第18話 Heart of the Maelstrom

 結界を張ってから、飛鳥は返り血で汚れたままの制服を着替えた。お気に入りのハイネックのセーターに、少し年季の入ったデニムだ。どうせ神沢の事務所にこもりきりで外に出ることなどあるまいと思っていたから、女の子らしい服は持ってきていない。元々そういった服はあまり持っていないのだが。靴は一応、買ったばかりのものを持ってきた。一方の神沢は着替える様子もなくスーツ姿のままだ。

「着替えないの?」

「用意してませんよ。1泊するとは思いませんでしたし、こういうことには慣れてますから」

 すでに3月と言っても日が傾けば肌寒くなってくる。小さく震えた飛鳥に後ろのシートに畳んであった毛布を渡す。

「明日は夜が明ける前に出発します。早めに休んでください」

「まだ夜にもなってないのに寝れないよ」

 昨夜は寝不足気味だったから、寝ようと思えば眠れるのかもしれなかったが。神沢はそんな飛鳥にお構いなしでシートを倒し、飛鳥に返してもらったコートを毛布代わりにして目を閉じる。不規則な仕事だから、眠れるときに寝てしまうということに慣れているのだろう。

「ねえ」

 呼びかけても返事はないが、構わずに飛鳥は続ける。

「あんた、なんで探偵なんてやってるの? 大変なんじゃない?」

 魔法も使える。知識もある。こんな体力仕事で割に合わなさそうな仕事の他に、何かあってもよさそうなものなのだが。

「……詮索されないでしょう」

 目を閉じたまま、神沢が答える。

「過去の経歴を聞かれずにすみますし、依頼人とはその場限りで長い付き合いがある訳ではありませんし、事務所を移転しても特に不審がられませんし、根無し草にはちょうど良かったんですよ」

 確かに企業に入る訳にもいかないだろうし、同じところに長くいられない神沢には無理だ。ただ長く生きるという苦痛の他に、どれだけの苦労をしてきたのだろう。

「これからもずっとそうなの?」

「先のことは考えないようにしてるんです。うんざりしますから」

 永遠に続く未来など、考えただけでもゾッとする。だが神沢の場合は、過去を振り返っても苦痛の積み重ねしかない。過去も未来も神沢にとっては呪われたものでしかなく、ただあるのは現在だけだ。その現在さえいつかは苦痛の過去になっていく。

「……大変なんだね」

 かける言葉をみつけられず、飛鳥はペットボトルのフタを開けて口元に持って行く。

「右利きなんですね」

 神沢が飛鳥を見上げていた。何を言われているのかと、近づけたペットボトルを離して鳶色の瞳を見つめ返す。

「日本人はたいてい右利きじゃない?」

「あのとき……左手に剣を持っていましたから」

 『鍵』と繋がったあのとき。剣をどちらに持っていたのかなど、飛鳥は覚えてはいない。ただ夢中で剣を振り回していた。

「姉は左利きなんです」

 どこか視線を泳がせながら、神沢が続ける。

「あの言葉……あの光景……。姉が甦ったのかと思いました。あのまま殺されてもいいとさえ思いましたよ」

 あのとき、飛鳥は『鍵』に意識を奪われていた。神沢が見たのは姉の魂そのものだったのかもしれない。もしあのまま飛鳥の意識が戻らなかったら、一体どうなっていただろう。この手にかけていたのだろうか、渡辺を──神沢を。

「死なないで」

 おかしなことを言ったものだと、飛鳥は思った。同じ事を思ったのだろう、神沢も何を言えばいいのかと困惑した表情を浮かべている。

「そうじゃなくて……死なないで」

 神沢は、死なない。死ぬことを許されていない。老いることなくただ生き続けなければならない。それは解っている。それが苦痛であることも知っている。けれど自ら死を望んで欲しくないのだ。殺されてもいいなどと、死んでも構わないなどと思って欲しくない。

