第17話 Confrontation
神沢の車はトイレと自販機しかない小さなサービスエリアに止まった。かなりの速度で走ったせいか、まだ日は高いうちに着いたのだが、無人のそこは何となく居心地が悪かった。
「なんかちっちゃいね……」
「我慢して下さい。大きなところだといろいろ不都合がありますので」
神沢が何を言いたいのかは解るので、飛鳥は口を尖らせながらも黙り込む。
「予定よりだいぶ早く着いてしまいましたけど、ここで夜が明けるのを待ちましょう。目的地まであとわずかです」
「でもあいつらがまた追ってきたらどうするの?」
「それは大丈夫ですよ。結界を張って入れなくしてしまいますから」
「え? だってあんた、力を使い果たしたんじゃなかったの?」
「飛鳥さんの部屋に結界を張ったことがあるでしょう。あれはあらかじめ用意しておいた道具を使うので、魔力を必要としないんです。だから大丈夫ですよ」
そう言って飛鳥が借りているコートのポケットから、折りたたんだ紙を取り出した。それを一度広げて、器用に四角錐を折り上げる。
「結界を張って、一時的にこのサービスエリアを他の人に認識できないようにします。小さいサービスエリアですからね。なくなったとしても誰も気付きませんよ」
「そんなのアリ? 本当にバレないの?」
「まあ、バレたとしても高速で止まる訳にも行きませんし、通過せざるを得ないでしょうね」
何か言いたそうな飛鳥をそのままに、神沢がシートベルトを外してドアに手をかける。
「……もうしばらく待ちましょうか」
折悪しく、入ってくるトラックがあった。様子を窺うが、運転手がこちらに目をくれることもなくトイレに入っていくのを見て、ようやく警戒を解く。
「お腹がすきませんか。今朝飛鳥さんのお母さんからおにぎりをいただいてるんです」
「食べるけど、いつの間におにぎりなんて受け取ってたの? 私知らない」
「飛鳥さんが泣き散らかして顔を洗っているときですよ」
時間にすれば今朝、数時間前の話なのに、思い出せばなんと遠い昔に感じられるのだろう。別れてきた両親と同時に泣きじゃくったみっともない自分を思い出して、ふくれっ面でおにぎりを受け取る。
「お茶はストックがあるのでこちらに……それとも何か買ってきましょうか」
「ううん、これでいい」
車に乗っている時間が多いのだろう、後ろのシートにはいろいろと荷物が置いてある。お茶のペットボトルがケースで置いてあるのにはどうかと思うが、毛布だの非常食らしきものなど、突然の車中1泊くらいは耐えうる装備だった。
「私、どうしてもおにぎりって丸くなっちゃうんだよね」
神沢は黙って聞いている。
「お母さんがどうすれば丸くできるのって言うんだよね。私の手じゃちっちゃいから丸くなっちゃうのかな」
一口食べて、咀嚼して飲み込む。
「お母さん、元気かな」
まだ家を出てから半日も経っていない。元気に決まっているのだが。
「お母さんに会いたい……」
最初はしばらく身を隠すだけのつもりだった。けれど飛鳥はもう決心してしまったのだ、封印の地へ赴くと。死にに行くつもりはない。もちろん生きて帰るつもりだ。魔王に負けるとは思ってなどいないけれど、けれど──。
もしも──。
「結界を張ります。飛鳥さんは車の中にいて下さい」
トラックが動き始めた。優しい言葉を期待した訳ではないが、何も反応がないのも少し寂しい。黙って母のおにぎりを食べることにする。
(そうだよね。行くって決めたのは私だもん。今日の今日で弱音吐いてちゃダメだよね)
少し大きな、きれいな正三角形を描くおにぎりを1個平らげると、神沢から受け取ったペットボトルを開けて一口飲んだ。フタをしながら、近づいてくるエンジン音に顔をそちらに向ける。詳しくないので良くはわからないが、あまり見かけない黒くて大きなバイクだ。トラックにバイクに、結構このサービスエリアって利用者が多いんじゃないかと考えながら飛鳥が見ていると、結界を張るために入り口に向かった神沢の目の前でバイクは止まり、降りるや否や神沢を殴り飛ばした。
「ちょっ……」
飛び出そうとした飛鳥だったが、神沢が手でそれを制するのを見て思いとどまる。少しだけ窓を開けて、外の会話に耳を澄ます。
「貴様、よくもやってくれたな」
「仰る意味が解りかねますが」
殴られた頬を手で押さえることもなくただ立っている神沢に、バイクの男はそれまで被っていたフルヘルメットを脱いで叩き付けた。
