第7話 Explosion
夕方に目を覚ました飛鳥は、夕食前に風呂に入って両親、それに神沢と一緒に食事をした。朝のこともあってTVをつけることもなく、会話をするでもなかったのだが、飛鳥は以前は当たり前だった日常がこんなにもしあわせなことかと、心の底から噛みしめていた。メニューは白飯に納豆に大根の味噌汁、あまり飛鳥の好きではない肉じゃがにサラダだったのだが、文句のひとつも言わずに食べた。もしかしたら明日にはこんな当たり前の日常が非日常になるのではないかと思うと、不意に涙が溢れそうになったが、なんとか堪えた。
封印、転生、魔王、鍵、二本の剣。
こんな非日常の単語が突然降って沸いたのだ。いつ日常がそうでなくなるか解ったものではない。だがだからといってむやみに両親に心配もかけたくない。ここまで世話になった両親に、何ひとつまだ恩返しができていないのだから、せめて不安にさせるようなことは避けたい。
食事を終えると普段はやらないのだが食器を下げて洗うのを手伝った。神沢はそんな飛鳥を父と共に見守っていた。
何気ない日常のひとコマが何事もなく過ぎることをこんなにも感謝している自分に、誰もが驚いているに違いない。洗い物を終えて部屋に戻ろうとした飛鳥に無言で寄り添いながら神沢は思う。まだ思春期を出ぬ年頃で、来年は大学受験と自分のことで手一杯の飛鳥が何故こんな重荷を背負わねばならなかったのだろう。いつかはこういう時が来るのだとしても、何故もっと待てなかったのだろうかと、考えても詮なきことと知りながら神沢は憤慨する。それを表情に表すことはまったくないままに。
「……私、このままウチにいていいのかな」
部屋に戻った飛鳥が床やベッドに座るでもなく、立ち尽くしたまま呟いた。
「飛鳥さん?」
「だって……私が狙われてるってことは、ここにあの化け物の仲間が来るかもしれないんでしょう? そうしたら迷惑かけちゃう……。今までだってずっと迷惑かけっぱなしだったのに、これ以上だなんていやだよ」
自分が置かれている現状は理解した。少し休んで頭の中を整理した。これから自分が代わりの『鍵』になるのか、逃げ切るのか、それはまだ考えられないが、いずれにせよこのまま家にいれば向こうから何らかの接触があるだろう。そのときに両親に危害を加えられないとは限らない。自分を思うように動かすために両親を人質に取るかもしれない。神沢は命に代えても守ってみせると言ってくれたけれど、それが守られる保証はない。彼がどんなに全力で守ってくれたとしても、対処しきれない場合だって、必ずある。
何より自分は実の子ではない。それを知ってからずっと両親の負担になっているのではないかと不安だった。それが今まさに現実となったのだ。飛鳥にとって耐えがたい苦痛だった。
「……飛鳥さんはどうしたいのですか」
「解らない……。でもさっきご飯食べてるときに考えてたの。私やっぱり好きだよ、お父さんもお母さんも。このまま普通に暮らしていたいけど、何かあったらって思ったら……」
昨夜のように怯え震えるのではなく、困惑していた。飛鳥にかけてやる言葉も見つからないまま、神沢はうつむく彼女を見守っている。どれだけの沈黙が流れたのだろう、耐えかねたように神沢が呟いた。
「今日はいろいろとありました。もう休まれては」
今は何をどう考えても答えがでないのならば、せめて身体を休めてはと提案した神沢をやや不満そうに見上げたが、飛鳥は黙って頷いた。
風呂に入ったときにパジャマに着替えていた飛鳥は、そのまましぶしぶとでもいうようにベッドに潜り込んだ。その様子を見ながら部屋の明かりを消そうと神沢が手を伸ばそうとした時──。
「飛鳥?」
ノックとともに母親の声がした。ベッドの上からなあに? と返事をした飛鳥に、ドアを開けながら母が続ける。
「今クラスの子から宅配便が届いたんだけど、どうするの?」
明日は終業式だ。クラスメートがわざわざ宅配便でものを届けるなど考え難い。飛鳥も心当たりがないらしく、困惑しながらも起き上がってその宅配便を受け取ろうと──。
「目を閉じて!!」
それまで母が持つ小さ目の白いダンボールを凝視していた神沢が、母親を突き飛ばすようにしてダンボールを強奪した。ダンボールを抱えて自分も床に倒れ込みながら、飛鳥をベッドに向けて突き倒す。
何が起きたのか解らない親子の視界が、白い閃光に支配された。
***
「……今、何が……」
ようやく視界が正常に戻ってきた飛鳥がベッドの上で呻いた。神沢に突き飛ばされたときに壁で打ったのか、後頭部をさすっている。まだちかちかしている視界の中で、神沢はまだ目を開けられない母を介抱していた。
「ふたりともお怪我はありませんか?」
飛鳥も母親もそれぞれ身体を打ったりして多少の痛みはあるが、怪我はない。
「私は平気だけど、お母さんは?」
「大丈夫だけど……目が……」
「おい! 今何があった!?」
二階からの音を聞いて駆けつけた父親が、部屋の中で無残な姿になっているダンボールを見つけて詰問する。
「閃光弾の一種だと思います。強い光で相手の視力を一時的に奪う効果があります。一瞬しか見てませんが、送り状に時間指定シールが貼られていましたから、時限装置が仕掛けてあったんでしょう。光だけですから、おふたりとも怪我はないはずです」
何とか見えるようになってきた母親を立ち上がらせながら神沢が答えた。よろめいた母を父がそっと抱きしめる。
「……しばらくの間、誰が来ても開けないで下さい。差出人が誰か覚えていますか?」
