第15話 RETURNER

「……私は生まれ変わりではありません」

 震える飛鳥を背後から抱きしめたまま、神沢が呟いた。

「人の歴史が始まるかどうかという頃、太陽神ソル・ソレイユと地母神ガイア・アースは恋に落ちました。けれど互いの神としての務めの都合上、それは叶わぬ恋でした。そして二人は恋を実らせる手段として、人に化身します。神としてではなく、ただの一対の男女として出会い、ともに生きていこうと。

 気が遠くなるほどの時が流れて、ようやく二人は出逢いました。幾度となく転生を繰り返して、前世の記憶も神としての力もなく、ただの男と女として出逢い、結ばれました。

 やがて彼女は身篭りました。そんな中、目の前で夫を殺されました。妻を守って死んだのです。前世の記憶を失っていても、ようやくめぐり逢えた最愛の人を失った彼女の嘆きは想像を絶するものだったでしょう。深い悲しみと絶望の中で、彼女は地母神の力に覚醒してしまいます。どれだけ望んでもこの手をかすめて失ってしまう運命なのかと我が身を呪いながら、それでも身篭っていた子を無事に産みました。

 生まれた子は、二卵性双生児──姉と弟でした。弟はごく普通の子供でしたが、姉は両親の神としての力を秘めて生まれてきました。実際にはその力を使うことはできなかったようですが、母親には解ったようです。記憶も力も眠ったままで転生していたのだと。その記憶が何かの拍子に戻ったときに、力も表面化してしまうことを。

 母親はもう二度とこんな悲しいことが起きないようにと、転生を止めることを考えました。死ねばまた生まれ変わります。それを止めるには、不死以外に方法はありません。母親は自分に不老不死の呪いをかけたのです。……その呪いの儀式の最中に望まぬ子を身篭ることになるとは思いもせずに。

 不老不死の呪いは完成し、ごく普通に男の子を産みました。そして子供たちが成長した後に、最後の仕上げをしたのです。下の弟に封印の術を覚えさせ、姉を封印させました。死ぬことも老いることもなく、ただ存在だけになった姉と、やはり不老不死でぬけがらのように生きる母親と、それからまた永い年月が過ぎました。

 ……異変に気付いたのはいつだったのか……。姉を封印した弟は、いつまで経っても変わらない自分の容姿に疑問を抱きました。それまでは普通に成長して大人になりました。けれどそこから先に──老いることがなかったのです。どこで成長が止まったのかは解りませんが、母親の胎内にいるときに不老不死の呪いの影響を受けてしまったのでしょう。それから先、時間に置き去りにされたように変わらぬ姿のままで生きていました」

 飛鳥を抱きしめる神沢の腕に、わずかに力がこもった。

「そして運命の時がきます。人類が滅びへの道を歩み始めたとき、ぬけがらのように生き続けてきた母親は、自分の持つ力のすべてを解き放ってこの星を作り変えました。この星は一度滅び、作り変えられたのです。そのときに力を使い果たした母親は、ようやく自分の永い命に終止符を打ちました。封印されたままの姉は、作り変えられた世界の中で存在しています。あれからずっと封印されたままで。そして……呪いを受けた弟も、ずっと生き続けています……。

 私は生まれ変わりではないんです……。姉さん、あなたを裏切ったシュレイン・シェイドなんです」

 遠い昔の物語──。

 シュレインは、姉をとても慕っていた。母親は何も言わなかったが、心のどこかで自分は望まれた子ではないのだろうと気付いていた。だから無条件で愛してくれる姉を慕ったのだ。強く美しい姉はシュレインの自慢だった。姉弟であることを誇りに思った。大好きだった姉が、実の父親は生まれる前に死んだのだと聞かされて、ショックで家を飛び出したときは、どうすることもできなかった。無力なまま追いかけても足手まといどころかたどり着くことさえできないであろう。必死で自分を鍛えて何があっても姉を見つけようと思った。

 そんなシュレインに、母は残忍な真実を告げた。自分たちが何者であるのかを。母は地母神の転生として、太陽神を求めた。二人が結ばれて生まれてきた姉は、同時に二神の転生でもあった。その姉の運命は解らない。だがもう悲しみの転生の輪廻はこれで終わらせるべきだと、母は言った。自分の持つ魔法をすべて教え込むと、最後に封印の術を覚えさせたのだ。それで姉を封印しろと。

 二年後、姉と弟はかつての両親の故郷で再会した。そこは魔王が封じられた場所でもあった。復活した魔王を討つために姉はやってきたのだった。家を飛び出してからも鍛錬を続けた姉は見事に魔王を討ち取った。その場を立ち去ろうとしたときに、魔王ともども弟に封印されてしまったのだ。

 姉さん、ごめんね……。

 私を裏切るのか、お前まで──!