 気持ちは伝わったのか、神沢が身体を起こして飛鳥の空いている手を取って口付ける。

「私はあなたの騎士です。あなたの許可なく死んだりしません」

 飛鳥が望まない限り死ぬことはないと。

「ちゃんと守ってね」

 微笑まれ。

「もちろんです」

 微笑み返した。

「休みましょう」

「うん、起こしてね」

 持ったままのペットボトルから少しだけお茶を口にして、フタをしてホルダーに戻すと毛布に包まって横になった。

「おやすみなさい」

「おやすみなさい……」


   ***


 どこかで誰かの泣き声がする。

 あれは誰なのだろう。知っている誰かのような気もするし、知らない誰かなのかもしれない。ただ泣いている。泣きじゃくっている。誰かに救いの手を求めることもせず、ひたすらに。

 あれは誰なのだろう。あるいは、遠い日の自分なのだろうか。

「飛鳥さん?」

 聞きなれた声に目を覚ますと、見慣れぬ天井と、視界の端で揺れる真紅の炎が見えた。

「あれ……夢?」

 幾度か瞬いて、飛鳥は現状を把握した。神沢の車の中で寝て、眠りながら泣いていたらしい。揺れる炎に見えたものは、飛鳥を覗き込む神沢の髪だ。

「悲しい夢でも?」

「そういう訳じゃないんだけど……よく解んない。なんで泣いてるんだろう」

 差し出されたハンカチで涙を拭いながら首を傾げた。

「もう時間?」

「4時半ですね。少し早いですが、行きましょうか」

「あ! 待って、顔洗ってくる」

「構いませんが、外は寒いですよ」

「さささ寒ッ!!」

 ドアを開けて一歩外に出た飛鳥が、顔を引きつらせて車の中に転がりこむ。

「……言ったでしょう。水も冷たいですよ。外に出るならちゃんと上に何か着て下さい」

 寒かろうが水が冷たかろうが、顔は洗いたいし歯も磨きたい。それが不屈の乙女心だ。昨日トランクから出しておいた白いダウンジャケットを着ると、覚悟を決めて車を降りる。

「じゃあ、ちょっと待ってて」

 言うなり走り出した飛鳥の背中を見送って、神沢も車を降りて軽く伸びをする。見上げた空はまだ暗く、星がきれいに瞬いている。置かれている現状が現状でなければ、いいドライブ日和になるだろうに。

 死なないで。

 昨日飛鳥に言われた言葉が甦る。

(飛鳥さんこそ──)

 飛鳥を守ると言ったものの、結局神沢にできることは封印の地へと彼女を連れて行くことだけだ。その先にある魔王との戦いに、神沢はついていけない。戦いの援助をすることさえできないのだ。

(確かに綺麗ごとだな。私も飛鳥さんにすべてを押し付けている)

 魔王を倒してくれと言った訳でも、封印を改めてくれと願った訳でも、ない。本当は逃がすつもりだったのに、飛鳥を奪おうとするどの勢力にも渡さないつもりでいただけなのに、何故こうなる。

 魔王を倒せる保証はない。今まで誰ひとりとして為し得なかったことを、どうして飛鳥ができるだろう。死ななかったとしても『鍵』に取り込まれて、もう戻ってはこないかもしれない。神沢の知る最強の人とは、姉だった。その姉ですら魔王を完全には倒せなかった。飛鳥の強さは姉のそれとは違うと解ってはいても──。

「お待たせ! 何? どうかした?」

「あ、いえ」

「うわー星キレイだね。北斗七星ってちゃんと見たの初めてだ」

 神沢に倣って飛鳥も空を見上げた。

「今日はいい天気になるね」

 これから待ち受けることなど忘れてしまったかのように明るく言って、神沢に向き直る。

「じゃあ、行こっか。運転お願いします」

 どこまでも飛鳥は普通だった。そう演じてみせているのかもしれないが、気負った感じはどこにもない。

「かしこまりました、姫」

 抱える想いは飲み込んで、助手席側のドアを開けて頭を垂れる。

「ありがと」

 笑いながら助手席に掛け、シートベルトを締めた。神沢も運転席に座る。

「車でまだしばらくかかりますから、それまで眠っていてもいいですよ」

「え? でもまた追っ手が来たり、魔物が襲ってきたらどうするの」

「どちらも来ませんよ」

「断言したね」

「『封印させようとする者』は渡辺氏が退いた以上は追ってこないでしょうし、魔物側はむしろあなたに来て欲しいでしょうから。こちらから向かうと言っているのに、わざわざ出向いては来ませんよ」

