第4話 背信

「【種】は」

 壮年の男が馬から降り、トヴァンに問いかけた。

「ここに」


 彼が差し出したケースを受け取った男は、種を取り出してローブの人物を仰ぎ見た。布に覆われた頭が静かに上下し、徐に手を差し出す。その手のひらの上に、男はケースに収めた神種を置いた。陰に沈んで表情の読めない顔が、今度は焚き火のそばでもがく子どもの方へ向く。

「そいつが神種の勇者を名乗ったガキだ。連れて来りゃ報酬は倍になるって話だったろ」

 馬上の人物の口元が動き、盗賊の頭が命じた。

「こっちに寄越せ」

 トヴァンは黙って子どもの方へ歩いていき、背中に回して縛っていた手首のあたりをぐいと掴んで持ち上げた。「いったぁ!」と叫ぶ子どもに構わず、彼は暴れる身体を馬の背の高さまで軽々と抱え上げ、ローブの人物の手前に乗せる。


 一連の動作を終えたトヴァンは、数歩下がって盗賊頭の男と向き合った。目は期待に満ちて鋭く輝いており、食い付かんばかりの勢いで自らの長を睨みすえる。

「仕事は終えた。これで、稼ぎは七百万に届いたはずだ。――約束は、守ってくれるんだろうな」

「ああ」

 彼の言葉に、頭の男は頷いてみせた。トヴァンの口元に、獰猛な笑みが浮かぶ。

 しかし、

「――あと一つ、この契約の最後の項目を完了すれば」

 男の言葉の続きを聞いた、彼の表情が訝しむように曇った。

 直後。


 トヴァンの肩と足が、爆ぜたように血を噴いた。


「ッ⁈」

 驚きで息を呑む子どもの目の前で、トヴァンの体が傾いていく。その向こう、呆然と立ち竦んでいた他の盗賊たちも次々と血を噴き上げ、悲鳴を上げて倒れていく。

(一体何が、)

 子どもは身を捩らせ、何が起きているのか見極めようと目を凝らした。……夕闇の中、何かが空中を凄まじい速度で飛び交っている。生き物ではない。大小さまざまの石が幾つも縦横無尽に飛び回り、盗賊たちを傷つけている。

 ギィン――! と、金属が硬い物に当たる音がした。

「クソ……魔法か!」

 トヴァンが半ば身を起こし、大剣を盾にして石を防いでいた。左肩からは服の色が変わるほど血が流れており、額を掠めたのか目の上から右頬にかけても赤く染まっている。

「どういう、つもりだ……!」

「分かるだろう。関わった部下を“黙らせる”のが、この仕事で報酬を得る条件だった。――これが終われば、お前は自由だ」

 怒りに目を見開いたトヴァンが、片足の力で立ち上がって大剣を振るおうとする。その時、拳大の石が彼の頭を掠め、フードを弾き上げた。

「あ、」

 子どもが思わず声を上げて、慌てて口をつぐんだ。


 フードの下から現れたのは、今まさに地面に散っている血のような深い赤だった。そして奔放に伸びた赤毛の間から、同じ色を持つ獣の耳が一対生えている。歯軋りして唸る彼の口元から鋭い犬歯が覗き、青い瞳が激情で爛々と輝くのが見えた。

「ふざけるなよ。俺は――!」

 ふと、肌が粟立つような気配が子どもの背後で膨れ上がった。馬上で子どもの身体を押さえ込んでいるローブの人物が、ぞっとするような声音で知らない言葉を唱える。

 地面が熱された水のようにボコボコと泡立って、夥しい数の石礫が飛び出した。

 石の雨が立ち上がりかけていたトヴァンの背を打って地面に叩きつけ、もがいていた他の盗賊たちも打ち据える。地面は何度も穿たれ、焚き火が跳ねた土に埋まって消えた。


 声も掻き消えるほどの嵐は、数秒の後突然終わった。冷え切った声で、魔法を振るっていたローブの人物が告げる。

「もう離れた方がいいでしょう。じきに夜が来る。……後は、魔物どもに任せればいい」

「あ、おい!」

 ぐらりと身体の向きが変わり、子どもを乗せた馬が走り始めた。歩調は次第に速くなり、やがて早駆けの速度となる。風景が、後方へと流されていく。


 子どもは浅い息をしながら、過ぎていく景色をじっと見つめていた。無数の疑問が、頭の中に渦巻いていた。

(この馬はどこに向かっている? オレも連れて行かれるのはどうして? コイツは誰だ? 魔法? 魔物?)

「神種を正しい場所に植えなければ」という強烈な使命感以外に何も持ち合わせていなかった子どもにとって、この数時間で繰り広げられた出来事と突きつけられた情報はあまりにも多すぎた。空回りする頭は重く痛むほどだったが、疑問に思うことはやめなかった。それだけは絶対に手放してはならないと、心の中で何かが叫んでいた。


 夕陽の最後の一筋が消え、急速に辺りが暗く沈んでいく。馬は矢のような速さで駆けていく。

(アイツは……トヴァンは、なんであの時あんな顔したんだろう)

 神種だけが唯一の手がかりだと口にした時、彼は一瞬だけ自分を気遣い、憐れむような表情を浮かべた。同情の気持ちすら、あったような気がする。しかしすぐに彼の態度は最初以上に頑なになり、そして勢いのまま何かを打ち明けようとした。

(盗賊をやめることは望みじゃなかった。やめて、何かをするのが望みだったはず)

 知りたい、という気持ちが込み上げる。同時に、ひとつ確かな事実が胸に落ちた。


(コイツらはきっと、オレに答えをくれない。そしてトヴァンがあのままあそこで死んだら、いくつかの疑問の答えは二度と分からなくなる)


 背中の側に意識を集中させ、小さく確実に手を動かす。――トヴァンから受け取った石の小刀が、腕を縛っている縄をブツリと断ち切った。

 乱暴に掴み上げられて馬に乗せられた時、指の隙間に無理矢理小刀を押し込まれたことを子どもはきちんと勘づいていた。その意図も、自分がどうすればいいかも理解したつもりだ。

(仕事を終えて見返りが貰えれば、アイツはそれで良かったから……オレは頃合いを見て、逃げていいってことでしょう?)

 そっと縄を緩め、呼吸を整える。

 速度が微かに落ちた瞬間に縄を振り解き、上体を捻ってローブの人物の胸倉を掴んだ。首に下げていたケースの紐を小刀で断ち、引きちぎるように神種を奪い返す。そして足を振り上げて縄を素早く切り、その勢いを殺さず二人もろともに馬から落ちた。

 激しいいななきが響き渡り、たたらを踏んだ馬の脚が頭のすぐ横に振り下ろされる。血の気が引いて体が固まるのを振り切って、身を捩りながら転がって距離を取った。足に巻きついた縄を払い、来た方へと地面を蹴る。

 と、不意に足元が揺らぎ、無数の石礫が視界を遮った。唸りを上げる石の群れに道を塞がれ、振り返った子どもの視界に肉薄する追手が映る。

 盗賊の手がすぐ目の前に迫ったその時、頭の中で何かが弾ける音がした。風景がくらりと歪み、一つの確信が子どもの中に灯る。

(魔法、……そう、魔法だ)

 肩を掴む手を振り払い、身体をかがめて馬の横をすり抜けた。

(あれは――オレにも使える)

 低く呪文を唱えるローブの魔術師の方へ、矢のような勢いで突き進む。


 衝撃が、周囲を揺らした。

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