 結界の内に閉じ込められてなお、姉の叫びが聞こえてくるようだった。

 魔王を封じ込めてしまうには、いくつかの力が必要だった。

 絶大な破壊力を誇る『覇皇剣』、邪悪なる者を打ち砕く『破邪の剣』、そしてそれらの使い手。この三つが揃って初めて魔王を封じることができる。だがその二振の剣は、創世の二神の力なくしては操れないのだ。二神が転生を繰り返している間、いつも世の闇にあった魔王。二神の転生がない以上、復活されてはとる術がない。だから一緒に封印した。そうするしか、なかったのだ。

 そう母親に説かれてシュレインは断腸の思いで姉を封印した。魔王は創世の頃より存在し、封印と復活を繰り返してきた。それは封印が不完全であったからで、今回の完全な封印であれば復活することはまずないであろう、と。

 同時にシュレインが母親に初めて必要とされた瞬間でもあった。望まぬ子として生まれたシュレインは、母の愛が希薄だった。その分は姉が補ってくれた訳だが、母親に必要とされていないと実感するのは苦痛だった。そのシュレインが、母に必要とされたのは最愛の姉を裏切ることだった。何と言う皮肉だろう。それでもシュレインは母に協力した。姉を愛してはいるが、世界には引き換えられないと。

 姉を封じ込めてから、20年ほどが経過した頃、シュレインは異変に気付いた。その頃シュレインは30代半ば。男盛りではあるが、そろそろ老いを感じることがあってもおかしくない頃だ。それがシュレインにはなかった。顔にはしわのひとつも刻まれなかった。髪は艶やかで鮮やかに赤いままで、白髪の一本も見当たらない。

 母が不老不死の呪いをかけていることは知っていた。もしや、と思わずにはいられなかった。だがこのときシュレインはすでに母親とは離れていたから、確かめる術もなかった。

 罰が当たったのだ。

 愛する姉を裏切ったあのときに、呪いがかかったのだ。シュレインはそう思った。死ぬことを許されない、たったひとりで魔王と共にあらねばならない姉の、復讐なのだ。お前も永遠に生き続けることの苦しみを思い知れと。

 幾度か死のうと思った。どんなに親しい者も自分を置いて死んでいく。その苦痛から逃れたかった。また老いることを知らぬシュレインを魔物だと追いやる者から身を隠さねばならない日々にも疲れていた。それでも死ぬことはできなかった。何度目かの奇跡的な生還を果たした後で、シュレインは決意した。

 罰が当たったのなら、生き続けよう。ひとり封じられたままの姉を永遠に見守り続けよう、と。それで贖罪となるのなら──。

「だから……今度は守りたかったんです。例え世界を敵に回しても、あなたを守りたかった。あなただけの騎士になりたかったんです」

 背後から強く抱きしめられながら、飛鳥は呆然とした。打ち明けられたことが現実からかけ離れすぎていて、理解しがたかった。理解できたことといえば、神沢が姉を──飛鳥の前世であり半身を裏切る形で現在の封印にしたことと、神沢がひとりで永過ぎる時を生きてきたこと。そして、姉の代わりに飛鳥を守りたかったのだということ。

(守られていたのは、私じゃないんだね)

 神沢が守ろうとしていたものは、飛鳥ではなく、その先にある姉だった。いつも飛鳥の向こうに遠い日に別れた姉を見ていたのだろうか。

 結局必要とされているのは姉──『鍵』であり、鳴瀬飛鳥という個人は誰にも必要とはされていないのだ。

 力を解放したときに見た記憶の断片。あれはこれまでの転生の記憶なのだろう。楽しいこともあった。だが後半の、最も新しい記憶──それは姉と母の記憶だったのだろう、それらはあまりにも痛く残酷で、悲しいものだった。転生を止めたいと願う気持ちも解らなくないと思ってしまうほどに。

 最後の記憶は、鮮やかな赤だった。

 今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた少年は、紛れもなく今飛鳥を抱きしめている神沢の遠い日の姿だ。

 飛鳥の中で殺せと叫んだあの声はもうしない。力を解放したときに一瞬だけだが、『鍵』と意識が繋がったのだろうか、知らぬ声はきっと姉の声だったのだろう。あのとき彼女は何と言っただろうか?