「来て欲しいの? 私が行ったら封印されて困るんじゃない?」

「飛鳥さんを殺して封印が自然消滅するのを待つか、来たなら来たで取り込んでしまえばいい訳ですから、この期に及んで手出ししてきませんよ。あなたに封印の意思があればともかく、ハッキリと倒すと宣言しましたからね。魔王は返り討ちにするつもりでしょう」

「なんで魔王が私が倒すって言ったのを知ってるって断言できるの?」

「……『魔王の一部』だと言ったでしょう」

 渡辺に同化していたのなら、彼女が見聞きしたものがそのまま魔王に伝わっているはずだ。

「そっか。じゃあもうちょっと寝てても大丈夫なんだ」

「今度は普通に走りますから安心して下さい」

「あんたはちゃんと寝たの? 大丈夫?」

「短い時間で熟睡する方法を心得てますから」

 シートを戻し、神沢もシートベルトを締める。

「飛鳥さんはちゃんと眠れましたか? 体調は……」

「うん、夢見たけど大丈夫。ここんとこで一番良く寝れたくらい」

 言いながらあくびをする。

「んー、やっぱりお言葉に甘えて寝させてもらうね」

「はい、おやすみなさい」

 目を閉じてすぐに規則正しくなった飛鳥の寝息を聞きながら、神沢はゆっくりとアクセルを踏んだ。


 いいのだろうか、本当に。

 運転しながら神沢は思う。

 自分らしくいてくれと、そう飛鳥に言ったのは紛れもなく神沢だ。

 そして飛鳥自身が、魔王を倒すと決断した。

 主君が選んだ道を行くために、全力を尽くすのが騎士だ。彼女をかの地へと連れて行くことは、それに反することではない。

 ただ、気懸かりなのだ。

 飛鳥はもう戻ってはこないのではないかと。

 本人も、そのつもりなのではないだろうかと。

 私は還るべき場所へ還るの。

 どんな思いで彼女はそう言ったのだろう。

 鍵の半身であり、力に覚醒してしまった自分の居場所はもう、何処にもないのだと感じたのかもしれない。

 かの地は、神沢にとって禁断の場所だ。入ることは許されない。そこへ飛鳥が行くということは、飛鳥が神沢の手の届かないところへ行ってしまうということだ。

 自分を受け止めてくれた少女を。

 求める言葉をくれた人を。

 決して許せなかった自分を許し、認めてくれたその人を。

(私はどうすれば……)

 闇に覆われた空も東から明るくなってきたというのに、神沢の心は次第に闇を落としていった。


 車が止まった感触で、飛鳥は目を覚ました。ぼんやりと窓の外に目をやると、東の方が白くなりつつあった。

「んー……着いた?」

「見えますか? あれが富士山ですよ」

「富士山くらい解る……うわ、でっか!」

「間近で見ることはないでしょう」

 朝陽を受けて夜の名残に浮かび上がる富士山は、新幹線の中から見るそれとは雰囲気を異にする。初めて見る富士山の姿に、飛鳥が口を開けたままで圧倒される。

「さすが日本一の山だよね……」

 車を降りて周囲を見渡すと、近辺には何もない開けた場所だった。このあたりに封印への入り口があるのだろうか。それにしては一応富士山の全景を見ることができるくらいに離れているし、どうしたものだろうかと神沢を見つめると、富士山を見上げていた赤毛の騎士は飛鳥にそっと寄り添った。