「ぬけぬけと、この裏切り者め!」
黒いツナギを着たその男は、並んでいる神沢が長身のため見劣りはするものの、中肉中背、髪は黒髪でやや白髪が多い気はするが、多分四十代。飛鳥の父とそう変わらない年代だろう。こんな大型バイクで黒尽くめで現れたのでなければ、どこにでもいる普通のおじさんだ。ただ、その異様にぎらぎらした目を除けば。
「心外ですね。私がいつ裏切ったと?」
「鳴瀬飛鳥を速やかに連れて来いと言ったはずだ。それを貴様、何処へ連れて行こうとしている」
「封印の地へ」
「何を言っているのか解っているのか!?」
「飛鳥さんがそう望んでいます。あなただって最終的にはそこへ連れて行くつもりなのでしょう?」
「まずは私のところに連れて来いと言ったんだ! 今あの娘がかの地へ行っても、魔王に取り込まれて封印を破られるのがオチなんだぞ」
神沢は『封印させようとする者』の側だと言っていた。ただその中でも異端で、いずれは離別するつもりなのだ。会話からするとバイクの男はそちら側の代表かそれに近い者なのだろう。
「……順番が前後しましたが、私はあなた方とはやっていけない。すべてをあんな少女に押し付けて、大の大人が一体今まで何をしましたか? 鍵が転生したと解った時、それが誰なのか解った時、あれから一体何をしましたか? ただ彼女の成長を待っていただけではありませんか。ただ彼女に封印をさせることだけを考えて、魔王と戦う術を探そうともしなかった。
封印は今回に限らず、過去に幾度も解けてきた。それを知っていながらまた封印のことだけを考える。しかも、他の手段を考えるでもなく、ただ同じ封印をもう一度新しくするというだけの方法で。いずれまた同じことが繰り返されることを知っていながら、他の方法を探さない。それでは何の解決にもならないと何故気付かないのです?
今、私は飛鳥さんの騎士です。彼女が望むのならば、それに従うまで──あなた方とは縁を切らせていただきます」
それはそのまま、永劫にも似た時を生きてきた神沢にも言えることだった。何も解らず、ただそれが正しいことなのだと信じて姉を封じた。罪を償うために生きることを選んだ。創世の二神の転生を止めてしまえば、魔王を封じる者がいなくなるからと。だから姉を魔王と一緒に封じ込めた。けれど神沢は一度も考えたことがなかったのだ。
姉を救い出し、魔王を完全に消し去る方法など。
それは急を要することではなかった。封印が有効である内に見つければそれでよかったのだ。しかし神沢は一度魔王を間近く見ている。自分では歯が立たない相手であることも、痛いほど知っていた。魔王には勝てないのだと、倒す方法はないものと決め付けて何もせずに生きてきた。姉の代わりに飛鳥を守ろうとしても、結局は何の解決にもなっていない。
魔王を倒す。
そう決断した少女の、一体何倍の時間を生きてきたというのか。
神沢が訴えた言葉は、そのまま自分への苛立ちだ。そして同時に、それまでの自分を決別する決意でもあった。
「綺麗ごとを──封印に詳しかったお前に手をかけてやったのは誰だと思っている」
「その私ともども飛鳥さんを轢き殺そうとしたのはどなたですか」
「殺すつもりなどなかった。あれくらいでなければ止まらんだろうし、お前が魔法で防御するだろうと思ったしな」
実際にはあのとき神沢は魔力を使い果たしていて、とっさに飛鳥が風の精霊を呼ばなければ大惨事になっていたのだが、とりあえず黙っておく。
「では、吹き飛ばされた車に乗っていた方の安否は?」
「世界と引き換えにはできん」
「そういうところが嫌なんですよ」
少女ひとりにすべてを背負わせても、目的の遂行のために誰かが犠牲になったとしても、世界のためだから仕方ない。世界と引き換えにはできない。その犠牲は当たり前だと、お前は犠牲になっても仕方ないと言い切るその身勝手さが神沢の癇に障る。
「世界よりも大事なことだってあるでしょう」
「世界があってこそ初めて他のことが成り立つのだ。世界を犠牲にしてでも守るべきものなどない」
「あなたの娘は、世界よりも大事だと言ったのに──」
「愚かなことだ」
ハッキリと切り捨てた。切り捨てられた者がどんな思いをするかなど、露ほどにも思わないのだろう。拳を握り締めた神沢に、男は一歩下がって両手の指を複雑に組んだ。
「問答はもう良かろう、鳴瀬飛鳥を引き渡してもらう」
男のグローブから光が漏れた。
(しまった、確か両手に陣の刺青が──!)