 思い出そうとして身体の震えを押さえようとした飛鳥が、ふと異変に気がついた。

(違う)

 飛鳥はもう震えてはいない。

 震えているのは、飛鳥を抱きしめている神沢だ。

 震えながら、飛鳥にしがみついているようにも思えた。

(泣きたいのに、泣けないのかな)

 自分を抱いている腕が、血の気を失って白くなって震えていた。背後で見えないが、きっと今にも泣きそうな顔をしているに違いない。あの遠い日の少年のままに──。

 崩れ落ちそうに震えている神沢の手をそっと握りしめると、飛鳥は祈るように呟いた。

「難しいことは解らないけど、お姉さんきっと泣いてたよ」

(この手を通じて、どうか届いて)

「お姉さん、本当にすごく怒ってた。殺せって、血の報復だって言ってた。でも同時に言ってたんだ、心を許し、信じ、愛したって。それだけあんたのことが大好きだったから裏切られたと思って悲しかったんだよ。お姉さんは何も知らないままなんでしょう? あんただってお姉さんのことが大好きで悲しい思いをしたのに、このままなんてイヤだよ。ちゃんと話せばきっと解ってくれるよ」

 顔も知らぬ前世であり半身の彼女の憤りと悲しみと同時に、愛しさも飛鳥の中に流れ込んでいた。まだ彼女は、それを覚えている。怒りに任せて愛した記憶を捨てきることができないでいる。もし本当に彼女が弟を愛した記憶さえ失っていたら、今ごろ飛鳥の意識など彼女に乗っ取られて消え去っていただろう。

「そうだとしても、もう……その術すらありません」

「大丈夫だよ」

 力なく呟いた神沢の手を両手で包んで、飛鳥が続けた。

「お姉さんのところに行こう」

 思いも寄らぬ飛鳥の言葉に、神沢が身体を離して正面から見つめる。

「何を言ってるか解っているのですか」

 姉のところに行くということは、封印の地に赴くということだ。姉のところには、同時に魔王も眠っている。

「大丈夫。ちゃんと解ってるよ」

 手を伸ばして神沢の頬に触れる。返り血にまみれながら穏やかに笑ってみせる飛鳥に呆然としながらも、冷たくなった頬に触れるぬくもりが心地よかった。

 自分はやはり必要とされていないのかもしれない。

 神沢が守りたかったものが飛鳥自身ではなく姉だったのだとしても、結果として飛鳥は守られてきた。支えられていた。心が何処にあったとしても、神沢の誓いは真実なのだ。決して飛鳥を裏切った訳ではないのだと、それだけ解れば充分だった。

「お互いに好きなのに、すれ違ったままなんて悲しいじゃない?」

 姉を裏切ったことは、紛れも無い事実だ。そのときからずっと否定してきた気持ち。姉を慕っていること──裏切り者の自分には、もうそんな資格さえないのだと思っていた。それを飛鳥はいとも簡単に肯定してしまった。そして同時に、自分は姉に愛されているとも。永遠に封印したはずの、永遠の憧れを目の前の少女は肯定した。

 こんな自分でも、姉を愛していていいのか。

 決して許されることはないと思っていた。それを許してくれる人がいる。

「……飛鳥さん」

 どれだけ待ち望んだだろう。その言葉をくれた人に伝えたいことがあるのに、それが何なのか、言葉さえ見つからない。言葉の代わりに、頬に触れる飛鳥の手に自分のそれを重ねて目を閉じた。言葉を超える想いが、互いのぬくもりを通じて伝わってくるようだった。

 どれだけの時が過ぎたのだろう、そっと手を離して飛鳥は足元に目をやった。神沢も目を開いて飛鳥の視線を追えば、その先には深い傷を負って倒れている渡辺がいる。ただし、全身の傷は閉じかけており、流れ出していた血はすでに止まっていた。

「……彼女が憑依させたのは魔王の一部です。自己回復能力でしょう」

 アメーバ状に取り込まれていたときに、その気配の感触に思い当たるものがあった。一部分とはいえ、魔王が相手では神沢の力でも及ばない。

 魔王を憑依させるだけの憎悪が渡辺の中にあったというのか。それだけのものを渡辺に背負わせた原因。神沢が姉を裏切らねばならなかった理由。『鍵』として死ぬことも許されず姉が生き続けなければならない、そのすべてがある場所へ。

「行こう」

 剣を失った左手を強く握り締めて、飛鳥が小さくしかしはっきりと告げた。

「魔王を倒す。場所は解ってるんでしょう?」

 飛鳥の強い眼差しを受けて、神沢が答えた。

「富士山の、はるか地下に」

「案内して──私の騎士」

 飛鳥の言葉に、神沢が跪いてその手に口づける。

「御意」

 渡辺が張り巡らせた結界が解けたのか、校舎から悲鳴が聞こえてきた。クラスメートたちにかけられた変化の術も解けていることだろう。騒ぎ始めた学校からひっそりと出た二人は、風に誘われるようにその場を後にした。

「戦うわ」

 少女の呟きさえ残さずに──。

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