「私が案内できるのはここまでです」

「え?」

「もう封印の圏内です。『鍵』であるあなたは、呪文を唱えればそのまま魔王のいるところへ転移できます」

「呪文って? 開けゴマみたいな?」

「そうですね。私はその呪文を口にすることも禁じられています。ですが、あなたはもうそれを知っているはずです」

 言われて、何となく心当たりがあった。神沢が禁じられている言葉というのなら、きっとそれなのだろう。

「魔王ってさ、富士山の地下深くにいるんだよね?」

「正確には魔王を封じた結界は別の空間にあります。その入り口がこの地下で繋がっているんです。人間が認識できる世界で一番魔王に近い場所がここということになります」

「あんたが封印してから、今回までに封印が弱まることってなかったの?」

「魔王が活性化して、封印から瘴気が漏れかけたことはありますよ」

「富士山って休火山だよね」

「休火山ですね」

「もしかして江戸時代とかの噴火ってさー……」

「全部が全部とは言い切れませんが、魔王が影響したこともあったかもしれません」

「……魔王が復活したら、もしかして富士山って……」

「危惧されている富士山大噴火が現実のものになるでしょうね」

 さらりと言った神沢に、飛鳥が顔をひきつらせる。地元だけに東海地震だの富士山噴火だののシミュレーション番組は結構チェックしている。記憶の限りのシミュレーション結果を思い出して、飛鳥は身を震わせた。火砕流、火山灰、溶岩、それに海にマグマが流れ込んだときに起きる水蒸気爆発。それらが現実となったら?

「そりゃ必死に封印させようとするよねえ」

 人ひとりくらい犠牲にしてでもと思うかもしれない。妙に納得して飛鳥が頷く。だからと言って他に犠牲を強いることを是とは思わないし、ここまで来て退くつもりもない。

「あ、そのときってどうしてたの? 魔王が活性化したときって」

「富士山全体を覆うようにして、封印を重ねたんです。それは私ではなく時代の霊力者とかがやったんですけど」

「じゃあ、その結界の場所まで行かなくても魔王を押さえ込むことはできた訳ね?」

 どんな時代にも霊力者や魔術師はいた。そういった者たちが力を合わせて封印が解けないように努めてきたのだろう。

「もし、だけど」

 視線を富士山に戻して、飛鳥が呟く。

「もし、私がしくじったら……後は、お願い」

 封印をするための『鍵』はここにある。そして封印を施した本人がここにいるのだ。

「言っとくけど! 私は負けるつもりなんかないからね? 勝つよ? 勝つ……つもりだけど……もし、その、万が一ってことが……」

 徐々に朝陽に照らされていく富士山を睨みつけながら、飛鳥が小さく震えていた。負けるつもりがないと言っても、背負った責任が重すぎる。その小さな背中に背負うには、富士山噴火はあまりにも大きかった。

「戦いの最中、外界に何らかの影響があるかもしれません。念のため被害を最小限に抑えられるように、あらかじめ結界を張っておきます」

 少しだけ肩の荷が下りたのか、飛鳥が神沢を見上げる。

「ん? 何?」

 どこに持っていたのか、神沢は緑色のマフラーを取り出すと、見上げたままの飛鳥の首に巻いてやった。ハイネックのセーターを着ていても、首元は寒い。気遣ってくれたのかと微笑んだ。

「ご武運を」

「ありがとう、じゃあ行ってきます」

 富士山に向かって歩き出した飛鳥の背中を見守りながら、神沢はぎくりとした。

(……?)

 それまで普通だったはずの心拍数が、一気に跳ね上がった。それなのに心臓が凍りつきそうなほどに冷たく痛く、呼吸をすることさえひどく困難だった。

(こんなときに──)

 ぐらつきそうな身体を必死に持ちこたえて、暗くなる視界に飛鳥を捉える。朝陽に照らされる富士山も大地も見えないくせに、飛鳥だけが白く浮かび上がるように、神沢の前に存在している。

(まさか)

 怖れて、いるのか。

 魔王との戦いを。

 その影響が外界に現れることを、それを封じねばならないことを。

 封印が解けてしまうことを。

 またこの手で封印をしなければならないかもしれないこと、を。

 ──飛鳥を、失うことを。

 封印はいずれ解けるものだ。魔王は幾度も復活した。今回の封印が限りなく完全に近いものであっても、始まりがあるものには終わりがある。放っておいても富士山は噴火するかもしれないし、しないかもしれない。その後の被害は不可抗力で、人の力でどうこうできるものではない。

