第9話 共闘・前編
「このまま無事戻れるかと期待したが、そう上手くは行かねえみたいだ。――後ろから、魔物がついてきてる」
その言葉と同時に、ゾッとする気配がいくつも忍び寄ってくるのをネノもはっきりと感じた。数は恐らく、かなり多い。イシナミを背負ったままのニールも、緊張した表情を浮かべている。
「……どうすればいい?」
「とりあえず、落ち着いてそのまま歩け。俺が怯ませるから、そしたら振り返らないで全力で走れ。足手まとい二人は俺がなんとかする」
予想と違っていた答えに、ネノは「は?」と声を漏らした。
「オレが魔法使えるって忘れたの? どうやって一緒に戦えばいいか聞いたんだよ」
「じゃあそれで身を守って勝手に逃げろ。そっちのが俺も楽だ」
一見平然とした様子で口にしたトヴァンの指先は、月明かりの下でも分かるほど青白い。ネノはぎゅっと唇を結んで、一言一言区切るように言った。
「やだ」
「なんでだよ」
「まだ聞きたいことあるし」
「後で答えてやるから」
「ちょっとでも二度と聞けなくなるかもしれないならやだ」
「お前な」
「やだったらやだ」
「あのな」
「やだ!」
険しい青の瞳と、意思の光を灯した緑の瞳が睨み合う。あああ、と頭を掻いて、折れたのはトヴァンの方だった。
「足だけは引っ張んなよ!」
「当然!」
トヴァンはニールを先に進ませ、剣をいつでも振るえるように緩く構えた。その横に並んだネノは、胸の神種にそっと指先を当てる。
枯れ草が擦れ合う微かな音が聞こえた瞬間、背後の気配が爆発的に膨れ上がった。
「「!」」
二人は振り返り、目の前の敵に力をぶつけた。地面を滑るように迸った水流が足を持つ魔物を素早く絡め取り、重たい刃が鋭い軌道で掴みかかった翼の魔物を両断する。水飛沫の間を縫って飛び出したトヴァンが、一際大きい獣の頭を叩き割るように切り伏せた。
「そこで援護しろ」
追おうとしたネノを制して、トヴァンは体を回転させながら勢いをつけて敵を薙ぎ払った。ざっくりと喉を切り裂かれた魔物が、声も立てずに崩れ落ちる。その左右をすり抜けた小柄な二体の獣を、ネノは枝分かれさせた水流で射抜いた。
魔物たちは先ほど相手にしたものより大きく、あるいは狡猾だった。尖った牙を剥き出した獣は馬ほども背丈があり、たてがみを持つ太い首の中央には巨大な目が二つ縦並びにぎょろりと開いている。猫のような大きさの魔物の胴からはクモのような六本の細長い脚が突き出し、闇に紛れて地面を這いずり回っていた。
「おい、俺まで押し流そうとすんな」
「遠くて操りにくいんだよ」
水に足を掬われそうになったトヴァンが声を上げて、ネノがそれに叫び返した。気付けば魔物の猛攻によって二人の距離は大きく開いており、目を凝らしながら魔物だけを退けようとするネノの視界はチカチカと瞬き始めていた。
「……ネノ?」
「ニール、下がって。あいつらこっちに引き付けてもらうから」
集中を切らさないように意識を研ぎ澄ませながら、ネノは振り返らずにニールに告げた。ザ、と後ずさる音が聞こえたのを確かめて、トヴァンに呼びかけようと息を吸う。
その息は、音にならないまま吐き出された。
トヴァンの足元に広がっていた、夥しい量の魔物の残骸。泥のようなそれらから湧き出すように、巨大な獣が身を起こした。姿は狼のようでありながら、背丈は桁違いに大きい。そして際立って異様だったのは、その獣には尾が三本、頭が三つあったことだった。
見開かれた無数の瞳は、やはり虚に濁っていて――それらが一斉に、トヴァンを睨んだ。
「トヴァン!」
ネノは思わず走り出し、全力の水流を正面から魔物にぶつけた。直撃した中央の頭が弾き上げられ、ほんの一瞬巨体がのけぞる。その隙をついて、ネノはトヴァンの腕を思い切り引っ張った。凄まじい速度で襲い掛かった右の頭の顎が閉ざされ、牙が噛み合う甲高い音と共にトヴァンの前髪が千切れて宙を舞う。さらに追い縋る獣の横っ面を張り飛ばすように、ネノは再び水流を繰り出した。
「なっ⁈」
強烈な光が目の前で溢れ、とっさに顔を庇った腕を鋭い熱波が襲った。トヴァンも同様だったようで、隣から苦痛の呻き声がこぼれる。顔をできるだけ手で覆いながらどうにか顔を上げると、黒一色だった魔物の姿が決定的に変貌していた。
体表にひび割れのような模様が走り、そこから赤々とした光が漏れ出している。否、漏れ出しているのは光だけではなかった。光と熱――炎そのものが、全身の割れ目から溢れ出していた。
「こいつ……魔霊獣か!」
「まれいじゅう?」
「魔力を持った魔物のことだ! クソ、一体どうして」
「危ない!」
大きく開かれた魔霊獣の全ての口から炎が吹き出し、地面の草木をチリチリと焼いた。三本の火柱は斜め前へ飛んで避けた二人の頭上をすり抜け、その後ろへと伸びていく。あまりの事態を前に動けずにいたニールと、その背にいるイシナミの元へと。
ネノは大きく腕を広げ、下から上へ掬い上げるように振り上げた。地面から湧き出すように現れた二本の水柱が一つに絡み合い、巨樹の幹のようになって炎を阻む。激しい蒸気が沸き起こり、煙が周囲を白く染め上げた。
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