越せば良い。大人のお兄さんたちが、きっと正しい場所に持っていくぜ」
「やだよ、自分で植えるんだから。――神種の勇者、として」
ケースを握り込みながら子どもがそう言い切った瞬間、鮮烈な緑の気配がその小さな手を中心にぶわりと溢れた。遠巻きにしながら通り過ぎようとしていた人々が、驚いたように一瞬足を止める。子どもが口にした言葉が聞こえていた者は顔を見合わせ、興奮を抑えた囁きと曖昧な苦笑を交わしあった。
「今あの子、神種って言ったか?」
「言ってるだけじゃないの?」
「前の勇者さまからまだ百年しか経ってないし」
「それに、伝説では神種は――」
そんな好き勝手な騒めきを背にして、フードの男は子どもの言葉を鼻で笑った。
「よく言うぜ。俺たちからも逃げきれない、お前みたいなクソガキが」
「でも捕まってない!」
子どもはすかさず言い返すが、そこで違和感に気づいたように表情を変えた。
「アンタさっきから、……俺『たち』って」
質量が唸りを上げて風を切った。
子どもの死角から飛んできた石が、後頭部を捉えて鈍い衝突音を立てる。小さな身体が屋根から転がり落ちて、周囲から悲鳴が上がった。
「おっと」
フードの男は素早く駆け寄って気を失った子どもを受け止め、しっかりと胸に抱え込んだ。同時に背の鞘から大剣を抜き放ち、悠々と人々を威嚇する。
「邪魔すんなよ。俺たちだってここで暴れたい訳じゃねえんだ」
刃のぎらつきに押された群衆が、怯えたように後ずさる。男は躊躇いなく足を踏み出し、人の間を抜けて歩み去っていった。
後には、呆然とした顔の人々だけが残されていた。
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