神沢は『詠唱』という言葉の力によって魔法を使う。しかし目の前の男は、あらかじめ両手の甲に魔法を使うための陣の刺青をしており、指を組んで印を結ぶことによってそれを発動させる。その力は、『召喚』。
ためらうことなく男に飛び掛り印を解こうとしたのだが、神沢が男の腕に触れる前に魔法が完成した。
いくつもの疾風の刃が神沢を切り裂いて周囲を茜色に染め、己の血の海にその長身を沈めるはず──であった。しかし完成したはずの魔法は発動されず、大気はそよとも動かない。男も神沢もしばし呆然としていたが、鋭い声に反応したのは神沢だけだった。
「離れて!」
いつの間にか車から降りた飛鳥が、二人を指差していた。それに背を向けていた神沢だったが、飛鳥の声に地を蹴って後方に飛んだ。
「召喚魔法っていうのはね、こうやって使うのよ!」
印を結んだまま、まだ何が起きているのか解らず立ち尽くす男を、風の拳が撃った。よろめいたところを、大気の檻が男を囲う。
「飛鳥さん、いつの間にこんなことができるようになったんですか」
神沢のすぐ隣に来た飛鳥が、こっそりと耳打ちする。
「ううん、シルヴィアにあいつを黙らせてってお願いしただけ」
二人の会話を車の中で聞きながら、風の精霊を呼んだのだ。もしあの男が攻撃する素振りを見せたら、止めてくれと。飛鳥の守護精霊である『シルヴィア』は、風の精霊の最上位に位置している。男が召喚しようとしたのもまた風の精霊で、シルヴィアよりも下位にあたる。もし同じ場に同じ属性の精霊がいた場合、下位精霊は召喚主よりも上位精霊に従う。そのため男の『召喚』は完成しながら不発に終わったのだ。
そんなことは男はもちろん飛鳥自身も知らないのだが、この現実だけで充分だ。理由を知っている神沢だけが苦笑する。
「ねえ、この人って渡辺さんのお父さんだよね?」
「そうです」
渡辺は父の書斎で見つけた本を見て魔族と契約したと言っていた。多分この親子は元々そういう素質があるのだろう。
「あんた父親としてサイッテーね」
撃たれた衝撃が残る男はまだ立っているのがやっとで、娘と同い年の少女に反論することもできない。
「それでも渡辺さんにとっては世界でたったひとりのお父さんなのに、あんた何やってんの!? 血の繋がった、実の親子でしょう!? 子供が親を必要するのは当たり前じゃない!」
飛鳥には血の繋がった両親はもういない。けれど、心の繋がった両親がいる。
「世界があって初めて他のことが成り立つって言うけどさ、子供にとっては親が最初の世界なんだよ。なのに父親のあんたが封印だのなんだのって言って渡辺さんをほったらかしにしたら、渡辺さんの世界は成り立たないんだよ? 世界のために犠牲にされた渡辺さんが何をしたか解ってるの? 何でそうしたか解ってるの? 渡辺さんが世界より大事だって言ったのはね、家族っていう一番小さいけど、一番基本の世界なんだよ!」
彼女にはそれがなかった。最初に知る世界。生まれたばかりの赤ん坊にとってはその小さな世界がすべてだ。そして成長すると共に、少しずつ世界は広がっていく。やがて本当の意味での『世界』を知るために。
渡辺には、最初に知るべき世界がなかった。彼女にとって、あるべき世界は小さな『家族』という世界だけだった。ただひたすらにそれを欲した。手に入れられないのなら、この『世界』そのものの存在意義がなかった。その『世界』に含まれる自分自身さえも。
彼女はためらうことなく禁忌の契約を交わした。鳴瀬飛鳥の命と引き換えに、悪魔に魂を渡そうと。封印の鍵だろうが何だろうが知ったことではない。滅ぶなら滅んでしまえ。あまりにも幼い衝動は、あまりにも単純な憎しみは、あまりにもまっすぐな怒りは、それ故に強大な力となった。その力故に魔王と同化してしまったのだ。
「あんた今、自分の娘がどうなってるか知ってるの?」
肩で息をしながらも、大気の檻の中で男が反論する。
「大事な封印の鍵を壊そうとした愚かな娘など、知ったことか」
ブチ。
そんな音が聞こえたような気がしたが、神沢は知らぬフリをして一歩下がった。
「ふざけんな!!」
飛鳥の力が使い果たされていたのが不幸中の幸いだろう。もしこの怒髪天状態で力が暴走しようものなら、男の命の保証などできたものではない。