「
母に名を確認して飛鳥に目をやると、まるで心当たりがないと首を横に振った。
「相田さんなんて会話したこともほとんどないし……」
多分名簿の一番最初の名前を書いたのだろう。クラスメートからならば受け取るだろうと踏んで。
「……もう一度戸締りを確認して下さい。不審物があったらすぐに私を呼んで下さい。できるだけ単独行動は控えるように」
有無を言わさぬ神沢の言葉に頷きながら、父親が訴える。
「閃光弾など、そんな簡単に手に入るものなのか? もしかしてストーカーよりももっと悪質な……」
「最近では結構簡単に手に入るものですよ。他に音だけの爆弾とか、護身用に通販で売ってるんです。調べれば爆弾の作り方だってすぐに解る時代ですからね」
飛鳥にもそういったものを持たせるべきだろうかと一瞬考えた父親だったが、その場は何も言わず母親を支えながら階段を下りた。それを確認してから部屋に戻り、ドアを閉める。
「ウソでしょ?」
唐突に飛鳥が言った。
「ウソじゃありませんよ。本来はテロリスト用に開発されたようですが、日本では護身用に……」
「そうじゃなくて」
言いたくないなら別に、という表情で、けれど神沢の目をまっすぐに見つめる飛鳥に、彼は小さく両手を上げた。
「……降参です。よく解りましたね?」
「あんたが魔法を使うのが見えたから。そのせいで直に光を見ちゃったんだけど」
神沢がダンボールを強奪して床に倒れ込みながら、ダンボールを球形に包む魔法を唱えたのを見た。その球形の中でダンボールが閃光とともに破裂したのだ。どれほどの衝撃があったかは解らないが、ただの光ではなかったはずだ。
「閃光弾ではありません。普通の時限爆弾です。ただ小さいのでそれほどの威力はありませんが、嫌がらせにしては悪質すぎます」
「もし私が受け取ったままでいたら、私はどうなってた?」
「運が悪ければ死んでいたかもしれません」
「……そう」
無表情に呟いた。
「もう私、ここにはいられないね」
泣いてしまいたかった。泣けたならまだ幾分かは楽になれたかもしれないのに、どうしても涙が出てこない。自分が養女であることを知ったときから、いつかは訪れるであろう日が今来ただけのことだ。覚悟はしていた。していた、のに。
「私、もう、ここにいちゃだめなんだ」
言い聞かせるように。
「飛鳥さん」
「……どうして私だけ狙ってくれないの。関係ない人を巻き込むの……?」
自分だけならなんとかなっても、両親まで傷つけられたら。
ベッドの上でうつむいて言葉を失った飛鳥の傍らに腰掛けて、神沢が静かに言った。
「逃げますか」
思いも寄らぬ言葉に、顔を上げて神沢を見つめた。
「近く移転するつもりで契約した空き事務所があります。まだ住所移転の手続きもしていませんし、ここから離れていますから見つかることはないでしょう。明日の終業式は欠席していただいて、明日の朝にでもすぐにここを発てば」
それは妙案に思えた。神沢がいれば両親も安心するだろうし、離れているなら犯人に探し当てられる可能性は低くなる。けれど、両親にも、クラスメートにも会えなくなる。
戻ってこられるかどうかは、解らない。もしかしたら、これが永遠の別れになるかもしれないのだ。
「……待って、私」
「少し待っていて下さい。何か飲み物でも持ってきましょう」
急なことに飛鳥の考えはついてこられまい。だが同時に急を要することなのだ。今は少し落ち着かせた方がいいだろう。部屋に結界を張ると神沢は階下に下りた。
「ご両親とも休まれているようだったので、勝手に借りてしまいましたが」
戻ってきた神沢から受け取ったマグカップには、熱いココアが湯気を立てていた。ふうふうと息を吹きかけてから一口飲んで、飛鳥が感嘆の声を上げた。
「おいしい」
「ありがとうございます」
「甘いのにくどくない。何で?」
「無糖タイプのココアだったので、メイプルシロップを入れたんですよ。はちみつや加糖タイプとは違った甘さでしょう?」
頷いて少しずつココアを飲んでいる内に、飛鳥もだんだん落ち着いてきた。最後まで飲みきってから、しっかりとした口調で訴えた。
「私、あんたと行くわ。でも明日の終業式は行かせて」
「急を要することだと……」
「解ってる。解ってるけど、じゃあ帰ってこられる保証はあるの?」
それに対する答えを持つ者は、誰もいない。
「……お願い。終業式が終わったら、そのまま行くわ」
翌朝ここを発つことには変わりはない。
たとえ誰に別れを告げることがなくても、もう一度クラスメートたちの顔を見ておきたい。今のうちに、今までのいろいろなことに対するお礼や謝罪も伝えたい人がいる。
どれだけか考え込んでいたようだったが、最終的には神沢が折れた。明日は少し早く起きて準備をするとして、今日はもう休むことにする。
「眠れますか?」
「おいしいココア飲んだからね」
素っ気無く答えて頭から毛布を被る。まだ部屋に散らかったままのダンボールを片付けようと背を向けた神沢に、ぼそりと小さな声が届いた。
「……ごめんね」
わがままを言って。
「おやすみなさい」
神沢の優しい声に毛布がごそごそと動いたが、やがて静かになり規則正しい寝息が聞こえてきた。それを見届けてから再び片付けに戻る。
そして──。
「あなたは……私を許して下さいますか? 裏切り者の私を……」
呟く声は、誰の耳に届くことも、ない。
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