 飛鳥は自分で決意した。それを実行しようとしているだけだ。姉のときのように、本人の意思を無視した封印ではなく、もしそうせねばならなくなったとしても、飛鳥は神沢を恨みはしないだろう。

 けれど神沢はまた、ひとりになる。

 自分の大切な人に近づくことさえ許されず、ただ見守るしかなかった苦痛の永劫を、これからまた続けなくてはならない。自分を許してくれた人を、手放さなければならない。また近づくこともできずに、ただ見守ることしかできない毎日。

 また、繰り返すのか。

 行かせていいのか。

 失ってしまうかもしれない。

 失いたくなければ、どうすればいい?

「飛鳥さん!」

 呼び止められて、飛鳥が振り返る。巻いてもらったマフラーをひらひらと振って、険しい顔をする神沢に微笑んだ。

「後で返すね」

 外界のすべてを神沢に託した飛鳥は、彼に絶大な信頼を寄せていた。自分は自分のするべきことをすればいいと、清々しいまでの笑顔だった。

 呼び止めてどうするのだろう、と神沢は自嘲した。彼女はとっくに心を決めているというのに。ならば自分は飛鳥の信頼に応えるまでだ。

「はい」

 小さな約束を支えに、神沢もまた微笑んだ。

 飛鳥は頷くと、富士山に向き直った。そこに扉があることをイメージして、右手をかざす。ゆっくりと深呼吸して、力ある名を言葉に換えた。

「『オウジュ・シルヴィア』……!」

 神沢の視界から、少女が消えた。


 オウジュ・シルヴィア──それは飛鳥の前世であり、半身の名前。

 封印を施した瞬間、その弟シュレイン・シェイドはその名を口にすることを自ら禁じた。

 自らの手で封じた存在を、自分以外の者の記憶に残さないように。

 最愛の姉を想う弟の、自虐的な独占欲だった。

 代々風の精霊の加護を受け、その名を姓に受けた一族の末裔。

 太陽神と地母神の魂と力を秘めた、絶対的な存在。

 地母神がかつて自ら死を求めて創り出したと言われる覇皇剣。

 太陽神が闇を祓うために創り出したと言われる破邪の剣。

 オウジュ・シルヴィアが望もうと望むまいと、それらは彼女に与えられた。

 今、かの地で──彼女は何を想うのだろう。


   ***


「ここは……どこ?」

 飛鳥は天も地もない、ただどこまでも続く闇の中にあった。自分が立っているのか寝ているのかさえ解らない。たった今ここへ来たはずなのだが、どのくらいの時間が経過したのかも解らない。暑さも寒さも、重力も時間にさえ見放されたその空間に、飛鳥は漂っていた。

 周囲を見回してみても、あるのは果てのない闇、闇、闇。意識を保っていなければ、自分が存在していることさえ忘れてしまいそうなほどの、永遠の闇。

(魔王は……? 『鍵』はどこに……)

 どこかで、音がしたような気がした。

 遠くで風が吹き荒れるような。

(……風?)

 飛鳥を包む闇が、わずかに動いたかと思った瞬間だった。

 ゴウ、と風が吹いた。

 台風の風よりもはるかに強い、あらゆるものを吹き飛ばすであろうほどの突風が、飛鳥の周囲に吹き荒れた。正面から、横から、背後から、飛鳥を叩きのめすように容赦なく吹きつけてくる。

(何? 何なの? どうすれば──!?)

 吹き荒れる風の音なのか、自分が上げている悲鳴なのか、それとも魔王の咆哮なのか──。風はそのまま轟音の渦となり、飛鳥は為す術もなく飲み込まれた。


 たすけ……て……。


 少女の願いは声になることもなく、闇と轟音の濁流に引き裂かれ、沈んでいった。後に残るのは、永遠の闇──。

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