不意に大気の檻が消えた。召喚魔法は封じられまだ反撃の余力もない男は、ずかずかと近づいてくる飛鳥を睨みつけることしかできない。飛鳥は男の眼力に怯むことなく近づき、正面から拳をお見舞いした。
ぼぐっ。
ヘンな濁った音とともに、男が倒れた。顔面を思い切り殴ったせいで飛鳥の拳もかなり痛いのだが、そんなことにはお構いなしに借りたままのコートを脱いで神沢に投げつける。
「解る?この制服についてるの、全部渡辺さんの返り血だよ」
飛鳥が『鍵』と繋がり、めちゃくちゃに斬りつけたときのものだ。その量はおびただしいもので、普通の人間であれば間違いなく致命傷のはずだった。
「渡辺さんね、悪魔と契約して魔王の一部と同化してるんだって。だからまだ生きてるはずなんだけど、これからどうするつもりかは知らないし、私を殺せば渡辺さんも死んじゃうし、殺せなかったらどうなるか知らないけど。今はもう普通の人間じゃないんだって。そうなった原因はあんたにもあるんだよ。あんたが必死になって封じようとしてる魔王と、自分の娘が同化するのってどんな気分?」
飛鳥はただ淡々と語る。組織の情報がどれほどのものかは解りかねるが、渡辺が飛鳥を殺すために悪魔と契約したことまでは解っていても、魔王と同化したことまでは解らなかったのだろう。飛鳥に殴られ顔を手で押さえていても、男の血の気が引いていくのが目に見えて解った。
「私はこれから魔王を倒す。もう『世界』のために誰かが犠牲にならなくてすむように、これで全部終わりにする。多分『鍵』はそのつもりで転生したんだと思う。だからあんたは封印のことなんて考えないで、自分の世界のことを考えればいいよ」
「……愚かな……封印の術も知らず、ましてや魔王を倒すなどと……身の程をわきまえたらどうだ」
息も絶え絶えになお反論する男に、飛鳥は静かに告げる。
「終わりにするの。絶対に」
それは宣言だった。封印の鍵としての力を持つ、飛鳥にしか言うことを許されない言葉。彼女の騎士は恭しく頭を垂れ、世界救済を唱える男はただ呻くことしかできなかった。
「私は還るべき場所へ還るの。他に還る場所がないから。あんたにはちゃんと帰る場所があるでしょう?」
まだ反論もあっただろうが、男は黙って転がっていたヘルメットを被り、よろめきながらもバイクに乗ってエンジンをかけた。残る二人を睨みつけながらも、そのままサービスエリアを後にする。
ようやく消え去った黒い嵐を見送りながら、神沢が飛鳥にコートをかける。
「痛みませんか」
「渡辺さんはもっと痛かったと思う」
右手をさすりながら、飛鳥は思う。『世界』のために犠牲にされた彼女の苦しみはどれほどのものだっただろうかと。実の親に切り捨てられる、その辛さはどれほどのものだっただろうかと。
「飛鳥さんは他人を気遣いすぎます。あなたこそ最大の犠牲者でしょう。それを」
「あんたも犠牲者じゃん。ずっと生きてくるの、辛かったでしょ」
「それは……」
辛かった。だが、それを世界のためと思ったことはない。ただ姉のためだけだ。生きてきて楽しいと思ったことなど、呪いを自覚するまでのほんの数十年の間だけだ。気の遠くなる時間を苦痛とともに過ごしてきた。少なくとも、今までは。
「でも、おかげで飛鳥さんに逢えました」
思いもよらぬ神沢の言葉に、飛鳥が見上げた。
「長生きしてみるものですね。飛鳥さんとこうして話すようになってほんの数日ですが、目の覚めることの連続ですよ」
「そうなの?」
「そうですよ」
「……そっか」
神沢にとって、飛鳥は姉の代わりでしかないと思っていたが、飛鳥自身としても見てもらえているのか。今は封印の鍵としてでも、姉の代わりとしてでもなく、ただの鳴瀬飛鳥としてここにいてもいいのか。
それが嬉しくて、微笑んでいた。
「ご飯食べようっ。まだおにぎり残ってるよ!」
「先に車に戻っていて下さい。私は結界を張っておきますから」
「早く来ないと食べちゃうよー」
「どれだけ食べる気ですか」
「育ち盛りだもん」
はいはいと肩を竦めながら、神沢は自分もまた微笑んでいることに気が付いた。
(きっと守ろう)
彼女の眩しい微笑を──。
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